本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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♪♪ 「春がきた、春がき~た、どこにきた~」「腹にきた、足にきた、脳にも~きた」♪♪ 

月曜日の振替休みを先取り。
曇天で春霞の陽気のなか、性懲りもなく群馬遠征の一環で藤岡市南西部の鬼石方面へ。
前日目覚ましは午前6時前にセット。
ところが前日就寝した時間はすでに午前1時過ぎ。
旅行帰りの家内の話を聞いているうちから既に目算に狂いが..

さて、目覚ましはしっかりと午前6時前に電子音を発信。
ふと目覚めたところまでは順調に推移。
しかし脇で「押しくらまんじゅう」状態で気持ちよさそうに微睡んでいる2匹のネコの姿がふと目に入り。
この上なく幸せそうな表情に加えかすかな寝息も耳に入り起こしては気の毒と思い。
少しだけのつもりで2度寝を決め込んだのが間違いのもと。

次に目覚めたのは、すでに午前8時過ぎ。
このような次第で、本日目標4か所の山城探訪には早くも暗雲が漂うことに。
加えて、途中で腹の具合が思わしくなくなり。
現地に到着した時点では正午過ぎとなり、急遽2か所に計画を縮小。
しかも最終的には1か所+アルファに終わり、右足首2回捻挫のおまけつきも(痛!)

昨晩はスタンドの電球が以前から眩しすぎるので、小さめの電球に交換すべく2階から下りた途端に、このことを頭から完全に消失。
しばらく思い出そうとするものの全く記憶が蘇らず。
再び2階へと戻り、しばらくHPの更新作業をしていてようやく思い出すという始末にて。

尾ノ窪城(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午後12時10分から14時30分
途中の未舗装の林道が思いのほかの難路。
オフロード用のモードを使用したのは今回が初めて。
普通車での登攀は常識的に考えると危険かつ無謀。
大型の四駆ならば登攀自体は可能かも。
しかも幅員が3mほどの個所もあり、谷側の路肩は余り強固とはいえない様子。
このため、峠の手前の平坦なスペースで駐車して徒歩にて探索開始。

元々桜山公園へのハイキングルートなので歩く分には極めて快適なルート。
しばらくハイキングコースを西方に進み一旦北側に迂回したあと、ハイキングルートに別れを告げて峠西側の標高409mの平坦な山頂へ。
平坦な山頂を縦断する整備された幅員2.5mほどの道を150mほど南進。
古い轍が残る林道はそのまま山頂の南側で大きく迂回して西方へと続いている模様。

城跡が所在するのは山頂から派生する一番東側の尾根筋の途中のはず。
ここで3千円で購入したスウェーデン製の方位磁石で方向確認。
およその見当をつけて、余り見通しが良いとはいえない杉の植林が残る尾根筋を南下。
もちろん道などは皆無で複数種の有刺植物と藪とのちょっとした攻防は不可避。
このため帰宅後の入浴中に、まじまじと己の手足を眺めると数か所ほどの擦過傷が。

城跡らしき地形は林道から南へ180mほど進んだあたりからようやく出現。
最初は埋もれた堀切状の地形。
次に尾根筋が一度細くなった先で最初の堀切と対面。
すぐに長さ10m足らずの小郭をはさんで主郭手前の大堀切が出現。
主郭側の堀切との比高差は6m近くで60度ほどの傾斜があることから直接這い上がることは困難。
もちろん西側から迂回が可能で探索には支障なし。

主郭の削平はかなり大雑把で平坦な個所はほとんどないような地形。
広さは幅6mから8mで長さ約50mほどの規模。
また主郭の東側には縄張り図には記されていない腰郭状の地形も確認。
堀切は全部で4か所ないし5か所。
そのいずれもが竪堀を伴わず、かつ堀切自体の長さが比較的長いという特徴が。
尾根筋先端の南東部には幾分平地に近い形状の小屋掛けするには適当なスペースが所在。

伝承である平将門の乱の際に追討側の平貞盛が築いたとの説は取りあえずは別にして、尾根筋の途中に築かれていることから南北朝期のものが戦国期に改修されたと考えるのが妥当なところかも知れず。
しかし約300mほどの細長い尾根筋を利用した小規模な山城であるため大勢の入城は難しく、山波川渓谷への侵入を監視するための物見としての役割として捉えるのが相応しい印象かと。

