本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコなどの話題に終始しておりまする。なお2007年末から漸く群馬方面へと進出し、2008年6月には福島中通り方面、11月には栃木県南、12月には茨城県南、2009年2月には千葉県北部、5月には山形県村山地方と少しだけ領域を広げ始めております。              (2009/05/21 説明文更新)
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昨日打ち込んでいたブログは余りに長すぎて疲れました(笑)
加えて「老袋城」のHP編集に予想以上の時間がかかり、このブログも実際には翌日の午後に打ち込んでいる始末。

さて下記の画像は17日の日曜日に、ついでに訪れた「浅間山」。
凝灰岩質の屹立した独立した岩山。
周囲との比高差が25mほどの山頂には浅間神社などが祀られています。
山頂には湧水の池が現存。
戦国時代の「物見や砦」としては絶好の地形。
残念ながら、そうした故事などは伝わってはいない模様ですが。


比企郡滑川町の浅間山
比企郡滑川町の浅間山
2006/09/17 撮影


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早速のリンク、ありがとうございます。
こんな立派なサイトのブログでリンクを貼らせていただき、恐縮です。折角リンクを貼っていただけたのだから、それなりの城館サイトにしていかなくてはなりませんね(汗

埼玉県内を見ても「これだけ立派な遺構なら城館がありそうなのに・・・」っていう場所が幾つもあります。ただ、平場は存在しているのですが、肝心の堀や土塁の類が無く、ただの山で片付けられる事が多い気がします。どんなに平場があっても土塁や堀の存在感には勝る事ができないのだなっと改めて思ったりします。

前々から思っている事ですが、城館の名称って基本的に文献から採られる事が多いのでしょうかね?それだと「城山」とか「根小屋城」とかが多くて区別をつける為に名称をつけてもあくまで仮称という域から出る事ができません。名前にこだわるつもりは無いのですが、川越市下広谷周辺の城館郡などを見ていると資料により名称がバラバラで結構困惑している方が多い気がします。
城館が機能していた当時の人が居ない今、古文などから名称を探るしか無い訳ですが、この名称ももう少し統一性を持たせると資料を探す人も助かる感じがしますね。

色々と考えたりする事があったりしますが、また次の休日も城館資料を探してみたりしようと思います。
いつもながらありがとうございます。
武蔵国入間郡の住人 儀一 2006/09/19(Tue)20:32:47 編集
Re:早速のリンク、ありがとうございます。
塚越です。

正式なご返事を待たずに大変失礼致しました。
また、本来ならば「埼玉の中世城館関係サイト」というような別項目をたててリンクさせていただかねばと思ったのですが、色々と試してみたもののブログの設定が上手く行かず、とりあえずこの形で暫くの間ご辛抱願います。

>埼玉県内を見ても「これだけ立派な遺構なら城館がありそうなのに・・・」っていう場所が幾つもあります。ただ、平場は存在しているのですが、肝心の堀や土塁の類が無く、ただの山で片付けられる事が多い気がします。どんなに平場があっても土塁や堀の存在感には勝る事ができないのだなっと改めて思ったりします。

大雨があれば普請次第では、土塁は崩れたり流れたりしますし、堀も直ぐに埋まったりしますね。
このため、後北条氏関係の古文書でも要害の普請(日常管理)に関するものも少なくないようです。

>前々から思っている事ですが、城館の名称って基本的に文献から採られる事が多いのでしょうかね?それだと「城山」とか「根小屋城」とかが多くて区別をつける為に名称をつけてもあくまで仮称という域から出る事ができません。名前にこだわるつもりは無いのですが、川越市下広谷周辺の城館郡などを見ていると資料により名称がバラバラで結構困惑している方が多い気がします。
>城館が機能していた当時の人が居ない今、古文などから名称を探るしか無い訳ですが、この名称ももう少し統一性を持たせると資料を探す人も助かる感じがしますね。

中には研究者の方や地元の教育委員会がつけた様な名称も少なくはないようです。
呼称の不統一の事例としては伊奈忠次の「伊奈城」(丸山陣屋)や熊谷市の「別府城」(別府氏館)、皆野町の「千馬山城」などもその典型ですね。
また、戦国時代の古文書では「城」という表現とともに「要害」という表現が目立ち、「要害山」「龍谷山」「龍ヶ山」「竜崖山」などに転訛していくようです。
こうした事情も名称の混乱の一因かもしれませんね。

>色々と考えたりする事があったりしますが、また次の休日も城館資料を探してみたりしようと思います。

資料の収集も大変かと思われますが、「中世城館めぐり」をより興味深いものにしていくためにはとても大切な作業と思われます。
「これは」というような文献などがございましたら宜しく教示ください。

コメントありがとうございました。
【2006/09/19 23:32】
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