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信濃滞在2日目
当所の予定ではこの日は真田郷が中心
しかし前日に上田城の混雑が予想されたので本日に順延
このため真田郷探訪の時間は昼食後の3時間ほどに限定
凸上田城(長野県上田市)
午前9時00分から11時30分頃まで
この日は午前9時過ぎに上田城南側の尼ヶ淵にある市営無料駐車場に直行
既に駐車中の車両も見かけられたがこの時間では未だ数台ほど
真田丸人気の余波などで多数の観光客が集中するとはいえ、このように平日の朝方の時刻ならば見学の方の人数はそれほどは多くなかった
尼ヶ淵から見上げた南櫓と西櫓
復元櫓門と南櫓
復元櫓門と南櫓
南櫓付近
上田市内と塩田城方面
西櫓付近
午前10時を回る頃から次第に本丸内が込み始めてきたので、家内は同所の博物館に赴き見学と休憩
小生の方は西側の土塁と堀跡などを確認
同じ城内でも花木園となっている二の丸土塁、堀跡付近では観光客の姿は皆無に近いものがある
ようだ
一旦そのまま徒歩で城外へと退出し浄土宗芳泉寺へと向かった
◎歴史の散歩道(長野県上田市)
芳泉寺へと向かう途中に整備されているこの小道は日陰にもなり大変有難いものがあった
歴史の散歩道
◎浄土宗芳泉寺(長野県上田市)
午前10時40分から11時00分
云わずと知れた「小松姫」(信之正室の菩提寺)
観光客はおろか一般の参詣者も皆無であった
墓所は本堂の裏手辺りで本堂脇から境内墓地を通り右手の築地塀の潜戸から参詣
ほかに仙石氏、松平氏の墓所も併設されている
参詣後は、ふたたびもと来た道を辿りつつ本丸の北側を抜けて城跡二の丸北虎口へと移動
本丸北東の隅欠き部分
二の丸北虎口付近
百閒堀の石樋跡(通水管)
凸伝・中屋敷(長野県上田市)
11時30分から11時35分
近世の古地図に記されている屋敷跡だが経緯不明
規模は約1町四方で現在の市立清明小学校付近に相当するものと推定される
中屋敷付近
凸藩主居館(長野県上田市)
11時50分から12時10分
上田藩主真田信之が関ヶ原合戦後に沼田から移り居住したとされる居館跡で、現在は上田高校の敷地となっている
約150m四方の方形を成し東側を中心に表門、土塀のほか土塁と水濠などが残存している
藩主居館の水濠
水濠の画像を撮影していると、なぜか複数の亀が大挙してわらわらとこちらへと移動してきたのであった
水濠に生息する亀
このあと、再び東側大手方面から城内に向かい二の丸堀跡を見学の後、二の丸東小口から再々入城し家内と落合い、西郭脇から駐車場へ戻り旧真田町方面へと車移動
凸真田氏館跡(長野県上田市)
13時55分から14時35分
複数存在している真田氏の館、屋敷跡のひとつで明確な土塁と小口などが遺されている
家内を駐車した真田氏歴史館に残し、徒歩にて館跡を4分の3周
南側内枡形付近
丘陵地帯であるため、この個所からも砥石城方面の眺望は優れていることを確認
顔出しスポット(左端に砥石城)
凸真田氏本城(長野県上田市)
14時50分から15時15分
真田氏館跡から車で北東へ移動
城跡近くまで車で行けることから、平日にもかかわらず数組の観光客がおいでになっていた
駐車スペースも以前より増えて約18台収容可能
70歳代の年配者のグループやスカートの女性なども来訪
下草狩りも行き届き、綺麗なトイレも併設されまさに至れり尽くせりの整備
推定堀切跡とトイレ
城跡そのものは舌状台地地形を利用した縦長の3郭構成で比高差は約100mほど
城跡入口付近
松尾城方面か?
四阿山方面
耕作地跡か削平地跡か?
ここからも砥石城を含む周辺の見通しは良好
砥石城方面(画像中断やや左)
天白城方面
城域はそれほど広くはなく、郭部分に籠城できる人数は数十人ほどが限界の広さ
主郭土塁下
主郭小口へのルート
主郭と土塁(櫓台?)
