本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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1週間ほど前頃から全身に掻痒感が蔓延しております。
このため体のあちこちに掻き壊し跡が点在中です。
またしばしば就寝中に掻きむしっているようでもあります。
多分に加齢に伴う皮膚組織の老化てようにも思われます。
現在のところでは市販薬の抗ヒスタミン軟膏で対処しているのですが掻痒感について劇的な改善は見られません (-_-;)
ただひとつ気が付いたのは、どうも掻痒感の激しい折には花粉症の症状が消失しているように感じているということであります。

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1月下旬頃からの花粉症に加え2月の末辺りから風邪症状のためにここ暫くは動けないでありました。
加えて世情でのコロナウィルス騒動もあることから、なかなかおいそれと単独では外出するような気にもなれずにいたようなところでありました。
そうしていた折に今回も 史進さんのお誘いをいただき先月に引き続いて霞ヶ浦方面へ。


〇しし土手(茨城県かすみがうら市西成井上宿辺りか)
午前9時20分から9時30分

国道354線から県道141号線へ入り最初の目的地である宍倉城へと向かう途中で、とても目立つ「史跡しし土手」の標識が目に入りましたので立ち寄ってみることになりました。
耕作地の脇ではありましたが、一応土手沿いに進むことのできるスペースがありました。
土手の高さは約2メートルから2.5メートル、長さは少なくとも100メートルを超える規模がありそうなことを確認しました。
消防署の位置から見ますと南東方向にあたり県道141号線北東沿道となります。

  「しし土手」の上部


宍倉城(茨城県かすみがうら市)
午前9時40分から10時30分

近所には駐車スペースが見当たりませんでしたので、近くのお寺の駐車場を拝借しました。
近世に入り陣屋として機能していた可能性もあるらしく、陣屋構えの部分と半島状地形を利用した中世城郭との部分に分かれているようにも感じました。
常陸小田氏重臣の菅谷氏の城とされています。
主郭、横堀などの遺構が現存しています。
下記の画像は主郭北側の横堀状の地形です。



札城(茨城県鉾田市)
午前11時30ぷから12時20分

鹿行大橋の東畔近くの丘陵地帯に所在しています。
丘陵の南端部に相当する普門寺の辺りはその北側部分とは隔絶するような地形を呈しているようにも感じました。
確実な城館としての遺構は松尾神社とその南側の郭部分辺りまでとなるのでしょうか。
常陸大掾氏の末裔である札氏の城と考えられているようです。
下記の画像は松尾神社が所在する北端部の郭から眺めた南側の横堀地形と南側郭の土塁部分となります。



中居城(茨城県鉾田市)
12時45分から13時55分

念仏堀の存在でも知られている鹿島氏一族中居氏の城跡です。
南東部が土取りなどにより湮滅していますが、規模の大きい横堀、枡形状の虎口なども現存しています。
主郭方面から念仏堀と呼ばれている横堀方面のルートは倒竹が酷く足を延ばすには至りませんでした。
下記の画像は主郭北側の枡形状を呈している虎口付近の画像です。



山田城(茨城県行方市)
15時10分から16時10分

常陸大掾氏の末流とも考えられている山田氏の城です。
こちらも主郭の周りに横堀が配された縄張りです。
下記の画像は主郭北東部の横堀付近の画像です。



〇小舟津の土塁(茨城県行方市)
16時20分から16時30分

県道2号線を山田城へ向けて移動中に史進さんが見つけた屋敷の土塁です。
北浦の湖畔に所在し屋敷の北側に位置していることから、近世以降の屋敷囲いの風除けの土塁なのかもしれませんが高さは3メートル前後はあるように感じました。



小貫館(茨城県行方市)
17時00分から17時10分

この日はものすごい強風が吹き荒れたために、上空では雲一つない青空が広がりました。
このため夕刻間近となっても西の空に雲がかかるようなことはありませんでしたので、国道354号線沿いに所在しているこちらに立ち寄ることとなりました。
丘陵南西部の一部に堀と土塁などの遺構が残存しています。
何分にも訪れた時刻が午後5時を過ぎていたころから夕闇が迫り始めてしまい、竹林の斜面に埋もれる堀跡と土塁を一瞥するにとどまりました。



この日はコロナウイルスの影響なども気にはなりましたが、霞ヶ浦近くの道の駅ではお彼岸/祝日ということもあるのかかなりの賑わいを見せていました。
感染の拡大抑止も重要ですが、社会行動の規制/自粛がもたらす経済へのダメージも考慮せねばならず、まさに二律背反となっているようです。
またこの日は既に出発の時刻から風は些か強めでしたが、東西方向にのびている圏央道では北寄りの強風が吹きつけて強風の度合いを示す吹流しは真横に翩翻として翻っておりました。
往路での霞ヶ浦や北浦の湖面は大きく白波が泡立ち最早暴風と表現したほうが相応しいような時間帯もありましたが、日が傾き始めた夕刻の4時過ぎ頃からはようやく強風が落ち着き始めました。

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先月末頃からこの時期ではお馴染みの花粉症を発症中です。
これにたぶん孫から感染したと思われる咳を伴う風邪症状も継続中であります。
元来気管支などの呼吸器系等に難があるので、一度罹患すると少なくとも1か月は継続します。
なお発熱症状の方については全く確認されないので、おそらくは巷に流行している感染症ではなさそうです。
というよりも夕刻の検温でも35度半ばなので寧ろ低体温症傾向であるのかもしれません。
相も変わらずこのような次第なので、先月末からほぼ自宅内待機状態を継続中。
自粛というよりも花粉の飛散により外出自体に支障があるというような按配となっております。

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この日は午前7時前に自宅を出発。
かなり間が空いて城跡巡りは昨年11月以来となります。
年末の風邪罹患以降早々と花粉症の症状を呈していたことにより、この暖冬にもかかわらず冬眠状態となっておりました。
三芳ETCから関越道-圏央道-常磐道経由で茨城県霞ケ浦方面へと移動。


木崎城(きざきじょう/茨城県行方市)
午前9時55分から10時40分


    南側外郭の堀跡

武田氏の傍流とされる一族により築城されたとされている城跡で、丘陵北端部の主郭には香取神社の社殿が鎮座しております。
城内にはこのほか参道西側に民家の廃屋が一軒と南東部には事業所が所在していますが、全体として遺構の大きな改変は無さそうに思われました。
昨夜から続いている雨が天気予報とは異なりなかなか降りやみません。
デジカメ、資料などを携帯しているので可能な限り降雨は避けたいところなのですが・・・
現在でも主郭の北と西側には明確な横堀が回り、本来は郭を囲むように全周していたようにも感じられますが、倒木と小雨模様などのため東側は未確認です。
この堀底は一部倒木などが存在し足元は余り良好とは言えませんでしたが一応通行は可能でした。
やはり一番の見どころは丘陵基部に所在している大規模な外堀(堀幅約15m、切岸の高さは最大8メートルほどか)でしょうか。
遊歩道のようなルートも設置され、小雨模様にも関わらず比較的足元は良好でした。
このほか城跡の南限でもある舌状台地を横断している国道354号線からの比高差は10m以上はありそうな急坂を形成していました。
尤もこの国道の建設工事に伴いある程度地盤の掘り下げ工事が施工されている可能性も想定されます。



野友城(のともじょう/茨城県鉾田市)
午前11時00分から11時20分


   北東の二重土塁

巴川を望む舌状台地の北端部に所在し、北麓からの比高差は約20m弱と余りありませんが対岸の眺望には優れていることが覗われます。
対岸に所在している鹿島氏へと橋頭保として武田氏により築かれたとも考えられているようです。
見どころは主郭北東部の二重ないし三重土塁と、主郭北部の高さのある切岸でしょうか。
なお倒木と藪化のため主郭部への踏査については叶いませんでした。



烟田城(かまたじょう/茨城県鉾田市)
12時15分から12時50分


  氷川神社付近の土塁跡

西光院と旧新宮小学/2019年3月閉校が所在する舌状台地が城跡で、同寺近くの駐車場を暫しの間お借りいたしました。
残存遺構は些か分散しており、氷川神社脇の堀跡と土塁のほか北西部の石祠付近の堀跡、西光院東側の土塁などを認めることができます。



徳宿城(茨城県鉾田市)
13時15分から13時30分

徳宿本郷の集落から南へと伸びている舌状台地に所在しています。
鹿島氏の一族である徳宿氏の築城とされているようです。
比高差も20m弱とやや少なく、大地続きの部分に2条の堀跡が残存していましたが、現在土塁状の地形が確認される北側にも堀切状の地形が存在していたのかもしれません。
竹林の藪が少なくなくやや遺構全体の様子を把握しづらいという印象がありました。


