本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコなどの話題に終始しておりまする。なお2007年末から漸く群馬方面へと進出し、2008年6月には福島中通り方面、11月には栃木県南、12月には茨城県南、2009年2月には千葉県北部、5月には山形県村山地方と少しだけ領域を広げ始めております。              (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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約半年ぶりにHPの更新を行いました。
今年は3月末から4月末にかけて群馬県を中心に45か所ほどを歩きました。
しかし、5月の連休以降には、臨時の孫のお迎えや育児が重なり5月は20日間、その後6月から9月までは4日から8日間と育児に駆り出されておりました。

このため集中力を伴うサイト更新は断念し、この間は何時でも育児に赴けるように関連する読書、資料読みばかりしておりました。
在地社会の権力構造、地侍層、関東の戦国史、御館の乱、上野長野氏、関東管領上杉憲政、上野長尾氏、後北条氏と外様国衆、一揆の変遷、徳政令とその時代背景、室町幕府の組織と権力構造など約20冊ほどに目を通すことができた反面、更新作業の方についてはある程度神経を集中するという作業の性質上から完全に停止しておりました。

さて、孫の具合も少し落ち着きを取り戻し、そろそろ更新再開をと目論んでいたところに、突然「ジオシティーズのレンタルサーバー業務廃止」というメールが到来。
途方もない脱力感とサーバー移転に伴う諸々の労力と己の年齢を天秤にかけて、「サイト閉鎖」か「サイト継続」かを数日を要して熟慮。
試行的に移転した先での運用もそれほど問題は無さそうな様子であったことから、本日移転後初めてとなる本格的更新作業を実施。

サーバー選択の手順やURLのパス設定など多少不慣れな個所もありましたが、今のところではたぶんどうにか運用していけそうな感触がします。
現行のOSのサポート切れという厄介な問題もそう先の話ではなくなってきましたが、取敢えずできる範囲内で更新を継続していこうと思います。
現在未更新物件は既に600件の大台に達していますので、概ね新規分のうち6割程度を目標にボチボチと更新できればと考えております。

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(メモ)
ここ一週間くらい日常生活には支障のない程度の軽いしびれ感が続いていました。
数年くらい前には頻発していた症状に酷似しているような感じです。

しかし、今年に入り頻発しているいつもの頭痛が始まるとしびれ感は胡散霧消。
どうやら自覚症状の強い方が優るということが分かりました。

もっとも頭痛薬を服用し頭痛が収まると、再びしびれ感が頭を持ち上げます (^^ゞ
ま、こんな感じで次第次第に老境へとひた走っていくのでありましょうか。

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今回は史進さんのお誘いで新潟県へ。

とはいうものの新潟は広く、今回はそのなかでも近場のひとつである魚沼地域に。
今年の初め頃からボツボツと計画だけは立てて多少の資料を纏めはじめていた地域ではありますが、この地を訪れましたのは別用で訪れたのを含めても約20年ぶりとなります。
その前は多分30年以上前で、当たり前のことではありましたが、それより前は多分半世紀ほど前であることから、流石にその当時の土地勘はとうにきれいさっぱりと失われておりました (^^ゞ


樺沢城と屋敷群(南魚沼市、旧六日町) 午前9時30分から12時20分

始めに東麓の小泉屋敷、御屋敷などの伝承地名などからなる屋敷跡とされる石柱めぐりを行いました。
そののち上杉景勝生誕の地とされている龍澤寺を参拝し、「御館の乱」の石碑近くから城跡への山道を登って行きました。