2郭から主郭方面
3郭と2郭の接続部
3郭の北側先端から降りるべきルートを探したものの、夏草などで委細不明
3郭先端部
このあと午後4時過ぎには往路同様上信越道経由にて帰宅
途中事故と故障車の関係で最長15kmの渋滞に嵌るも休憩時間を含め3時間少々で自宅到着
あらためて佐久、小諸、上田方面の近さを感じ、晩秋から初冬、早春から晩春頃の再訪の思いがつのった
前回日帰りで長野県を訪れたのはもう7年前に
本来の目的は亡父の遺品である戦前の絵葉書等の寄贈
このため寄贈先の軽井沢町と隣の佐久市を訪れただけで帰宅
7年後の今回も家内の美術館見学のついでのようなもの
従って一泊2日とはいえ、城館跡めぐりはあくまでも付足しに
◎生島足島神社(長野県上田市)
午前8時55分から9時30分
武田氏家臣団の起請文で著名な神社
「子育て」祈願もあることから参拝
水濠に囲まれた境内
◎無言館(長野県上田市)
午前9時45分から
「館」名は付けられていますが、あくまでも「美術館」です
戦没画学生慰霊美術館の本館、別館オリーブの読書館、デッサン館などを順次見学
数多の有為な人材が失われたという事実とその背景を、戦後に生きる人間としてあらためて重く受け止めることとなった
無言館
◎塩田の館(長野県上田市)
午前11時05分から11時40分
名称が紛らわしいのですが、いわゆる「城館跡」ではなく、あくまでも観光案内所兼休憩所兼蕎麦やさん(北条庵、この塩田の地に鎌倉北条氏一族が居住したことに因む店名)です ^^
塩田の館
ここで蕎麦と山菜?天ぷらで昼食
皿蕎麦と天ぷら
凸女神山城(長野県上田市)
むろん遠景撮影のみ
この時季に比高差200mの急登する気力はなし(^^ゞ
敢えて真田氏の幟旗を避けて、うどんの幟旗を入れて撮影してみた
女神山城の遠景
◎前山寺(長野県上田市)
12時20分頃
当初の予想通り時間に余裕がなくなり山門から参詣して移動
前山寺山門
門前の「野菜等直販所?」で熟睡していた看板ネコ
爆睡中
凸塩田城(長野県上田市)
12時45分から13時15分
石垣の手前まで赴いたのですが、経験上から何やら雰囲気(大型哺乳類?)が怪しく撤退
遺構を前に撤退したのは10年ぶりくらいです(^^ゞ
公道沿いからも見える城址碑
空堀の近くで無装備の中年カップル(サンダル履き)の方
因みにご忠告の内容は「クマ出没の可能性、云々」(入山
この辺りに頻繁に出没するかどうかについての詳細は把握
このあと実際に谷沿いの登山ルートを登り始めると、異様
小口石垣群の手前付近
年齢的に最早この比高差と斜面は登れません(^^ゞ
塩田城付近の山稜
◎龍光院(長野県上田市)
こちらも残り時間の関係で山門前から参詣するに止まりました。
凸岡城(長野県上田市)
13時50分から14時30分
外郭の堀跡は比較的よく知られているようですが、宮坂氏の著書にも記されているように主郭北西部の堀跡もある程度良好に残存していました。
北側の外堀跡
北西部の内堀
凸浦野城(長野県上田市)
遠景のみの撮影
◎上田原合戦古戦場(長野県上田市)
15時15分から16時50分
上田原古戦場公園
小島権兵衛墓所
屋代源吾墓所と須々貴城方面
屋代源吾墓所
板垣信方墓所(板垣神社)
背景の山は虚空蔵山城方面
雨宮刑部墓所
無名戦士の墓
石久摩神社の石碑
伝・信玄道
の順で徒歩にて探訪して本日の任務完了
以上のように、日をあらためて訪れる際の目安とするために遠景を撮影しただけの城館跡が数か所ほどはあった
しかし加齢に伴う体力の衰え、等高線の混み具合とその比高差、クマとの遭遇の可能性などを勘案すると遠景のままとなる公算は限りなく大きいものがあると感じざるを得なかった