本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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最近右膝の関節の具合が芳しくないこともあり、右足を庇うあまりどうやら左足に過剰な負担が。
このため睡眠中に、しばしば左足脹脛の痙攣を発症。
かような次第で本日も左足の筋肉に明らかな張りが。
従って漸く出動できたのは午前11時前という、我ながら呆れるほどのだらしなさを引きずって訪城開始..(汗)

「五厘沼南の羽尾裏郷の遺構」 (比企郡滑川町)12時05分~13時00分

「五厘沼」の近くには7世紀初期頃の古墳時代後期のものと推定される滑川町の指定史跡とされる古代の登窯跡が所在。
また「五厘沼」自体も考古学的調査からほぼ同時代のものと推定されています。(「羽尾窯跡発掘調査報告書」1980/滑川村教育委員会)
この南側に所在する舌状台地は北東部で稜線に繋がる地形ですが、その部分を除けば北には古代からの「五厘沼」が所在。
東西方向・南側は切り立った斜面を有し、比高差25mほどのほぼ独立した丘陵を形成。

北側の沼池側からは山頂を目指すこと僅か3分ほどで到着。
所有者の方が時折下草刈りなどの整備をされているらしく、歩きやすいことこの上なし。
山頂へ向かう途中には池跡のような不詳の大穴、稜線に並行する幅1間ほどの曲がりくねった溝跡などが所在。
山頂には地元の氏神様と思われる稲荷神社らしき祠が所在。

まさかこれ以上何もあるわけは無いはずと、その裏側を探索すると2間四方で深さ1.5m前後の窪地が。
倒木の伐根跡にしては些か不自然な地形で..
はて、どこかで見かけた地形だと思いを巡らせば、気のせいかもしれないと考えつつもいわゆる枡型小口を髣髴とさせるような形状..
何れが大手口か搦手口かの判断はできかねましたが、まさかこのような無名の丘陵地帯でこのようなものに遭遇するとは俄かに信じがたいものが。

また、溝状の地形は南側にも所在。
然しこれはかつての里道の可能性もあるような。
なお、北東側の斜面には腰郭状の平坦地も所在..これも多分気のせいかと(笑)
ただし、唯一の地形的な弱点である北東部分の尾根筋に堀切・横堀などの形跡は見当たらず。
元々何も見当たらないことを前提に訪れただけに、意外な遭遇に欣喜雀躍..


五厘沼南の羽尾裏郷の遺構
五厘沼南の羽尾裏郷の遺構
2006/11/18 撮影 晴


「羽尾大沼」 (比企郡滑川町)13時10分~13時30分

「羽尾大沼」付近の丘陵地帯を探索。
現在は羽尾大沼の西岸には「森林湖霊園」の墓苑が所在。
このため南側と、東側を散歩がてらに徘徊。
結果としては、「柳の下に泥鰌」はそうそう棲息していないことが判明。

ついでだったので、確実に畑の根切りと断言できる溝跡などを検証(笑)
なお、沼の南側を迂回する山道にて、枯枝に足をとられて見事に前倒しに。
幸い最初に着地した右膝には、山城バージョンの3重サポーターががっちりと保護。
まさに「転ばぬ先の杖」の例えを実践..


羽尾大沼
羽尾大沼
2006/11/18 撮影 晴


「羽尾愛宕山」 (比企郡滑川町)13時40分~14時20分

愛宕山の中腹に羽尾神社に一度は合祀されたものの、地元の人々の篤い信仰により復活を遂げた愛宕神社が所在。
民家裏の参道をとぼとぼ上がって行くと立派な鳥居が..いや、それ以上に空堀としか表現のしようが無い幅2間不可さ2m近い大きな溝跡が所在。
堀跡状の地形の上部には腰郭状の小規模な平坦地も確認できるような按配で。
愛宕神社の所在地自体も腰郭のように見えなくも無い地形。

ではいざ本郭目指して、山頂へと藪をかき分けて100mほど北進。
周囲の地形に気を配りつつ、もうひとつのピーク手前の鞍部まで進んだところで柊などの棘を有する植物群と篠竹などに前進と視界を阻まれすごすごと退却の仕儀に。

このあと天神様の石祠の手前の下り坂にて勝手に両足だけが前進..つまり尻餅。
愛宕神社には参拝したものの、天神様を省略したのがいけなかったのか道真公は執念深いというか..
然し、このときも最初に着地した右手には、突き指の後遺症のため予めテーピングと厚手のサポーターが装着。
岩肌に直接手を突いたものの全くの無傷。


羽尾愛宕山
羽尾愛宕山
2006/11/18 撮影 曇


「岡部氏陣屋」 (比企郡滑川町)14時25分~15時20分

今回の訪城の中で僅かな伝承とはいえ、遺構らしき存在が唯一期待されるのは曹洞宗慶徳寺の境内地。
前の3ヶ所とは異なり所在地を捜索するような不安材料も全くなし。
加えて開基とされる旗本2千石岡部氏の陣屋跡との伝承も。

寺院の山門前の空きスペースに駐車し、境内の東側に所在する「加田の寺沼」から画像収集。
滑川町の資料によれば本堂が本丸で、薬師堂が二の丸などという伝承もあるような。

確かに薬師堂の所在する台地は比高差8mほど。
薬師堂の奥には高さ3mほどの櫓台状の人工地形の上に小祠が所在。
本堂などの境内地は三方を沼池と台地に囲まれた地形。
境内地の北西方向には郭状の地形を有した畑なども所在し、妄想は何処までも果てしなく広がって行くのでありました。