  上杉景勝生誕地の石碑 


      追悼碑

石碑の右上付近に小さく城跡への案内標識が写り込んでおります ^^


  にぎやかに土塁と横堀

「土塁」の文字が記された解説が多すぎるようにも感じる堀底道を西へとすすみ「望楼」とされる個所に立寄りましたが、残念ながら木立の叢生などにより眺望は殆どありませんでした (^^ゞ
「大手道」と記されたルートを進むか、3の丸の九十九折を登るか迷いましたが、結果的には史進さんの跡を追いかけ九十九折の方から登りました。
比高差は90mとされているのですが、郭間が空堀などにより区画されているために多少のアップダウンもあることから、忽ち息切れが始まるという為体に茫然自失。
この日の最高気温は24度くらいのはずでしたが日当たりでは恐らく28度くらいの感触で、流れる汗は止まるところを知らず。


  本丸から東側の眺望

本丸にて一休みをしましたが、この時点で全身から汗が吹き出し早くもヘロヘロに (^^ゞ
本丸からは出丸(西ノ丸)方面を経由して元来たルートへと戻りました。
この城跡内では4組ほどの方に出会いましたが、山城で人に出会うのは随分と久しぶりであったように思います。
帰りがけに駐車場には当方以外に3台の車が駐車。
もっともすべて長岡ナンバーでした。
お一方を除き、城跡巡りというよりは恐らくは低山ハイクという出で立ちでありました。

 
  東麓の屋敷群のひとつ

久しぶりの山城であることから膝はガクガク、呼吸はハアハアでしたが、それでも徐々に体の方は慣れてきたようにも感じていました ^^

 
主水屋敷(湯沢町) 14時30分から14時40分

直江兼続の実家である樋口氏に樋口主水助(「御館の乱」の際に荒戸城の攻防で討死したとも伝わる)という人物がおり、この湯沢の地に所領を有していたとされているようです。
また当地には「主水屋敷」という地名が伝わっているとのことで、現在は「主水公園」と命名されたこの辺りが、その関係する屋敷跡など何らかの関わりのあったことが推測されるのかも知れません。
なお、この公園内には下記画像のように川端康成の小説である「雪国」の記念碑が設置されています。


 主水公園内の「雪国」の石碑

 
荒戸城(湯沢町) 15時から15時40分
 
 前項の主水屋敷から湯沢の中心街を抜けて国道17号線のヘアピンカーブをぐんぐんと登った芝原峠の南側に位置しています。
標高は790mで芝原峠付近に設置されている駐車場からの比高差は約80mほどになります。
近世の三国街道に面した城跡で、「御館の乱」の際に上杉景勝方により築城された防御拠点ですが、後北条方の攻勢に伴い二度落城したようですので合計4回の落城を記録しているということになります。
景勝与党の中核で上田長尾氏の本拠でもある坂戸城にも近く軍事的な要衝のひとつですが、やはり兵站、後方支援という点で景勝方に有利であったものと考えられます。
新潟県の史跡にも指定されており、落葉の季節前ではありましたが下草の具合などから見て程よく整備されているようで、この時期でも見学には支障はありませんでした。
とはいえ雪深いお国柄であることから、12月から4月頃までの探訪には向かないように思われました。
 

  荒戸城の登り口と駐車場

芝原峠付近には上記のように専用の駐車場(数台駐車可能)と案内板に加えてパンフレットも常備されており有難い限りでありました。


  二の丸と本丸の切岸ほか

芝原峠付近の駐車場から道なりに登ってゆくと、やがて2の丸と本丸の切岸が目前に現れてきます。画像手前の壁面は馬出部分で城跡の北東部になります。
この途中で山歩きの女性1名にあっさりと追い抜かれました。
曇天でもあり時刻は既に夕刻ではありましたが、装備から見る限りはかなり山慣れをしているという印象でした。


 三の丸から見た本丸と竪堀

本丸の南西虎口から三の丸へと下った辺りで本丸側の防御の堅固さが窺われますが、城としての規模はけっして大きくは無く、防御側として収容できそうな人員は最大でも200人ほどでしょうか。
このため、芝原峠という軍事的な要衝であるにもかかわらず兵力などの格差により短期間に落城を繰り返すこととなったとも考えられます。


