本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコなどの話題に終始しておりまする。なお2007年末から漸く群馬方面へと進出し、2008年6月には福島中通り方面、11月には栃木県南、12月には茨城県南、2009年2月には千葉県北部、5月には山形県村山地方と少しだけ領域を広げ始めております。              (2009/05/21 説明文更新)
カレンダー
08 2017/09 10
S M T W T F S
2
3 5 7 8 9
10 11 12 15 16
17 18 19 20 21 23
24 25 26 27 28 29 30
最新CM
(09/24)
謹祝再開(返信済)
(09/19)
元気ハツラツ(返信済)
(09/01)
(08/31)
(08/30)
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
性別:
男性
職業:
定年を過ぎました~
趣味:
「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
アクセス解析
フリーエリア
[1327] [1326] [1325] [1324] [1323] [1321] [1322] [1320] [1319] [1318] [1317]

信濃滞在2日目
当所の予定ではこの日は真田郷が中心
しかし前日に上田城の混雑が予想されたので本日に順延
このため真田郷探訪の時間は昼食後の3時間ほどに限定


上田城(長野県上田市)
午前9時00分から11時30分頃まで

この日は午前9時過ぎに上田城南側の尼ヶ淵にある市営無料駐車場に直行
既に駐車中の車両も見かけられたがこの時間では未だ数台ほど
 真田丸人気の余波などで多数の観光客が集中するとはいえ、このように平日の朝方の時刻ならば見学の方の人数はそれほどは多くなかった

 
尼ヶ淵から見上げた南櫓と西櫓


    復元櫓門と南櫓


    復元櫓門と南櫓


     南櫓付近


  上田市内と塩田城方面


     西櫓付近
   
午前10時を回る頃から次第に本丸内が込み始めてきたので、家内は同所の博物館に赴き見学と休憩
小生の方は西側の土塁と堀跡などを確認
同じ城内でも花木園となっている二の丸土塁、堀跡付近では観光客の姿は皆無に近いものがある
ようだ


一旦そのまま徒歩で城外へと退出し浄土宗芳泉寺へと向かった

◎歴史の散歩道(長野県上田市)
芳泉寺へと向かう途中に整備されているこの小道は日陰にもなり大変有難いものがあった

    歴史の散歩道

◎浄土宗芳泉寺(長野県上田市)
午前10時40分から11時00分

云わずと知れた「小松姫」(信之正室の菩提寺)
観光客はおろか一般の参詣者も皆無であった
墓所は本堂の裏手辺りで本堂脇から境内墓地を通り右手の築地塀の潜戸から参詣
ほかに仙石氏、松平氏の墓所も併設されている


参詣後は、ふたたびもと来た道を辿りつつ本丸の北側を抜けて城跡二の丸北虎口へと移動


  本丸北東の隅欠き部分


   二の丸北虎口付近


  百閒堀の石樋跡(通水管)


伝・中屋敷(長野県上田市)
11時30分から11時35分

近世の古地図に記されている屋敷跡だが経緯不明
規模は約1町四方で現在の市立清明小学校付近に相当するものと推定される

     中屋敷付近

藩主居館(長野県上田市)
11時50分から12時10分

上田藩主真田信之が関ヶ原合戦後に沼田から移り居住したとされる居館跡で、現在は上田高校の敷地となっている
約150m四方の方形を成し東側を中心に表門、土塀のほか土塁と水濠などが残存している

    藩主居館の水濠

水濠の画像を撮影していると、なぜか複数の亀が大挙してわらわらとこちらへと移動してきたのであった

   水濠に生息する亀

このあと、再び東側大手方面から城内に向かい二の丸堀跡を見学の後、二の丸東小口から再々入城し家内と落合い、西郭脇から駐車場へ戻り旧真田町方面へと車移動


真田氏館跡(長野県上田市)
13時55分から14時35分

複数存在している真田氏の館、屋敷跡のひとつで明確な土塁と小口などが遺されている
家内を駐車した真田氏歴史館に残し、徒歩にて館跡を4分の3周

    南側内枡形付近

丘陵地帯であるため、この個所からも砥石城方面の眺望は優れていることを確認
 
顔出しスポット(左端に砥石城)


真田氏本城(長野県上田市)
14時50分から15時15分

真田氏館跡から車で北東へ移動
城跡近くまで車で行けることから、平日にもかかわらず数組の観光客がおいでになっていた
駐車スペースも以前より増えて約18台収容可能
70歳代の年配者のグループやスカートの女性なども来訪
下草狩りも行き届き、綺麗なトイレも併設されまさに至れり尽くせりの整備

   推定堀切跡とトイレ

城跡そのものは舌状台地地形を利用した縦長の3郭構成で比高差は約100mほど

    城跡入口付近


    松尾城方面か?


     四阿山方面


  耕作地跡か削平地跡か?

ここからも砥石城を含む周辺の見通しは良好

 砥石城方面(画像中断やや左)


    天白城方面

城域はそれほど広くはなく、郭部分に籠城できる人数は数十人ほどが限界の広さ

     主郭土塁下

 
   主郭小口へのルート


  主郭と土塁(櫓台?)


   2郭から主郭方面


  3郭と2郭の接続部

3郭の北側先端から降りるべきルートを探したものの、夏草などで委細不明

    3郭先端部


このあと午後4時過ぎには往路同様上信越道経由にて帰宅
途中事故と故障車の関係で最長15kmの渋滞に嵌るも休憩時間を含め3時間少々で自宅到着
あらためて佐久、小諸、上田方面の近さを感じ、晩秋から初冬、早春から晩春頃の再訪の思いがつのった

拍手[4回]

Comment
Name
Title
Color
Mail
URL
Comment
pass
左衛門佐
懐かしいですね、上田
けっこう廻られましたね
塩田城は不気味じゃなかったですか?
史進さんとやはり8月に行きましたが
二人ともややおっかなびっくりでした
弘法山の遺構は比丘尼城3つ分ぐらいの恐怖がありそうです
再訪される場合、秋はマツタケ山のために立ち入れないので注意です
上田方面だとおすすめは笹洞城です
石積みと堀切が素晴らしいです
軍曹 2017/08/26(Sat)17:48:11 編集
Re:左衛門佐
こんばんは

コメント忝く存じます
塩田城は単独では深入りできそうにないですね
訪れた日は曇りがちの空模様でしたが、下草が叢生し多く湿度も高く異様な雰囲気がひしひしと伝わって参りました
また谷沿いのルートの途中には倒木もあり見通しがいまひとつ
このため不測の事態を感知しにくい環境でありました
このため小口石垣遺構の個所の手前辺りまでで踏査を断念いたしました (^^ゞ
今回は主に家内の運転手で赴きましたので何につけても中途半端な探訪でした
いずれ晩秋から初冬にかけての時期に再訪することを考えております
【2017/08/26 19:10】