本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコなどの話題に終始しておりまする。なお2007年末から漸く群馬方面へと進出し、2008年6月には福島中通り方面、11月には栃木県南、12月には茨城県南、2009年2月には千葉県北部、5月には山形県村山地方と少しだけ領域を広げ始めております。              (2009/05/21 説明文更新)
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近県で、平城で、遺構が目視可能で・・・と思い立ち、今回は群馬県太田市へ
自宅を5時40分過ぎに出発
一般道を使用し東松山―熊谷経由で太田市内へ
途中「新上武大橋」手前辺りから2kmほどの自然渋滞発生
それでもどうにか約2時間ほどで現地到着となった



武蔵島館(群馬県太田市、旧尾島町)
7時40分から7時50分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)

トイレ休憩の都合で立寄る
城館跡は上武道路の尾島パーキングとなっているので表面遺構は確認できない
1988年の発掘調査によりその存在が確認されている
おもに上り線のパーキング部分にかかっているようである

   下り線パーキング


大舘館(群馬県太田市、旧尾島町)
8時00分から8時20分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)、「マッピングぐんま―遺跡・文化財」

道路地図に記載されているので寄ってみた
小さな神社境内に標柱、説明版、石碑の3点セットが所在する
むろん地表の遺構は確認できない
帽子を忘れたので一度戻った
結果的に明応院からはほど近いことが体感できた

    大舘館遠景


  中央部の神社と標柱など


  津軽藩代官陣屋について


安養寺明応院館(群馬県太田市、旧尾島町)
8時50分から9時15分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)、「マッピングぐんま―遺跡・文化財」

いわゆる環濠屋敷のようなものであったと思われる
むろん地表の遺構は確認できない

      明応院

 
安養寺東居立遺跡(群馬県太田市、旧尾島町)
9時20分から9時30分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)、「マッピングぐんま―遺跡・文化財」

いわゆる環濠屋敷のようなものであったと思われる
むろん地表の遺構は確認できない

     西側付近の様子


安養寺森南遺跡(群馬県太田市、旧尾島町)
9時45分から9時55分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)、「マッピングぐんま―遺跡・文化財」

明応院と南北に隣接する遺跡であることからその関連の深さが想定される
農地、宅地と上武道路の道路敷でありむろん表面遺構は確認できない
 
 低い木立の部分が気にはなるが


安養寺西居立遺跡(群馬県太田市、旧尾島町)
10時00分から10時30分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)、「マッピングぐんま―遺跡・文化財」

現状は大半は農地で一部が宅地であるが耕地整理と耕作などにより地表部の遺構確認は困難

    北東付近の様子


宝積寺跡(群馬県太田市、旧尾島町)
10時55分から11時15分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)、「マッピングぐんま―遺跡・文化財」

現在は世良田公園(野球場、テニスコート、駐車場など)となっている
ただし城館跡との関連は不明だが、公園北側に沿って細長い低地部を確認できる

  細長い低地ではあるが


船田館(群馬県太田市、旧尾島町)
11時15分から11時30分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)、「マッピングぐんま―遺跡・文化財」

旧家の入口脇に標柱などが所在している
かつての堀跡(推定)は細い用水路に変貌している



岩松陣屋(群馬県太田市、旧尾島町)
11時30分から11時45分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)、「マッピングぐんま―遺跡・文化財」

現在も屋敷の周囲に堀跡状の低地を確認できる
ようやくこの日最初の「目に見える遺構」と対面できた

   北東付近から


普門寺(群馬県太田市、旧尾島町)
11時40分から12時00分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)

境内西側の一部に土塁状の盛り土があることはあるが、どうも古いものではない印象もある
城館跡との関連性は不明というよりも無さそうというべきかも知れない
ただしその外側に用水路(コンクリート蓋付)となった堀跡は現存している
ショートカットすべくその蓋の上を歩いていたら10センチほどの段差に足を摂られ軽く捻挫
ここで常に携行している「ゲル状」の消炎鎮痛薬が役立った

   新しそうな盛り土


   岩松氏寄進の梵鐘


この日は9月半ばとは思えないような日差しと暑さがのため次第に気力が減衰
とくに両腕からは異常発汗
思えば「太田市は館林に近い」ということに気づく (^^ゞ
冷蔵バッグに収納した経口補水用の500mmペットボトル3本はこの時点で全て消耗
このためもう少しまともな遺構を拝んで早めの撤収へと方針転換