    本丸北東側虎口

 比較的コンパクトなのですが、築城主体や攻防の経緯も明確であり、遺構としての残存状況も良好な城跡でありました。
こういう感じの山城ばかりでしたら、古稀が近い爺でもまだまだ頑張れそうに思われました ^^


浅貝寄居(湯沢町) 16時25分から16時35分

 湯沢町の中心部で国道17号線の北側沿いに所在しており、かつての大規模開発の進捗により旧来の景観は一変していました。
「湯沢町誌」掲載の縄張図はネットなどにも引用されていますが、あくまでも大規模開発が開始される以前の1962年頃に作成されたものとされており、現在はそのうちの北側(居館跡と記されている個所)部分のみが辛うじて建築物の陰に隠れてるようにして残存しています。

城跡遺構としては削平地である郭およびこれを取り巻く北側と西側の土塁が現存し、郭内の中心部には「文化財標柱」も設置されてはいるのですが、宿泊施設の裏手(現在では北側の無道路地)に所在しているために所在地自体が大変分かりにくくなっていました。
「むさし」という宿泊施設の北側でダイヤパレス苗場へと向かう路地のやや緩い坂道を登った左手(西側)の「むさし」の建物に隠れた山林部分(北側緩斜面)が該当地となっておりました。

長尾景虎(後の上杉謙信)による関東侵攻である三国海道経由の越山ルートのベースキャンプのような役割を果たし、家臣である栗林次郎左衛門(政頼)と大石惣助(芳綱)に命じて築城されたとされています。
 

 土塁の残存している主郭部

この地域は半世紀前からの、素朴な温泉とスキー場であった頃の街並みの様子が今でも記憶に残っています。
その後の80年代頃からの急速な観光開発、リゾート開発が進んでいく様子も記憶しております。
こうして現在の国道沿いの街並みを含めて、20年前と比較してもかつての繁栄ぶりとは真逆の景観を目にして大変感慨深いものがありました。


曇天で然もすでに日没前の時刻に訪れたことから、辺りは薄暗くなってはおりましたが未だ雨の降りだすようなことも無くこの日の最終目標の探訪を無事に終了することができました。

帰路は国道17号線で三国トンネルを抜けて沼田方面へと向かい、途中道の「駅みつまた」で小休止、そのあとは沼田市内にて夕食を摂り、関越道の渋滞予測を考慮した上で「上武道路」経由で自宅へと帰着しました。
休息等の時間を除けば約4時間ほどでしたので、高速渋滞のストレスに比べれば高速料金の不要な分安上がりとなりました ^^
今回は今年の4月以来約5か月ぶりとなる城館探訪でしたが、史進さんのお誘いで再び復帰することができました。
やや遅まきながら今シーズンのスタートラインへの足場固めとなり、誠に感謝の限りであります。


注記 
このブログは10月9日に発生したブログサーバーのトラブル等の事情により、2日後の10月10日に更新しています。

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10月1日以来断続的にサイト移転とその検証作業を試行しています。
昨日の分までは、従来のドメインが混在していましたが、本日の17時以降は概ねそうした問題は無くなったようです。
ドメインの混在個所は47236か所(ファイル変換数20867件)ほど存在していたことが分かり、当該ドメインを一括返還する無料ソフトを使用しました。

またブログからサイト本体へとリンク(戻る)する個所を訂正しました。
しかし、画像掲示板のリンク(戻る)については画像掲示板自体の不具合のため訂正未了となっています。
今後も引き続いて不具合か所を洗い出してみようと考えております。


