本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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史進どのよりの情報にて「ふくしま紀行 城と館 武者たちの舞台」(上下巻/各2500円/福島民報社刊)を購入。
地方小出版の流通ルートには乗らない直販スタイルで、アマゾン、楽天、ジュンク堂の何れも取り扱いなし。
上下巻(各313ページ、オールカラー、B5版)で合計130か所ほどの城館・陣屋などが掲載。
平成15年3月から19年2月までの間福島民報に連載されていた記事を創刊115周年紀念事業として単行本化したもの。

奥羽地方城館の専門家の鈴木啓氏らが監修し、地元新聞社ならではのニュースソースに基づき記述。
情報としての新しさに加えて、単なる城郭本にとどまることなくその歴史的背景などをふくめて多面的な角度からアプローチし、かつ遺構の現存状況もある程度詳述。

福島民報社のサイトからメールで購入申込むと、送料込みで5300円(+ATM郵便振替80円)
「日本城郭大系」の情報も大分古くなり、「福島の中世城館跡の報告書の復刻本」の高額な事情などに照らせば、福島の城館探訪をするには手軽で役立つ必読書の最右翼かとも。
高いか安いかはその人の価値判断によりますが....
まるで、福島民報社の宣伝をしているようなブログになってしもた。

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先程までやむを得ない事情により久しぶりに部屋の片づけなどを。
理由はトップヘビーとなったドラセナのハイドロカルチャーが転倒。
このため炭を練りこんだ大量の小さなハイドロボールが床に散乱。
水気は殆ど無かったものの1時間以上もかかることに....(苦笑)

この際なので、縦積みの本も整理整頓。
参照することはなさそうなものを1階の物置と化している書庫に60冊ほど移動。
然し、足があまり言うことを聞かないのでこれがなかなか大儀に御座いまする。
大体整理したつもりでも、どうしても横積みの本が目立つのでありました。
余り片づけ過ぎてしまうと、今度は探す手間が増えそうで想像しただけでも恐ろしく....(汗)


天井までの本棚
天井までの本棚(約400冊)


机の上の本棚
机の上の本棚(裏側含めて約200冊)


このほかに厚みのある事典・郷土史関係などの本が別に100冊ほど。
安全を考慮して壁際に転倒防止器具と共に設置してあるとはいっても、荷重計算をするのが怖いのでありました。
あ、お徳用ポテトチップスの段ボールはビッグAで昆布茶、アクエリアス、野菜ジュースなどを購入した時の運搬用にございますれば、けっして常日頃ポテトチップスを貪り食っているわけではなく....(笑)

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3月から「太平記」(口語訳)と底本とされた「太平記」(新潮日本古典文学集成)を併読中。
未だに全5巻中の第3巻後半という超スローペース。
「太平記」(口語訳)には全く脚注がないので、人名の解説、誤記、表現、異本などについては「底本」を参照せざるを得ず。

加えて「関東管領上杉氏」「三好一族」「新田氏」関係も併読。
このため同じ個所を何度も読み返すことも度々発生。
その合間に時々「植物図鑑」のHP更新などを。
「城館の更新は如何に!」
「いずれ、そのうち折を見て...」(使い古した台詞のような)
老眼の進行、キーボード操作効率の低下などと併せると、これでは進むものも進まぬはず(苦笑)

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史進殿より都下市町村の郷土史のブックフェアが行われるとの情報を賜り、電車を乗り継いで立川市へ。
平日の午後のため客層はご年配の方が目立ち、某などは寧ろ若い方..と思うことに。

事前にチェックしておいた頒布リストを元にして一通り現物を確認。
「てくてく・みたか」「立川の歴史散歩」「ブックレット千人同心」「五日市の古道と地名」「くにたち歴史探訪」「新版府中市の歴史」「青梅を歩く本」「青梅歴史物語」「青梅市の中世城館跡」「図説調布の歴史」「福生歴史物語」「文化財地図 青梅」以上12点を購入。

同程度の書籍でも、版元の市町村により価格設定が大きく異なるというのもなかなか興味深く。
しかし郷土史資料集で1冊一万円というのは常軌を逸しているような印象も。
在庫過剰のものは、この際期間限定のバーゲンブック扱いにした方が余程財政効果がありそうな。

小冊子を含むとはいえ12冊が詰まった二重の紙袋は次第に重力が増加。
帰りの中央線では滅多に座ることのない電車の座席に座ったのが間違いの元。
購入したばかりの資料にのめり込み、国分寺まで乗り過ごしてしまったのでありました。

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神流川沿いの戦国期中世城郭を巡る戦い。
この辺の歴史的経緯に関する基本的理解が全面的に不足していることを痛切に感じる昨今。
このため臆面もなく泥縄式俄勉強の真最中にございまする。
こうした無理解が、しばらく金鑽御嶽城を敬遠していた理由の一端でもありまする

そうしたなか関東管領上杉憲政失脚の契機となったとされる天文21年(1552)2月の金鑚御嶽城の攻防の話題。
通説(俗説の要素もあるような)では山内上杉氏支配下の安保全隆父子が数千の兵で立籠もり、これを後北条氏側が数千騎の大軍で攻め寄せて城兵数千人を討取ったとされています。

基本的な疑問として、まず挙げられるのは双方の兵力数。
とりわけ安保氏側の兵力の総数。
根小屋である麓の城下を含めたとしても、まず数千人が起居できる広さを有してはいないこと。
現実に狭小な尾根筋を利用した山城である御嶽城に籠れる兵力は、谷筋に展開する平場を利用したとして多くとも数百人程度が限度であると考えられます。
数千人が討死を遂げたとの部分については「太平記」のようなものと理解すれば片付けることもできますが、数千人という兵力については、半ば当時の上野国全体の動員兵力に相当する規模に符合するものと推定されます。

この通説の根拠の一つに、後に身延山第15世となる日蓮宗の僧侶日叙の「仁王経科註見聞私奥書」(身延文庫蔵)という史料が存在しています。
これによりますと、この写本の奥書に記された内容は上野に居住していたとはいえ、基本的には戦火を避けた「疎開先での伝聞」に基づくものであるという性格を有しているものと考えられます。

次に数の多いさまを表現する場合に、「数千」という比喩的な表現を多用しているという特徴が窺えます。
具体的には僅か六百字ほどの奥書の文中で、「北条氏康が数千騎を率いて攻め入った」、「数千人の城兵は一人残らず討死を遂げた」、「雑兵もまた数千人が水の手を切られて渇死した」、「戦火を避けて数千人が利根川の中州に避難した」などとの記述が頻出していることから、どうやら「数千」という数値が具体的数字を示す表現ではないものと考えて差し支えないように思われるのであります。

さらに「金讃山が戦火のため一宇もの残さず灰燼に帰した」という旨の記述があります。
この点については現在国の重要文化財に指定されている金讃神社多宝塔建立時期は天文三年(1534)とされていることから、些か歴史的事実とは齟齬をきたすと考えられる記述も含まれているようです。
何れにいたしましても、この史料を引用する場合には、こうした以上の諸点に留意する必要があるものと考えられます。

また後に武田信玄が西上州に侵攻し御嶽城をもその手中に収めた時に認めた、「甲斐・信濃の人数、千余りを城番として在城させた」という旨の太田資正宛の書状が存在しています。(「太田文書」)
しかし、「某町史」等では以上のような数値をそのまま引用するだけではなく、「甲斐・信濃の人、数千余り」と解釈しているとしか思えない旨の記述があり、泥縄俄勉強の身としてはこの結果的にますます頭が混乱してくるのでありました。

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