江田城(群馬県太田市、旧新田町)
12時30分から13時25分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)、「マッピングぐんま―遺跡・文化財」、「関東の名城を歩く―北関東編」(2011)

紛れもない「土の城」でしかも平城という有難さ
草刈りなどの整備も行き届きこの時期には有難いことこの上なし
西側の低地からの遠望も素晴らしい
しかし日差しが強いので、土塁、空堀の画像が斑模様となってしまう
西日になれば別の効果も期待できるが、この場であと4時間以上待機する気力は欠如
小一時間ほど滞在していたが他に来訪者はゼロであった

   主郭西側の折れ


   主郭東側の折れ


    主郭北西部角


     主郭の北側


  西側からの主郭遠望


    二の郭北部


反町館(群馬県太田市、旧新田町)
13時35分から14時10分
※基礎情報は「群馬県の中世所館跡」(1988)、「マッピングぐんま―遺跡・文化財」、
関東の名城を歩く―北関東編」(2011)

水濠があるのでいくらか涼しくなるかと思ったりしたが風もなく涼しさとは無縁であった
有名な寺院なので平日でも参詣者は少なくは無い
縁日などと重なるとさらに人出は多いのかも知れない

     主郭土塁


    西側の水濠


    北側の水濠


    標柱と説明版

いつもならば周辺の外郭部を歩き回るところなのだが、そろそろ足回りが怪しくなり始めていたことから土塁に登り水濠をぐるっと一周してあっさりと撤退
途中立ち寄った水濠北側にあった自販機の100円均一「メロンソーダ」が美味かった


平地で整備されてある程度遺構のある場所を訪れるという心算が、結果的に前半は殆ど表面遺構のないところばかりとなってしまった
群馬県を訪れるのはたぶん2014年5月以来と思われる
埼玉県に近い西上州方面の藤岡、旧吉井町、富岡市、邑楽町、甘楽町多辺りは少廻っていた
しかし国道17号線沿線は全くの手つかずのまま時ばかりが過ぎ去って行ってしまっている
せつかく馴染んできたようなので、みなかみ方面を含めて年内にあと少なくとも2日ほどは出かけてみよう

ところで上武道路は相変わらず分かりにくいという印象がある
ある程度速度がでることもあり、往路、復路それぞれ1度ずつ間違えている
どうも往路の「西別府」と復路の「代」の辺りを理解していないように思える

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昨年もそうだったのだが、秋風の立つ頃になるとやたらと眠くなる
どうやら今年もそうした傾向を感じている
このまま下手をすると遠征計画が計画倒れになり、下手をすると冬眠してしまいそうな

それでも昨年は11月に郡山、12月に甲賀と何とか2回は出かけている
今年は少なくとも2泊3日コースで4回ほど計画を立ててはいるが、この9月から10月の活動如何に懸かっていると思われる

拍手[3回]

◎在日米軍により終戦後間もない時期に撮影された航空写真について(メモ)

この国土地理院の画像情報利用して中世城館跡の形跡を辿る際の留意点について纏めてみた

(1)戦前からの既成市街地に関しては、概して地表部の特徴が判別し辛いことから不向きである
(2)一般に山城の検出は困難な場合もあるが、戦時中の資源枯渇に伴う乱伐により、結果的に鮮明に撮影されている場合も少なくない
※ただし、戦中戦後における食糧難の時代や近代以降の桑畑の開墾など判別困難な事例がある
(3)撮影高度は約2000m(主に市街地とその周辺部)から約8000m(主に人口密度の低い山間部)と幅があり、高高度の場合には精度低下の欠点を画像編集ソフトなどにより拡大処理などを行えばある程度解消できる場合もある
(4)「堀跡」に関しては、当時の現況が畑よりも水田である方が克明に撮影されている
(5)「方位軸」が最大90度くらいずれている事例も散見される(とくに利根川上流域など)
(6)該当すると思われる航空写真を選び、さらに当該所在地を特定するには次の諸点に留意するとほぼ特定できるものと思われる
A.河川(むろん河川改修工事の可能性に留意)
B.道路形状(道路建設改修が為されたとしても、以前の道路形状を把握できる場合もある)
C.古くからの字単位の集落の配置とその集落の形状
D.丘陵(土取り、ゴルフ場開発などによる区画形質変更に留意)

