本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新CM
(07/01)
(11/09)
無題(返信済)
(12/17)
(10/13)
(03/22)
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
性別:
男性
職業:
定年を過ぎました~
趣味:
「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
アクセス解析
フリーエリア
[32] [31] [30] [99] [29] [28] [27] [26] [25] [24] [23]
江ヶ崎城のコスモス
「江ヶ崎城」の秋桜の花
2006/07/31 撮影 晴れ

1ヶ月以上も体調を崩してしまったことと梅雨時でもあったため、6月19日以来の事実上今月初めての訪城を敢行。
この1月以上の間は、運転時間はせいぜい片道40分が限界という情けない状況。
しかし、合計4時間近いと思われた運転自体は目出度く何とかクリア。

凸閏戸吹上遺跡 11時30分~正午
 老人保健施設の建物建設に伴い堀跡と井戸跡などが発掘により確認された中世城館跡とのことのようで、「埼玉の中世城館跡」などにも掲載されていません。
不勉強のためそれ以上の詳細な情報は入手していません。
この場所も東北新幹線の高架橋から僅か150メートルも離れていない見沼代用水が直ぐ西側を流れる綾瀬川の低地をのぞむ台地の西端に所在しています。
現在の台地と水田面との比高差は最大で5mほど。
施設の南側に続く平地林の中が気になり、至る所に張り巡らされた蜘蛛の巣をかき分けて人工的な地形の有無を確認しようとしたものの特にこれといった成果は得られず仕舞いに。
この付近は古墳時代中期の住居跡も検出された複合遺跡らしく、確かに西側に広がる低地の見晴らしは頗る良さそうでした。


凸馬場堀ノ内 12時15分~12時35分
 蓮田市立黒浜小学校の南側の谷津を挟んだ対岸に所在すると思われる城館跡。
別名を野口氏館、新井堀の内などとも呼ばれているようです。
近くのファミリーマートで「午後の紅茶レモンティー500ml」と「ジューシーハムサンド」を購入。
徒歩にて黒浜小学校の南側の細い公道を西へと向かい、途中舗装道路と別れを告げて低地へと下る細道にすすんで行きました。
すると目の前にいかにもそれらしい約比高5mほどの差鬱蒼とした平地林の台地が出現。
さらに堀跡かどうかは全く定かではありませんが規模の大きな水路跡も台地の右手に現存。
これで土塁跡の痕跡でも確認できれば喜び倍増なのですが、残念ながらそれほどものごとは都合よく展開するには至らず。
台地手前の近年のものと思われる盛り土が気になるものの中世初期頃の館跡の立地条件には相応しい環境を備えているようでした。


凸江ヶ崎城 12時45分~13時50分
 城趾近くのセブンイレブンで「濃い目の伊右衛門500ml」とツマミを購入。
駐車した場所の近くには「江ヶ崎城」の看板と立派な石碑が所在。埼玉県知事に就任する以前の参議院議長だった某政治家の揮毫によるもののようでした。
上部には蔦がかなり絡んでいたので、流石にこれでは一見何の石碑か分からない状態。
そっと石碑に絡み付いている数本の蔦を取り除かせていただくことに。
城跡の外郭部のそのまた外側の道を時計回りに一周して、東側の水田地帯の低地部分からその遠景を撮影。
北側の造園業を営んでいると思われるお宅の道路沿いに見方によっては土塁跡のようにも見えなくもない地形が所在。
流石に撮影するのは憚られましたが、脇の方から拝見すると竹林の中に平行して堀跡状の溝のような地形も見え隠れ。
外郭部分の遺構にしてはやや北側に寄りすぎているので、近世の名主階層の屋敷の構堀のように年代的には新しいものである可能性もあるような。
地形的には比高差は3mに満たないものの北側と東側に低地が広がり、南側には用水路が流れるという半ば独立した大宮台地の一部となっていました


体調は概ね回復しているものの体力自体が相当低下していることが予想されたので、訪城した城館数も3ヶ所に抑えて炎天下とはいうものの合計の歩行距離は僅かに5km足らず。
それにも拘らず、最後の方はやや歩き方も覚束なく息も絶え絶えに(^^;
この後、近くの久伊豆神社に出向く予定でしたが、後日のことを考えて断念を。
暑さには特に弱い性質、当面は一日当たりの訪城数をできるだけセーブしながら、気長に体力の回復を目指さなくてはと感じた「城館めぐりの復活」なのでありました。

拍手[0回]

Comment
Name
Title
Color
Mail
URL
Comment
pass
蓮田市の城館について
かれこれ三年ぐらい前になりますが江ヶ崎城と閏戸堀の内は訪問した事があります。
江ヶ崎城は中心部こそ団地造形で破壊されてしまいましたが、団地北側の竹林に土塁らしきものがあったので、郷土資料館へ確認しに行ったところ、たくさんの資料をいただいたのを思い出します。そこの職員の方の話によれば北隣の白岡町篠津の久伊豆神社に白岡氏の館跡があったらしいという事を教えていただきましたが、こちらに赴かれようとしていたのでしょうか?

またの訪問記録を楽しみにしております。
武蔵国入間郡の住人 儀一 2006/08/12(Sat)06:55:17 編集
Re:蓮田市の城館について
管理人の塚越です。
コメントありがとうございます。

先月の7月末に訪れた江ヶ崎城東側の休耕田には早咲きのコスモスが群落を形成していました。
写真のオレンジ色のものはたぶんキバナコスモスの一種かと。

持病の呼吸障害は一段落したのですが、なぜか今度は「じん麻疹」が2週間くらい前から活性化し今月8月はいまだ未訪城のまま。
若いときにはとても考えられないような虚弱体質に変貌を遂げつつあります。

さて元荒川周辺にのみに集中的に所在する久伊豆神社の由来については歴史的にも不明な部分が多いようですが、いずれのものも中世の在地領主との関わりが深そうに思われます。
そうした部分を含めてトボトボと回ってイメージを膨らまそうと企んでいる次第です。
蓮田市の資料館の前はすでに3回ほど通過していますが、月曜休館のためまだ訪れることができません。
近々併せて出かけてみようと思っています。

暑さの折、ぐぐれもご自愛ください。
【2006/08/13 15:25】
Trackback
この記事にトラックバックする: