本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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今月の4日以来の訪城。
前回の訪城は、始めから夏バテなどで体調不良。
実のところ、今回はどのくらい動けるのか確認することも訪城目的の一つでありました。

また、ここ暫くの間、ついつい平地の城館跡ばかりを彷徨していたために平山城の夏草対策を完全に失念。
9月とはいえ、地理的には比企丘陵に属するこの地域は、まだまだ夏草の繁茂は想像以上で、周囲との比高差20m程度でもけっして侮れないということを思い知る結果に。

城原城(比企郡滑川町)比高差約20m弱 午前11時05分~11時50分

登口が分からず、山田下集会所の所在する北西側付近の切岸のような斜面から草木に掴まりながら直登を敢行。
山田城の南東約500mほどの位置にほぼ独立した丘陵を形成し、東側には東松山カントリークラブのゴルフ場が沼池を挟んで隣接。
また、北東約600mには成田氏の家臣で南族23騎に登場する、この辺りの在地領主階層とされる贄田氏の墓所が所在する谷城も指呼の間。
戦国時代の遺構とされる山田城、谷城などとの位置関係を想定すると贄田氏、小高氏などの在地勢力との関わりが考えられますが、城館跡に関する伝承さえもそれほど明確なものではないようです。

しかし、この付近の中世城館の立地条件としては申し分ないようです。
山頂の尾根筋は思いのほか平坦で、地元の方の墓地が各所に所在。
従って、郭跡や平場のようにも見ようによっては見えなくもありません。
年代の古いものでも近世の延宝、正徳年間あたりの墓石が確認されるのみでした。

さて、遺構らしきものは殆ど確認できないのですが、僅かに土塁や空堀跡にも見えなくもない個所や、小口のように見えなくもない地形も所在。
然し何れもそれほど明確なものではなく、希望的観測の域を出るものではありませんでした。
また、墓参のために民家からの登口が何ヶ所かあり、比較的人の出入は多いようですが、秋の彼岸前なので蜘蛛の巣の多さには些か閉口。

なお、一部に竹林が所在することから、その時期になると筍を不法に持ち去る不心得な人間がいるようで、「不法侵入すると警察に通報」する旨の告示が設置され、間違っても筍の時期には訪れないことが肝要かと思われました。
なお、地元の教育委員会に確認した所では、「じょうはら」と読むとのこと。


小高氏館(比企郡滑川町)比高差約20m 午後0時05分~0時40分

こちらも登り口不明ですが、よく見ると麓の民家を50mほど過ぎたところに南側から斜面を斜めに登っていく「道」がありました。
「道」といっても腰の辺りまで夏草が生茂り、全く地面の見えない代物ですが。
館跡と推定される山頂部分は最近までプレハブ小屋のようなものが存在していた形跡も。
その部分は別としても、予想外に平坦で広々としています。
また西側を除いて大きな木も余りないので、東側の稜線との地形上の関係もある程度明確に把握できました。
なお、稜線に繋がる東側に堀切などの形跡があるかどうか念のため確認。
結果は夏草の繁茂に妨害されて不詳。

さて、帰り道にて多少のトラブル発生。
草を掻き分けて登ってきた所をそのまま戻ったつもりが、10mほど北側にずれていました。
このため自分の背丈を越える2mほどの草叢に突入。
ここで強行突破を試みましたが見事に失敗。

「♪すーべる、転がる、立ち上がる。歩く、倒れる、まーた起きるー」という演歌の歌詞どおりの状況に陥ることに。
蔓性の植物が足首付近に絡みつき前進不能。
斜面のため上体のみが前進。
当然の結果として、これがホントの前倒しに。
後から思い起こすと、もしかすると大きく地面が窪んでいたような感じもしたので、ことによると「堀跡」かとも。
しかし、本当に進退窮まっていたので地面を観察している余裕もなく。

このような恥ずかしい行動を繰り返しているうちに、貴重かつ未使用の500mlペットボトルのお茶を紛失。
喉の渇きを癒すことに失敗したのみならず、リサイクルすべき資源ごみを、こともあろうに山中に放置するという初の屈辱的体験。
車に戻ってから紛失に気がついたので、再び戻って探す気力と時間が...
結局、登ってきた場所とは少し別の草丈の低い個所から下山することに成功。
比高20m程度でも背丈を越える夏草は侮れないという貴重な教訓。

もっとも、一応車中には常に「草刈鎌」「鉈」「2リットル入りお茶のペットボトル6本」「耐加重500㎏の30mと50mロープ」「寝袋」「懐中電灯」「ヘルメット」などの各種装備を配備しているのであります。


土井城(比企郡滑川町)不明 午後1時00分~1時20分

「どいじょう」と読むのではありますが、コピーした資料や地元の教育委員会の方の情報によれば、「泥鰌=どじょう」が転訛した当て字などと考えられているようです。
「土井城」と「泥鰌」では、城館跡めぐりにとってはまさに天と地の格差が。
なお、先ほどの失策を取り返すべく、今度は2リットルのペットボトルのお茶をザックの中へと収納。