凸有名な群馬県の白井城では各郭と堀跡などの配置が鮮明に撮影されていた
 

かつてはその南東部に所在していた仁居田城の遺構の一部と思われる地形が認められる

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先月28日に訪れた小諸市南東部の十石城付近の航空写真を編集加工してみた
この手法が有用なのは比較的平坦な丘陵地帯と平野部であり、山岳地帯と戦前からの既成市街地方面については余り役立つことは無いようだ

元データは国都地理院で
USA撮影番号M165-A-6、
撮影高度2,143m、1946年6月14日撮影のもの

 

拍手[4回]

前月は葛飾区、上田市(1泊2日)、小諸市と、結局4日しか出かけられなかったが、ふと気が付くともう9月になっていた

小諸方面は登るような個所も少なく、ある程度は地理も頭に入ってきたようだ
この秋は引き続いて同方面を踏査してみようと思う

休憩を除くと2時間足らずで現地到着というのは嬉しい
早朝の出発ならば午前7時頃には現地に
日帰りでも移動時間を含めた1か所あたりの所要時間が1時間とすれば夕刻までに8か所くらいは廻れるかもしれない
またむしろ日帰りの方が天候に左右されることなく踏査する日程が立てやすいことも分かった

そのようにして目下の懸案である足元の方の具合(踵、骨棘、内反小指、足底腱膜炎等々の按配)を確認しつつ、晩秋からの宿泊を伴う遠征計画をたてるという贅沢な時間を味わってみるのも面白そうだ

拍手[3回]

自分の場合には、ひとたび出向いて気になり始めると同じ方面に何度でも出向くという習性があるらしい
ということで、この日は同行の軍曹さんのご案内で上田市よりは幾分埼玉に近い長野県小諸市内へ

小諸といえばやはり懐古園の小諸城
高速道路未整備の時代である半世紀ほど以前に観光で訪れてはいる
先週の上田城で懲りていることから、態々この方面の観光シーズンに出向くこともなかろうと考えむろん今回はパス

その当時は車で早朝の5時頃に自宅を出発、碓井バイパス完成以前なので現地到着は正午近くに
当時は近くの鹿沢、池の平、浅間山付近もよくでかけていたが、当時は現在と比べ中世城館跡に関する情報は皆無に近く、二、三の個所はふらりと訪れている可能性はあるが、昔日のことゆえ完全に失念しまっている

バブル到来のはるか以前、当然リゾート法や公有地拡大推進法も施行以前
ゴルフ場開発、別荘地開発もなかった時代、1960年代半ば頃のことであったと記憶
現在所謂ドライブインは衰退し、道の駅などに取って代わられているが、当時は未だドライブイン自体が少なくあったとしても、些か比喩が時代がかるが「峠の茶屋」に近いものでもあった

高速道路が整備された昨今では所要時間は正味で約2時間弱、休憩1回を含め、所沢インターからたったの2時間半ほどで現地到着となった

 
 
 
富士見城(長野県小諸市)
午前7時50分から8時45分

飯縄山公園、または小諸高原美術館といった方が分かり易いのかも知れない
上信越道のトンネルの真上がこの城跡
全山総石垣造りと形容すると誤解されそうなくらい石垣だらけ
恐らくは近代以降の主力産業となった養蚕を下支えするための桑畑開墾などにともなう石垣も少なくは無いのだろう
公園としての整備が行き届き、この時期でもある程度の遺構観察が可能
また石垣の年代観を観察するための材料には事欠かない城跡でもある
そうした石垣を別にすれば堀切、小口などに城跡としての面影が色濃く感じられた


しかしこの日は晴天であったが、残念ながら城跡名の由来とされる富士山方面の眺望は効かなかった
たぶん11月以降の晴天である程度風があればその姿を目にすることができるのだろう

 
菱形城(長野県小諸市)
午前9時05分から9時25分

徒歩で5分ばかり離れた近くの菱野公民館に駐車させていただいた
かつての推定郭跡に所在していた畑やゲートボール場には現在では太陽光パネルも多く設置されていた
堀跡(堀切)の一部は現在でも僅かに面影が感じられる