岡部氏陣屋
岡部氏陣屋
2006/11/18 撮影 曇


僅かな民俗学的な伝承と地形的な特徴などという頼りない情報で出動した割には、何と「75%」の確率で「遺構らしき存在」(多分に思い込みの可能性大)に遭遇するというとてつもない幸運に恵まれ、途中で2回ほど転倒したことなどは些細な事象に。
然しよくよく地理的な条件を考えてみれば、元来が蛇行する市野川北岸のかの有名な「杉山城」を始めとして「羽尾城」「羽尾堀の内」「水房館」など比較的有名な城館跡が所在する地域。
丁寧に探せば学術的裏付や歴史的評価などは別にしてもそれなりの成果が出てくるような必然性が内包されているのかとも思う次第で。
また、今回彷徨した地域は結果的には「羽尾堀の内」の周辺一体。

なお、地理不案内な地帯だと思いつつ彷徨しておりましたが、後々よく考えれば義理の妹の嫁ぎ先から1kmと離れていない南側の丘陵地帯なのでありました(笑)

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伝承も無さそうな城館探訪
いいですね~、巨大な遺構がある城館を見たときは興奮しますが、こちらの場合は好奇心をそそられます。

私も「城山」や「中丸」などといった地名が残っているだけでその周囲を探索してしまうので、とても楽しく拝見させていただきました。
資料や情報が少ない分、探し甲斐がありますね。その分遺構らしき地形を発見したときの喜びはたまりません。

私も怪しき場所を探訪し、その遺構に類似した地形を見て自己満足したいと思っております(笑

この度の探訪お疲れ様でした。
武蔵国入間郡の住人 儀一 2006/11/19(Sun)08:23:33 編集
Re:伝承も無さそうな城館探訪
早速のごコメントありがとうございます。

地形と僅かばかりの伝承を頼りに、晩秋の沼地でも撮影しに行く心積もりで出かけました。
自分で言うのもおかしな話ですが、滑川、嵐山などの比企丘陵にはこうした謎の「遺構」が時折ひっそりと佇んでいるものなんですね。
関越道の建設と相俟って、ゴルフ場や、墓苑の開発が行われる以前にはどれほどの「遺構が」実在していたのかと悔やまれてなりません。

今回実際に訪れてみて、無名の城館跡の佇まいに強い関心を寄せる儀一殿のお気持ちがほんの少しだけ分かってきたような気がいたします。
そうそう「柳の下」の事例には遭遇しないものとは考えておりますが、今後も当分はクマ騒動のこと考慮して当分関越自動車道、圏央道の東側の比企丘陵地域を迷走する予定です。
【2006/11/19 09:55】
名も無い城探し
こんにちは!
無名の城館探しをする期待と興奮が伝わってくるような文章ですね。
何も無い、でも何かあるかもしれない、そんな気持ちで現地を歩き回って、それらしい地形を見つけて、誰もいない雑木林の中でニターッとする瞬間。城歩きする中で至福の時ですね。滑川界隈は比較的最近に発見された城もあって、まだまだ探せば何か出てきそうな宝箱みたいですね。

当方は再び群馬遠征です。前日までは八高線に乗って児玉から寄居までの間の城館を巡ろうかと思っていたんですが、早暁、突如として金山城へ向け進軍しておりました。まるで上杉謙信のようです(笑
復元とはいえ、石垣の連続には満足しました。尾根続きの砦にも足を伸ばしたかったのですが、遊歩道に沿って行ける1箇所だけでやめておきました。全部見ようとしたらとても冬の1日では無理かと思われます。3時ぐらいでかなり日が傾きますので。
面白かったのは鶉小城。名前の可愛らしさもあって前々から興味のあった城ですが、その名の通り野鳥の楽園でありました。周囲をすっぽり湿地で囲まれているんですね。とてものどかで良い風景でした。鳥の名前とかもっと詳しければ、さらに楽しめたんでしょうねえ。生憎、ハト、カラス、スズメ以外は全部同じに見えるぐらい鳥の名前には疎いもんで・・
モナー 2006/11/19(Sun)18:14:30 編集
Re:名も無い城探し
コメントいただきありがとうございます。

>何も無い、でも何かあるかもしれない、そんな気持ちで現地を歩き回って、それらしい地形を見つけて、誰もいない雑木林の中でニターッとする瞬間。城歩きする中で至福の時ですね。滑川界隈は比較的最近に発見された城もあって、まだまだ探せば何か出てきそうな宝箱みたいですね。

当りです。
全く人気の無い民家の裏山で一人「ニャッ」としていました(笑)
ご存知のように市野川北岸の丘陵地帯は関越自動車道の建設を始めとして、ゴルフ場や、墓苑の開発により大幅に地形が改変されています。
しかし、丹念に踏査すれば未だ何某かの遺構が確認される場合もけっして皆無ではないのかもしれません。
尤も、今回の場合は贔屓目に見ても思い込み90%という感触ですが(汗)

群馬遠征お疲れ様でした。
八高線などの鉄道を利用する城跡めぐりは、また一味違うものと推察いたします。
群馬方面も何れは出向きたいものと思い立ち、「群馬の古城」(山崎 一/著)などを揃えてはいるのですが、なかなか地元から離脱できずにいます。

また車の場合は確かに便利ではあるのですが、小生の場合は特に目標物のみに目を注がれてしまい、案外周辺の地形などの特徴を見落とす場合が多いもので再訪することもしばしばにて..

「金山城」は必ず一度は訪れたい場所です。
尤も自分の場合だと2泊3日くらいのスケジュールでも組まないと回れそうに無いので、定年後の楽しみにとっておこうなどと(笑)

またのお越しをお待ちしております。
【2006/11/19 21:43】
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