地名としては滑川町の老人福祉センター「松寿荘」の東側に所在する「土井城沼」(どいじょうぬま)が実在。
また、峠に所在する指道標には「どいじょうぬま」と、わざわざ振り仮名が明記されていました。
このほうが何処となく歴史的ロマンが感じられるので、これはこれで宜しいのではないかと。
南側を除く沼を囲む三方にはそれぞれ城館跡に相応しい地形の丘陵地帯も存在。
その中では西側の地形が尤も人手が比較的加えられていない模様で城館跡に相応しそうな地形をしていましたのでこの辺りで手を打つことに。
なお、地理的には「小高氏館」の北東200mほどの地点に所在していました。


浅間山(比企郡滑川町)比高差最大25m 午後1時20分~1時50分

必ずしも中世城館跡という伝承などがあるという訳ではありません。
源義賢の遺臣が勧請したとの伝承があるようです。
それにしても余りにも見事な水田の中に独立した丘陵。
凝灰岩の岩山であるとの解説板が麓の鳥居の所に設置されていました。
それにしても「砦」「物見」などの小規模な城郭としては正に絶好の地形で、南側以外からの直登はほぼ困難な勾配。
その南側の石段も石が浮いて崩れかけ、凝灰岩の岩盤が露出している個所は苔が繁殖して「♪すーべる...」。
しかし、ここで転がったら間違いなく大怪我に。
結局は蟹の横歩きの要領でトレッキング・シューズの摩擦係数を高め、草の生えている個所を探しつつ参道を登り無事登攀に成功。

山頂の社殿の前には、かつては神水とされた水の綺麗な小さな泉が現存。
トノサマガエルが2匹、慌ててその姿を池の底に隠していました。
さて、よくよく考えれば不思議な光景かと。
何故岩山の山頂に泉が存在するのか。
湧水だとしても何処から湧き出すのか、物理的に全く理解できない現象であり、その意味でもまさに「神水」かと。
なお、下りルートは通行止めの車道のような安全な道から下山。


山城沼砦(比企郡滑川町)不明 午後2時00分~午後2時50分

高根カントリークラブの南側の沼池周辺の丘陵が砦の伝承地の模様。
予想通り肝心の沼池も、空堀跡が所在すると伝わる個所もゴルフ場の中で接近することができませんでした。
大きく迂回して南側の沼池の脇道から北上してみたものの途中で道が消滅。
山城沼の南側に所在する新沼から見た西側の丘陵地帯を撮影することで切り上げることに。

なお、ゴルフ場のど真ん中を町道が横断していることもあり、専用の信号器が設置。
プレーヤーが今まさにドライバースイングをする準備体勢に入っていたので、何故か無意識の内に小走りにコースを横断してプレーのスムーズな続行に協力。
このお蔭で全力疾走はともかく、小走りならば数十m程度の短い距離を走ることができる体調であることが検証されました(笑)。


土井城近くのコスモス
「土井城近くのコスモス」
2006/09/17 撮影


今回は歩く距離をある程度長くしてみた積もりでしたが、合計の歩行距離は僅かに6.5キロメートルほどで、平地換算でも10km未満かと。
比高差の合計も5ヶ所あわせても、せいぜい120m足らず。
従って体調に関してそれほど大きな変化は見られず、この程度の運動ならば殆ど問題がなさそうなことが判明したので先ずはそれなりに一安心。

自分の天気予想では午後3時までは降雨はなく、夕刻遅くから雨になるという前提で行動。
途中で薄日が一時差したものの、基本的には予想通りの湿度の高いやや蒸暑い曇り空。

車での帰路、午後3時45分頃から次第に霧雨模様に。
帰宅後の午後6時過ぎにはやや強い俄か雨が。
このくらい天候のヤマ感が当たると、却って不気味な感じも(笑)

やたらに長いブログであるにも拘らず、画像はたったの1枚のみというアンバランスに自ら呆れる仕儀なのでありました。

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お疲れさまでした
滑川方面の訪城、お疲れさまです。
土井城と泥鰌では確かにエラい違いですね。
この連休は初日を除いては本拠地所沢でのんびりしてました。
実際のところは、初日の森林公園で家族揃ってカゼをひいてしまい、養生していた次第です。
童心に帰り、気温の低い中を半袖で自転車で疾走すること15キロ。これがいけませんでした。少々暑いな、と思っても長袖を着用しておけばよかったと振り返っても後の祭であります。
滑川地方の更新を楽しみにしています。
モナー 2006/09/18(Mon)12:38:31 編集
Re:お疲れさまでした
「土井城」の地名については全く笑い話みたいですが、土井城沼近くの丘陵地帯はそのまま小高氏館と推定される丘陵先端部のピークと稜線で繋がり、また浅間神社の所在する独立丘陵は偶々かもしれませんが、鬼門に当たる北東方向に位置していました。
これらの地理的関係から見た限りでは、この三者は何らかの関連があるものとも考えられます。

滑川地域には小規模な中世城館の立地条件に相応しい丘陵地帯があちこちに点在し、ゴルフ場が開発される以前でしたら一体どれほどの遺構が実在していたのか考えるだけでも気が遠くなりそうです。
12月くらいには、もう一度他に気になる場所を含めて再訪してみようと考えております。

さて、現在は先月訪れた川島町方面を整理し始めたばかりで、これがなかなか遅々として進みません。

コメントありがとうございました。
皆さんで風邪をひかれてしまったとか。
くれぐれもお大事にしてください。
【2006/09/18 13:43】
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