城の峯館(長野県小諸市)
午前9時50分から10時10分

付近に駐車スペースの確保に難があり、菱形城からそのまま徒歩移動
地図で見る限りでは僅かに600mほどの道程だが菱平集落内の道は明らかな上り坂
先週の疲労が残っているのかは不明だが、忽ち息切れと発汗
これで動悸が加わると危ないが、幸い心臓の方は平常であった
用水の石碑と郭状地形などを確認



丸山(長野県小諸市)
午前10時30分から11時00分

公民館へと戻り小休止後に車で上信越道南側の丸山近くまで移動
この辺りの地形は南北方向に河川の流路が刻まれているため東西方向の移動制約が多い
この地点から富士見城へは指呼の間でもある
この場所でも一部石垣が散見される
むろん耕作地開墾との関係も無視できず
目印となる石仏の祀られている地点までは到達
主郭から見て北側数十メートルの地点に天然の大岩を利用した小口にも見受けられる地形がのこされている


 
高津屋城(長野県小諸市)
午前11時20分から11時30分

ふたたび浅間サンラインへと戻り高津屋トンネル手前から北側の別荘地内の通路を迂回し浅間サンラインを超えて南側の別荘地内へと移動
めざす城跡である高津屋公園はこの別荘地内の小ピークである
どちらかといえば些かインフラ整備が行き届いているとは言い難い別荘地の一角の公園
建築物の建材とその経年変化の様子から判断すると、恐らくは1980年代中頃に開発分譲された場所であるらしい


リゾート法の推進、バブル経済の破綻、地方開発公社の経営不振などの経済政策の負の側面を象徴する景観でもあるようにも感じられた
地図などにも掲載されてはいるが、城跡でもある当公園を訪れる人は稀なのであろう
西側郭の土塁は視認できるものの、東郭のそれは夏草などに埋もれてほとんど見えず
かといって、今のところ晩秋から初冬に再訪する候補地となるかどうかは不明


東沢城(長野県小諸市)
午前11時35分から12時05分

東沢集落内の裏山のような立地で集落からの比高差は20m前後
石垣で造成された旧家のところから北西へと曲がり目当ての削平地(耕作地脇の行き止まりの通路)に駐車し南側の山林を見学
尾根筋の両側に腰郭ないし帯郭のような地形が散見
むろん耕作地跡の可能性は大きい
藪蚊と野荊にも遭遇し、結果的にこの日一番の藪漕ぎとなったが比較的距離が短いので問題なし


このあと周辺の蕎麦屋さんが定休日のため「道の駅雷電くるみの里」へと移動し昼食
ある程度有名な食事処でもあることから平日でも混雑していた


松井愛宕山城(長野県小諸市)
13時25分から13時35分

「道の駅雷電くるみの里」から戻り高津屋トンネル東側出口の車坂峠、高峯山方面という標識のある方へと右折し上信越道北側側道付近へと移動
城跡は上信越道沿いに張りだした尾根筋先端部に所在し南方の眺望に優れた地形
側道沿いからも行けるが比高差約40mの石段を登るのは辛いので「松井会館」(地域公民館ないし集会所)脇の参道からアプローチ
城跡には一応切岸、主郭、腰郭などは存在しているが城域としては小規模な部類
「松井会館」前には少なくとも3台分くらいの駐車スペースがあった


腰郭などには、かつての道路公団時代に設置されたと思われる児童用遊具が存在
さほどの利用がある様子も感じられず時の移ろいを感じた

 
 
長張城(長野県小諸市)
13時45分から13時50分

南北約50m、東西約20mほどの駒形神社付近が城跡らしい
いちおう土塁も散見されるが城跡との関係が明確であるとはいえない状況
境内が丘陵先端部の微高地である以外には目立った地形上の特徴は確認できず、いわゆる要害の地ではなさそうな印象を感じる
周囲との比高差は目測で最大で3mほどの台地地形



宮崎城(長野県小諸市)
14時05分から14時30分

諏訪神社境内とその周辺に城跡遺構が分散しているらしい
いずれにせよ堀跡、郭跡などは夏草等の繁茂で視認できず
神社背後の土塁は神社造立に付随するものである可能性が高そうに思われた
集落内の墓地に古い五輪塔の一部(地輪、水輪を除く上部)が安置されている