主郭北側の大堀切
主郭北側の大堀切


(仮称)東の峰(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午後14時30分から15時10分
尾ノ久保城の北東に所在する標高415m前後の平坦な山頂。
「三ツ山城の謎」を解明に関わりがあるかも知れないと以前から気にかかっていた場所。
峠部分からの比高差は70メートル前後。
厚曇りの天候のため、この時刻からもう一か所回るには微妙な残り時間。
城郭以降との関連がないことを確認することも必要と屁理屈をこねつつ、枯草と有刺植物に覆われた林道に沿って北側から迂回しつつ登攀。

なお、直登は崩壊中の斜面と藪の状況を見て即座に断念。
林道の途中からは多少の直登を覚悟していたところ、予想に反して林道は次第に高度を上げ山頂方面へと続いている模様。
こうした状況から見る限り、何某かの遺構の存在の可能性は完全に消失。

それでも余りにも不自然に平坦な広大な山頂付近の状況を把握すべく途中から近道をして山頂付近へ接近。
すると人工的な連続した盛り土の形跡が目の前に出現。
外側から見る限り高さ約2m前後で長さは50mほどの規模。
この地形を乗り越えてさらに進むと要するに馬蹄形の盛り土で囲まれた窪地が山頂の北東部に所在していることが判明。
全体としては起伏を伴うものの人工的な平坦地を含む連続した盛り土などが所在していることも確認。

東の峰山頂付近の地形
東の峰山頂付近の地形

林道自体は山頂の1比高差10mほど下方を西側から南側を迂回して東側へと抜けている模様。
このため、山頂付近の地形については産廃の埋め立てなど重機などによる地形の改変とは考えにくく。
ますます謎が深まる地形となってしまったのであります。

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ついに旧鬼石町に進攻しましたね
この地区の城館跡は未だ未踏で、どんな遺構があるのか?とても楽しみにしております。

車もオフロード車が欲しいところですね。今度車を買い替えする時にはオフロードにする予定でございます。
儀一 URL 2008/03/13(Thu)01:45:09 編集
Re:ついに旧鬼石町に進攻しましたね
これはこれは、儀一どの。
ブログにては、お久しぶりに御座いまする。

>この地区の城館跡は未だ未踏で、どんな遺構があるのか?とても楽しみにしております。

当方もこの地域は全く初めてのため、地理的な条件等を確認する意味合いも含めて訪れたような次第であります。
当日は曇天で春霞がたなびき眺望は最悪でしたが、真下、塩沢、諸松の各城のおよその位置関係を把握することができました。

>車もオフロード車が欲しいところですね。今度車を買い替えする時にはオフロードにする予定でございます。

尾ノ窪城に関しては林道の分岐手前から歩いても+30分ほどですが、四駆であれば確実に時間の節減になりまする。
ただあまり大型のものですと路肩が崩れる可能性もありまするので、くれぐれもご注意を。
コメントありがとうございました。
【2008/03/13 13:06】
お見事な堀切にて候
尾ノ窪城の堀切、とても見事な遺構ですね。
鬼石町ですかぁ。ますます上州の奥地へと版図を拡げられておりますね。
これらを拝見しておりますと、
さすがに上州の城が恋しくなってまいります。
前橋、高崎あたりで赤城おろしを受けながら、
悪戦苦闘していた日々が懐かしく思い出されます。
5月あたりに沼田城、名胡桃城あたりを旅したいものです。
それでは。
モナー 2008/03/13(Thu)20:52:33 編集
Re:お見事な堀切にて候
今晩は、モナーどの。

>尾ノ窪城の堀切、とても見事な遺構ですね。

有刺植物のハードルが存在しておりましたが、当初予想していたよりも遥かに良好な遺構にございました。
特に堀切は4本共に規模も大きくしっかりと遺され、1時間ほどで移動する予定が結局2時間以上滞在してしまいました。

>鬼石町ですかぁ。ますます上州の奥地へと版図を拡げられておりますね。

じわじわとでございまするが、とりあえずは南西の端を目指しておりまする。
尤も今シーズンは、三波川および日野沢沿いの城館で終わりそうにございます。
しかし来期には必ずや、神流町、上野村まで足をのばし群馬県南に橋頭保を(笑)

>これらを拝見しておりますと、
>さすがに上州の城が恋しくなってまいります。
>前橋、高崎あたりで赤城おろしを受けながら、
>悪戦苦闘していた日々が懐かしく思い出されます。
>5月あたりに沼田城、名胡桃城あたりを旅したいものです。
>それでは。

足手纏いかも知れませぬが予定が調整できるようでしたら、またご一緒させていただければ幸いに存じまする。
コメント忝く仕御座候。
【2008/03/13 21:46】
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