本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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明日から仕事が再開。
3連休は年末年始以来かと。
月曜日はともかく昨日今日とのんびりしすぎて、心身ともにリラックス。

閑話休題。

川島町の「中山陣屋」(近世の秋元氏のもの)は現在の中山小学校に所在したとされています。
正門の立派な石碑とは別に、右手の校庭沿いの路地を少し進んでいくと、校庭の端の道路沿いに戦没者の忠魂碑と並んで下記の画像のような標柱がひっそりと立てられていました。
標柱もここまで風雨に晒されて劣化すると「文化財」の仲間入りができそうです。
多分文字数から推定させていただくと、恐らくは「秋元陣屋跡」と記されているのではないかと拝察いたします。

さて、深谷上杉氏の重臣に過ぎなかった秋元氏は主家の滅亡にも拘らず、家康の関東入府後に徳川氏に仕えて、その後は川越藩主、老中などの重職を担い、館林6万3千石の藩主として幕末まで存続します。
もうひとつの「功名ヶ辻」という感もあります。


文化財的な標柱
中山陣屋(秋元氏陣屋)
2006/09/04 撮影

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これが噂の・・・
標柱ですね。私は後ろにある石碑に気をとられ存在すら分かりませんでした。
万が一見たとしても、陣屋跡関係の物とは思わなかったことでしょう。

素晴らしい遺構です(笑
左馬助 URL 2006/09/20(Wed)08:03:05 編集
Re:これが噂の・・・
早速処、戴御笑覧誠忝無存居候。
         恐惶謹言。

さて当該標柱の文字数は5文字かと推定を。
下3文字は按処「陣屋跡」申由相違無御座候。
上2文字の判読は...。
2番目の文字は[山]か「元」の何れかとすれば、何となく「元」と読めなくも無いような。
したがって、「秋元陣屋跡」ということになろうかと拝察致候処、
自分も外側から見た時には、ただの朽ちかけた棒杭としか見えませんでしたが、愛好者の一部には著名な存在のようです(笑)
【2006/09/20 14:10】
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