この時点で、個人的には本日の訪城目標をクリアした


上三田原城(長野県小諸市)
14時40分から14時55分

耕作地の奥の方に所在し軽でもやや厳しい道路条件
耕作地に隣接し徒歩で確実にアプローチできるようなルートが見つからずやむを得ず遠景観察に終始


たしかに平坦地の台地地形が存在していることはその外見からも判別できるが、小河川や堀跡地形に阻まれこの時期には容易に進むことは難しく感じられた
後述の針木沢城、十石城とは北川という小河川を挟み隣接
その相互関係が気になる


針木沢城(長野県御代田町)
15時00分から15時15分

県道134号線に一部がかかっているとも想定されている
西側を平原用水、東側を繰矢川の支流に挟まれた台地地形切岸地形も散見されるが耕作地整備との関係も想定される



馬瀬口城(長野県御代田町)
15時25分から15時35分

県道134号線を挟み南北に城跡遺構の形跡が分散
そのなかで比高差約5mを測る柵口神社境内がよく目立つ存在


この地点では繰矢川が東西方向に流れている
このことから長泉寺が所在する馬瀬口集落の南側台地との境の公道部分が気になる
これが後世の人工的な切通しであると想定するとこの神社境内は北側に張りだした台地先端部ということになる
しかしこの周辺の大地が火山灰地であることから考えると大雨などによる流路変遷も想定されるので次第に訳が分からなくなってくる
※航空写真分析を検討する


十石城(長野県小諸市)
15時55分から16時55分

近くのローソンで買い物をして徒歩でアプローチ
用水路、自然の谷、耕作地、生い茂る夏草などに阻まれすべては確認できず
用水路といっても大地を掘り込んた最深部では深さは8m前後の個所も
そうかと思えば上信越道を跨ぐ個所ではコンクリートの筐体として陸橋沿いを横断
郭跡は概ね耕作地化を遂げている様子だが堀跡とともに凡その地形が推定できる


なお未確認となった東側の郭跡は針木沢城方面からある程度は観察できる可能性もあったらしいことにあとから気づいた(^^ゞ
しかしそのためだけに再訪するという意欲はすぐには湧いてきそうにもない



ということで、日差しも次第に傾き始め計13か所の探訪は幕引きとなった
単独の城跡めぐりでは、まず午前中の6か所+α程度で撤退の予感
夏場という制約もあり括目する遺構は数多くはなかったが、どうにかこれだけの数をこなせることができた
ご同行、ナビゲートいただいた軍曹さんに感謝

以前は上信越道というと標高1200m近くまで登るため敬遠しがちであったが、車の性能も改善されて軽でもそれほどストレスなく走行できることが確認できた
おそらくこの秋以降も信州方面に赴くことが増えそうな予感がしてきた

拍手[3回]

信濃滞在2日目
当所の予定ではこの日は真田郷が中心
しかし前日に上田城の混雑が予想されたので本日に順延
このため真田郷探訪の時間は昼食後の3時間ほどに限定


上田城(長野県上田市)
午前9時00分から11時30分頃まで

この日は午前9時過ぎに上田城南側の尼ヶ淵にある市営無料駐車場に直行
既に駐車中の車両も見かけられたがこの時間では未だ数台ほど
 真田丸人気の余波などで多数の観光客が集中するとはいえ、このように平日の朝方の時刻ならば見学の方の人数はそれほどは多くなかった

 
尼ヶ淵から見上げた南櫓と西櫓


    復元櫓門と南櫓


    復元櫓門と南櫓


     南櫓付近


  上田市内と塩田城方面


     西櫓付近
   
午前10時を回る頃から次第に本丸内が込み始めてきたので、家内は同所の博物館に赴き見学と休憩
小生の方は西側の土塁と堀跡などを確認
同じ城内でも花木園となっている二の丸土塁、堀跡付近では観光客の姿は皆無に近いものがある
ようだ


一旦そのまま徒歩で城外へと退出し浄土宗芳泉寺へと向かった

◎歴史の散歩道(長野県上田市)
芳泉寺へと向かう途中に整備されているこの小道は日陰にもなり大変有難いものがあった

    歴史の散歩道

◎浄土宗芳泉寺(長野県上田市)
午前10時40分から11時00分

云わずと知れた「小松姫」(信之正室の菩提寺)
観光客はおろか一般の参詣者も皆無であった
墓所は本堂の裏手辺りで本堂脇から境内墓地を通り右手の築地塀の潜戸から参詣
ほかに仙石氏、松平氏の墓所も併設されている


