本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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この日、すなわち2021年11月11日の最初の目的地は前橋市指定文化財でもある「稲里の石造馬頭観世音立像」の見学でした。
本来であれば粕川駅の到着予定時刻は午前8時15分なのでしたが、ボケ気味の年寄りならではの不手際により既に時刻は午前9時近くとなっておりました。
この時点で早くも1時間近く遅れ気味でしたが、元来の頑固で一途な行動様式というものは加齢に伴い益々その傾向を強めている模様であります。
このため本来の目的である中世城館巡りを優先すべきところを、当初の手順通り石仏、石造物巡りを始めてしまうのであります。
冷静に考えればこの季節の日没時間と限られた体力と勘案して、石仏、石造物めぐりを後日の懸案とすべきところなのかも知れませんが。



■「粕川と赤城山の遠景」
赤城山を水源とした粕川の流路の左側(西側)が稲里地区で、画像右側(東側)が中村城が所在している月田地区方面となるようです。

さてこの場所でも、またまた二つほどの問題が発生しました。
一つ目は「馬頭観音」の所在地について、「粕川筑の文化財を訪ねて」というウェブ上のパンフレットの文言から、てっきり「旧村社稲荷神社境内」と誤解してしまい、あちこちと彷徨してしまったことです。
二つ目は境内の参拝見学中に石段の段差で見事に尻餅をついたことでありました。
幸いにして尻餅をついた個所は、偶然にも柔らかいお落ち葉の積もった土の上でしたので別段これということもなく助かりました。


■「稲里の稲荷神社社殿」


■「如意輪観音座像」
稲荷神社の境内地の片隅に東側を向いた格好で鎮座されておりました。
右側面には18世紀末江戸時代中期の「安永」の文字が彫りこまれておりました。
右ひざを立て、右手を頬にあてがっていることから如意輪観音ではないかと思われます。
女性の戒名が彫りこまれていたことから供養塔であるのかも知れません。

一つ目の問題については偶々ご親切な地元の方にお聞きしたところ、何と有難いことにご丁寧にも現地までご案内をいただくこととなりました。
大変助かりました。
本当にありがとうございました。


■「稲里の馬頭観世音立像」(前橋市重要文化財)
ご案内いただいたご年配の方のお話では、大変残念なことに近年に自動車事故により上部が破損するという被害を受けてしまったということでした。
モルタルによる接合補修跡はその時のものであると伺いました。


■「馬頭観世音部分拡大」


■「現地解説版」
詳しくはこちらの解説をご覧ください。

なお文化財所在地の住所地自体は把握していましたが、実際に所在していたのは神舎境内地の80mほど南側の県道102号線のすぐ東側の市道沿いなのでありました。
従って神社境内からはごく至近距離なのではありましたが・・・
現在のように老眼でなければ地図情報の地番から探すことも困難ではなかったのですが、何分にも細かい文字が次第次第に見えなくなっています。
たとえば細かい文字の場合ですと、最早「目」「月」「日」の識別ができません。


■「笠かぶり地蔵尊」
恥ずかしながら自分も初めて見聞する石像仏で、上記の現地解説版に説明が併記されておりました。

「馬頭観世音」の所在を探索中に「子育薬師」と呼ばれている石仏群も見学させていただきました。


■「寒念仏供養塔」
右側の供養塔は台座の下に「中村」との村名が刻まれていましたので、元々は中村に所在していたものでしょうか。
中央やや左側の立像は江戸時代初期の念仏供養塔で、画像左側の石造物は「笠塔婆」のように思われます。
なお、同所に所在している薬師堂には現在でも子供の成長を祈願するという慣習が伝わっている様子もうかがえました。

馬頭観世音の安置された墓地の一画には、慎ましやかに鎮座されていた野仏が一体おいでになりました。。
頭部の風化がすすんでいるようで詳しくは分かりませんが、その素朴な御姿を拝見する限りではたぶん「十一面観音立像」のようにも思われました。


■「十一面観音立像」?


◎参考資料
「石仏と石塔」(山川出版社)
「仏像の世界」(山川出版社)
「石仏・石の神を旅する」(JTBパブリッシング)
「日本石仏辞典第2販」(雄山閣)
「阿弥陀・薬師・観音・不動」(大法輪閣)

※この稿はブログ用画像の編集作業などの事情により
2021年11月13日に作成しています。

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