本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコなどの話題に終始しておりまする。なお2007年末から漸く群馬方面へと進出し、2008年6月には福島中通り方面、11月には栃木県南、12月には茨城県南、2009年2月には千葉県北部、5月には山形県村山地方と少しだけ領域を広げ始めております。              (2009/05/21 説明文更新)
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11月25日の土曜日に訪れた滑川町羽尾地区の「西ノ谷沼南東側の丘陵」の話題似而御座候。

市野川北岸に所在する丘陵の東端部に位置し、ちょっとしたピークも所在するしているので訪れてみたという場所。
勿論遺構などの存在を期待してというよりは、丘陵地帯を虱潰しに確認する作業のようなものにて。

然し、当初の予想に反して東側を除いて南北50m、東西100mに及ぶ丘陵の平坦地を囲むようにして「謎の溝跡」が現存。
西側は溝跡というよりは比高差80cmから1mほどの切り落としのような地形かと推測。
北側は篠竹の藪に阻まれて確認しづらいものの、幅1間、深さ80cm、延長50mほどの溝状地形に。
南側は里道との区別が付きにくいものの北側とほぼ同様の地形という印象が。

なお、この南側の溝状の地形は「千躰地蔵堂」北側の尾根筋に到達する手前に所在する「小口状」の地形にほぼ隣接。
こうしたことから、単なる「土地の境堀」「里道」「排水路」とも思えず、まして明確に人為的な区画であることが認められることから「自然の雨水の流路」でないことは確実。
勿論平坦地には複数の墓石が所在しているものの墓所の区画を示す溝にしては巨大すぎる次第にて。
時代背景や歴史的経緯が全く不明なので取敢えず「謎の溝跡」ということに(笑)

謎の溝跡
「謎の溝跡」
2006/11/25 滑川町羽尾地区にて撮影

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楽しく読ませていただきました。
滑川方面への調査お疲れ様でした。
私の方は仕事などがこの所多く城館探訪できない状況ですが、和平様の文面を読み自分も探訪しているかのような楽しさがこみ上げて来ました。私も間を見て城館探訪を再開したいものです。

こういう「遺構の可能性のある地形」を見たりすると、その道に詳しい方にご意見をお聞きしたくなったりします。人為的に作られた地形であれば、何らかの目的があって堀などが造形される訳ですから、城館に限らずその使用用途を追及するのも楽しみの一つではないかと私は思います。

またの訪問記録を楽しみにしております。
武蔵国入間郡の住人 儀一 2006/11/27(Mon)16:03:59 編集
Re:楽しく読ませていただきました。
いつもコメント賜由、以誠忝存居候。

「城原城」以降、滑川町方面に所在する無名の「遺構紛い」の地形に執着しております。

勿論、無名とは申しましても、原則的には
①近隣に中世城館跡が存在していること。
②それらと類似の要害性を有すると思われる地形と推定されること。
③中世城館に関連する伝承・地名などが残されていること。
などの条件に一つでも当てはまりそうな個所を訪れております(汗)

滑川方面だけでも現在20ヶ所近く未確認の丘陵地帯が存在しております。
いっそのこと「不詳の遺構紛い」という分野を纏めてみようかなどとも思案する昨今であります(笑)
【2006/11/27 16:38】
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