参詣後は、ふたたびもと来た道を辿りつつ本丸の北側を抜けて城跡二の丸北虎口へと移動


  本丸北東の隅欠き部分


   二の丸北虎口付近


  百閒堀の石樋跡(通水管)


伝・中屋敷(長野県上田市)
11時30分から11時35分

近世の古地図に記されている屋敷跡だが経緯不明
規模は約1町四方で現在の市立清明小学校付近に相当するものと推定される

     中屋敷付近

藩主居館(長野県上田市)
11時50分から12時10分

上田藩主真田信之が関ヶ原合戦後に沼田から移り居住したとされる居館跡で、現在は上田高校の敷地となっている
約150m四方の方形を成し東側を中心に表門、土塀のほか土塁と水濠などが残存している

    藩主居館の水濠

水濠の画像を撮影していると、なぜか複数の亀が大挙してわらわらとこちらへと移動してきたのであった

   水濠に生息する亀

このあと、再び東側大手方面から城内に向かい二の丸堀跡を見学の後、二の丸東小口から再々入城し家内と落合い、西郭脇から駐車場へ戻り旧真田町方面へと車移動


真田氏館跡(長野県上田市)
13時55分から14時35分

複数存在している真田氏の館、屋敷跡のひとつで明確な土塁と小口などが遺されている
家内を駐車した真田氏歴史館に残し、徒歩にて館跡を4分の3周

    南側内枡形付近

丘陵地帯であるため、この個所からも砥石城方面の眺望は優れていることを確認
 
顔出しスポット(左端に砥石城)


真田氏本城(長野県上田市)
14時50分から15時15分

真田氏館跡から車で北東へ移動
城跡近くまで車で行けることから、平日にもかかわらず数組の観光客がおいでになっていた
駐車スペースも以前より増えて約18台収容可能
70歳代の年配者のグループやスカートの女性なども来訪
下草狩りも行き届き、綺麗なトイレも併設されまさに至れり尽くせりの整備

   推定堀切跡とトイレ

城跡そのものは舌状台地地形を利用した縦長の3郭構成で比高差は約100mほど

    城跡入口付近


    松尾城方面か?


     四阿山方面


  耕作地跡か削平地跡か?

ここからも砥石城を含む周辺の見通しは良好

 砥石城方面(画像中断やや左)


    天白城方面

城域はそれほど広くはなく、郭部分に籠城できる人数は数十人ほどが限界の広さ

     主郭土塁下

 
   主郭小口へのルート


  主郭と土塁(櫓台?)


   2郭から主郭方面


  3郭と2郭の接続部

3郭の北側先端から降りるべきルートを探したものの、夏草などで委細不明

    3郭先端部


このあと午後4時過ぎには往路同様上信越道経由にて帰宅
途中事故と故障車の関係で最長15kmの渋滞に嵌るも休憩時間を含め3時間少々で自宅到着
あらためて佐久、小諸、上田方面の近さを感じ、晩秋から初冬、早春から晩春頃の再訪の思いがつのった

拍手[4回]

前回日帰りで長野県を訪れたのはもう7年前に
本来の目的は亡父の遺品である戦前の絵葉書等の寄贈
このため寄贈先の軽井沢町と隣の佐久市を訪れただけで帰宅

7年後の今回も家内の美術館見学のついでのようなもの
従って一泊2日とはいえ、城館跡めぐりはあくまでも付足しに


◎生島足島神社(長野県上田市)
午前8時55分から9時30分
武田氏家臣団の起請文で著名な神社
「子育て」祈願もあることから参拝

  水濠に囲まれた境内


◎無言館(長野県上田市)
午前9時45分から
「館」名は付けられていますが、あくまでも「美術館」です
戦没画学生慰霊美術館の本館、別館オリーブの読書館、デッサン館などを順次見学
数多の有為な人材が失われたという事実とその背景を、戦後に生きる人間としてあらためて重く受け止めることとなった

      無言館


◎塩田の館(長野県上田市)
午前11時05分から11時40分

名称が紛らわしいのですが、いわゆる「城館跡」ではなく、あくまでも観光案内所兼休憩所兼蕎麦やさん(北条庵、この塩田の地に鎌倉北条氏一族が居住したことに因む店名)です ^^