暫くの間、ご不便をおかけいたします <(_ _)>

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旧レンタルサーバー廃止に伴う暫定の移転先です。
リンク先などを含めて検証中です。

http://kogasira-kazuhei.sakura.ne.jp/top.html

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謹告

ジオシティーズのレンタルサーバー廃止に伴いサイト移転をすることになりました。
廃止の旨のメールを受信したのは10月1日でした。
推奨されている幾つかのレンタルサーバーのうち「さくらインターネット」に暫定的に移転しています。
当面は併用の形式をとり、ジオシティーズ側の業務が終了する2019年3月末までには完全移転いたします。
現在のところリンクを含めた細かい検証作業は行っておりませんので、移転先のホームページでは不具合が発生するかも知れません。
予めご了承いただければ幸いです <(_ _)>

                      2018年10月2日 管理人 小頭@和平

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今回の台風24号は関東地方にとっては風台風であったようだ。
前回の台風21号の時にも毎秒風速20メートル前後くらいの強風であったが、今回は深夜の1時頃を中心に約2時間ほどは、鉄骨造の2階家が揺れるという体験をすることとなった。
このためおちおち熟睡するには至らず、本日は寝不足となった。
加えて頭痛と四肢の痺れが残っているが明日辺りには回復するかも知れない。

旋回の教訓から花壇などの鉢植えで飛ばされそうなものは予め屋内へと避難。
しかし、地植えのトレニアのうち少なくとも数株は強風で飛散した模様である。
そういえば3年前にも秋台風襲来でトレニアの株がほぼ全滅したことを思い出した。

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昨晩から四肢を中心に全身に「しびれ感」発生中。
低気圧に伴う慢性の頭痛もある。

今月9月の孫の世話は2回で延べ4日間。
5月以来5か月連続で城跡関係には出かけてはいない。

天候が良ければ孫の世話で、孫の世話の無い時には体調不良の日々が続いたりしている。
かくして9月も終わりを迎えるのであった。

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昨日は台風21号が日本列島の関西地区を横断し、その強風による大規模な被害が発生した。
近年は地震、水害などの自然災害が頻発し、何やら地球環境のメカニズム総体が大きく変容しつつあるようにも感じる。
地震災害を別にすれば多分に人類の営みに起因する要素も少なくないのかも知れない。

さて自宅のある埼玉県南では風速20m前後の強風が正午過ぎから深夜まで吹き荒れてはいたものの、恐らく県内では特に目立った被害は発生していないらしい。
当家では強いて言えば重量にして15Kgほどのプランターボックス(土入り、ベゴニア3株)が、強風で転倒していたくらいのものであった。
ベゴニアの茎は酷く折れていたこともあり、毀れ種から発芽増殖してしまったトレニアの株と入れ替えてみた。

それにしても今回のように12時間前後も強風が継続したのは、ここ50年ほどの間では余り記憶に無いように思う。
尤も1965年頃?に襲来した台風の時には、当市内(当時は町)でも数百戸の住宅の屋根(トタン葺)のが捲れ上がるなどの被害が発生したことは記憶にありそのイメージも残像のように残ってはいる。
また全く別の台風なのかも知れないが、大雨により荒川支流の柳瀬川が氾濫し、その両岸の水田地帯が約1週間ほど冠水し恰も湖のようになっていたことも記憶にあるのだが、既に半世紀以上も前のことであるので少しずつその辺りの記憶が曖昧となってきたらしい。

55年ほど以前、都内に在住していた折には、家屋の床下浸水を含む経験は何度かあるのだが、さらにその記憶は薄れてきている。
なお当時の自宅は元はといえば水田跡であり、石神井川の支流である旧谷田川の氾濫原のような地形であったという歴史的背景を明確に認識したのは未だ十数年前のことである。

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今年は何故かやたらにトレニアの毀れ種からの発芽が目立ちます。
尤も今までにも数株くらいは発芽していましたが、殆どは成長し開花するようなことのないままに枯れていたように思います。
ところが今年に限っては発芽成長中の株が約20本ほど。
そのうち開花するまで成長したものが今のところで2株ばかり。
今のところ原因は全く不明なのですが、或いは7月以来の猛暑の影響なのかも知れません。

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