    東側からの遠景



要害城(茨城県鉾田市)
14時00分頃/麓からの遠景のみ

いちおう遺構の方は残存しているらしいのですが、訪れた時点では城跡中心部へのアプローチ方法が不明なため遠景のみの撮影にとどまりました。
後日国土地理院地図、いつもガイドなどを調べてみたところでは、鹿島線を渡る橋まで続く行止まりの道が所在している模様であることが分かりました。


    南側からの遠景



三階城(茨城県鉾田市)
14時10分から14時40分

前項の要害城とは幅約100mほどの谷津田を挟んで向かい合わせとなっています。
三階城の名称の通り、概ね三段から構成される郭群から成っておりました。
比較的整備されており藪も少なく、虎口、郭、土塁などの残存状況は良好でした。


  主郭小口/郭内側から



神明城(茨城県行方市)
15時30分から15時50分

訪れた時点では事前のリサーチ不足などもあったようで、残存地形と本来の縄張りの関連が掴めてはおりませんでした。
アプローチについては南側の国道354線から直接城跡へと続くこの農道を入れば楽なようです。
後の耕作や国道の整備などにより地形の改変が進んではいますが、部分的に堀跡と思われる窪地や郭跡といえなくもなさそうな地形を認めることができます。


     南側から



西館(茨城県行方市)
15時50分頃/付近からの遠景のみ

神明城の西、武田川の北岸に所在している武田氏一族の城館跡と考えられているようです。
南麓には地元旧家が所在していますので、全体としてはその宅地を含めた丘陵地帯において機能していたものなのでしょうか。
北側の公道方面からアプローチする方法があるようにも思われますが、この日はすでに午後4時前となり西の空には厚い雲がかかり遠景からの撮影のみで帰途につきました。

 西館/画像右と神明城/画像左


今回も史進さんのお誘いにより漸く動くことができたような次第でありますが、年々足回りの劣化がすすみ益々鈍亀のような歩みとなってしまいました。

改めましてご同道いただいた史進さんに深謝申し上げます。
さて今シーズンもすでに2月の半ばを過ぎましたが、どうにかしてあと3度くらいは自力で出かけるようにしたいものだと考えております。


注記
このブログはOSの移行に伴うデジカメ画像の取込み方法の模索、画像編集ソフトのテスト、ブログ不具合の改善などのため2月19日に書き起こしております。

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昨年末のパソコン買い換え以来発生していた「ウェブ地図表示の不具合」について、その原因が判明しました。
原因が恐らくはセキュリティソフトである「カスペルスキー」にあるということは分かっていたのですが、そのガードを外す方法がなかなか見つからずこの間いろいろと試行錯誤(例えば動作除外URLなどの設定、ウェブ地図リンクやカスペルスキーのQ&A参照ほか)を幾度となく繰り返しておりました。
それでも相変わらずウェブ地図のリンク先画面は「真っ暗表示」のままであり、当然のことながら当該URL自体についても途中までしか読み込まれてはおりませんでした。

しかし、本日2月10日の深夜0時30分に漸く「プロテクター機能」という項目中の「バナー広告ブロック」のスイッチをコントロールすることにより解決するということが理解できました。
このことに気づいた直接的なきっかけは、別途アクセスカウンター制御画面に表示されていた「バナー広告」の一種が表示されていないということに気が付いたことによるものです。
もう少し早く「バナー広告表示の制御機能」がセキュリティソフトに付随しているということに気が付けばよかったのですが、今までの簡易なセキュリティソフトである「マカフィー」には標準装備されていなかったこともあり、このような醜態をさらす結果となっていたのでありました。

それでも何とか満足のいく解決方法が得られたということは、数えで古希とはいうもののどうにか「認知症の発症」までは多少の時間が残されているのではないのかとも考えられ、上手くいけばあと数年くらいはどうにかパソコンの操作/管理ができそうに思えたような次第であります(;^ω^)

因みに今までに使用していたセキュリティソフトは概ね「ノートン」(比較的動作が重い)「SECURITYゼロ」(価格は安いがあくまでも信頼性は低い)「マカフィー」(更新頻度に大きな問題)という順序であったと記憶しております。

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