     塩田の館

ここで蕎麦と山菜?天ぷらで昼食

    皿蕎麦と天ぷら


女神山城(長野県上田市)

むろん遠景撮影のみ
この時季に比高差200mの急登する気力はなし(^^ゞ
敢えて真田氏の幟旗を避けて、うどんの幟旗を入れて撮影してみた

   女神山城の遠景

 
◎前山寺(長野県上田市)
12時20分頃

当初の予想通り時間に余裕がなくなり山門から参詣して移動

    前山寺山門

門前の「野菜等直販所?」で熟睡していた看板ネコ

      爆睡中


塩田城(長野県上田市)
12時45分から13時15分

石垣の手前まで赴いたのですが、経験上から何やら雰囲気(大型哺乳類?)が怪しく撤退
遺構を前に撤退したのは10年ぶりくらいです(^^ゞ

 公道沿いからも見える城址碑

 空堀の近くで無装備の中年カップル(サンダル履き)の方が、登山道を進もうとされていましたので、お節介ながらご忠告申し上げたところ即座に撤退されました
因みにご忠告の内容は「クマ出没の可能性、云々」(入山装備不十分な方々へのご忠告はこれが一番納得していただきやすいようです)です
この辺りに頻繁に出没するかどうかについての詳細は把握しておりませんが、北方の砥石城近くの太郎山山系ではこの夏の出没事例が頻発しています

このあと実際に谷沿いの登山ルートを登り始めると、異様な雰囲気の景観がつづき、「クマ除け鈴」と「ラジオ」くらいでは効果が無さそうな印象を抱き、小生も石垣遺構の手前付近でUターンを余儀なくされました。

  小口石垣群の手前付近

年齢的に最早この比高差と斜面は登れません(^^ゞ
 
   塩田城付近の山稜


◎龍光院(長野県上田市)

こちらも残り時間の関係で山門前から参詣するに止まりました。

岡城(長野県上田市)
13時50分から14時30分

外郭の堀跡は比較的よく知られているようですが、宮坂氏の著書にも記されているように主郭北西部の堀跡もある程度良好に残存していました。

    北側の外堀跡


    北西部の内堀


浦野城(長野県上田市)

遠景のみの撮影



◎上田原合戦古戦場(長野県上田市)
15時15分から16時50分

上田原古戦場公園


    小島権兵衛墓所


 屋代源吾墓所と須々貴城方面


    屋代源吾墓所


   板垣信方墓所(板垣神社)
  背景の山は虚空蔵山城方面


    雨宮刑部墓所


    無名戦士の墓


   石久摩神社の石碑


     伝・信玄道

の順で徒歩にて探訪して本日の任務完了

以上のように、日をあらためて訪れる際の目安とするために遠景を撮影しただけの城館跡が数か所ほどはあった
しかし加齢に伴う体力の衰え、等高線の混み具合とその比高差、クマとの遭遇の可能性などを勘案すると遠景のままとなる公算は限りなく大きいものがあると感じざるを得なかった

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今日は旧盆の挨拶を兼ねて妻の実家へ
その前に妻の叔母宅を訪問
妻の実母はもう14年前に亡くなり享年71歳
妹であるその叔母もすでに78歳に
小生とはちょうどひとまわり違いの兎年生まれ

一方、家内の実父は満88歳
耳は大分遠くなっているものの未だ基本的に一人で自活中

そろそろ己のことを含め来年のことが予測できない年代へと差し掛かってきたらしい
逢えるうちに遭うべき人々に逢う、そんな日々が続いている

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先月の20日過ぎ頃から毎日10分前後少しずつ庭の草むしりを開始
持病の腰痛に留意し毎回ほんの少しずつの展開
庭といっても正確には家の周りの僅かな隙間
それでも面積は約50平方メートルほど
最後に南天、アオキ、ブルーベリー、ヤツデ類の木本を剪定し漸く先週末に完了

ところが二、三日前から背中から腰にかけて違和感発生
歩くと鈍痛もあるような
このため日課の草むしりはパス
現在背中を冷湿布中
そういえば今朝は腰の辺りの痛みで目覚めたようにも (^^ゞ


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