本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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■近戸神社六地蔵石殿/群馬県前橋市月田
国認定重要美術品/1943年1月1日指定
2021年11月11日見学
12時05分から12時20分頃まで

月田館からは直線距離にして約200m北東方向に移動した。
「六地蔵石殿」は月田近戸神社境内の北側で獅子舞練習場の東側に所在している石造物で、南北朝時代初期である暦応5年(1342)2月18日に幽阿弥陀仏により建立された胸が刻まれているとされている。
塔身部分には2体ずつ計6体の地蔵菩薩?のレリーフが刻まれている。
見学者にとっては見学しやすいという利便性があるのだが、そう類例も多くは無く約700年前の石造物でもあることから、果たしてこのまま現在のような野晒しのままの展示方法でよいのだろうかという素朴な感想が生じた。

「六地蔵石殿」


同説明版


同所の「赤城塔」
たぶん「南無阿弥陀仏」(※当ブログ管理者の理解不足のため、明確に読み取れたのは「無」「佛」のみである)の六字名号が刻まれているものと思われる。
かつては何らかの文化財指定を受けていた時期もあったのであろうか、同社の由緒書には六地蔵石殿とともに地域の文化財として併記されていた「赤城塔」で、この辺りでは深津地区に所在するものが「三ヶ尻の宝塔」として前橋市の重要文化財に指定されているということである。
なお「角川大日本地名辞典」の旧粕川村の項によると、この赤城塔は南北朝期の造立との記述が見られ、また赤城塔に関する信仰については、赤城小沼(この)信仰との関係を有し、その分布については室沢、深津、上東田面、一日市など合計11基を数えるという。


「近戸神社由緒」


粕川町月田近戸神社の台地
そうした一方で、同社の境内地は赤城山麓の東西を粕川、兎川に挟まれた南北に細長い低丘陵の南端部に位置している。
このため小規模な中世城館(地侍層の砦、寄居など)としての所在地としても相応しい条件を有しているように思われたのだが、当然のことながら同社の由緒わ記した説明版にそうした記述は見ることはできなかった。


比高差3~4mを有している境内地


「近戸神社境内地北隣の石造物群」
各所に散在していたものを纏めたものであろうか、さほど時代は古くは無さそうにも思われたのだが、いずれ日を改めて再度見学に訪れてみたくなる石造物群であった。
また同社の境内には他ではあまり見ることのできない狛犬の石像のほか、野口雨情の歌碑なども所在していた。


■月田のモチノキ/群馬県前橋市月田
前橋市天然記念物/1952年11月11日指定
2021年11月11日 見学
12時25分から35分頃まで

近戸神社境内北東70mほどの民家敷地内に所在する樹齢300年と推定されているモチノキの大木である。
民家敷地内の奥の方に所在しており、夕刻までの残り時間を考慮して門口付近からの見学にとどめた。


「月田のモチノキ」


沿道の柚子の実 たぶん(;^ω^)


兎川右岸に形成されている崖地
比高差は僅か数メートル程度に過ぎないが、些か気になる要害要素を感じさせる地形ではあった。


◎参考資料
「前橋市ホームページ」より「粕川地区の文化財を訪ねて」ほか
「マッピングぐんま」

※諸般の事情により、この稿は2021年11月22日に作成しております。

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