本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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団塊世代が定年を迎えて、近年は昭和30年代の懐かしい暮らしぶりが人気を集めておりますような。
本日はテレビで前作が放映。
当時は総じて貧しかったけれども、その分明日への希望が満ち溢れていた時代であったようにも。

因みに小生の元本籍地は東京都某区○○ヶ原3丁目60番地1号。
何故か内田康夫のミステリ小説の主人公浅見光彦の実家と同じ地域。
そういえば高台の方には板塀やコンクリートの塀に囲まれた大きな邸宅を構えた屋敷町があった記憶が。
当然平塚亭の団子はお馴染。
小生の七五三を始め初詣は氏子なので勿論平塚神社。
神社境内は将門伝説とともに豊島氏の平塚城が所在したとも伝わる洪積台地。
比定地乃至伝承地とはいえども、名族豊島氏ゆかりの城跡で七五三と初詣をおこなっていたとは露知らず。

当時は19番の都電が王子から日本橋方面まで走っていたはず。
料金はどこまで乗っても15円だったかと。
当時働き盛りの父親も都電で通勤。

東京都のごみ収集は銀杏のマークをつけた人力の大八車。
4輪のトラックなどめったに見られない時代で、物流の主力は「くろがね号」に代表されるオート三輪。
埼玉への転居は東京オリンピックの開催された年の春先。
勿論引越しの車は2サイクルエンジン搭載の2台のオート三輪。

建設ブームの折、鉄材不足のためか当時のオート三輪に床などはなく。
かろうじて人が足を乗せる部分だけ薄い小さな鉄板が装備。
床に視線を落とすと走り去る路面が見えたのであります。
それとても、もう40年以上前のこと。

先月訪れた東武野田線の大宮公園駅。
駅の屋根を支える支柱は未だに昭和30年代を彷彿とさせる懐かしの木製。
そういえば小学1年か2年の頃の遠足で、現在でも顕在の大宮公園付属のの小さな動物園を訪れていたことが。
あれから半世紀以上が経過。
まさか定年間際になり、仕事で度々訪れることになろうとは当時は思いもよらぬこと。


大宮公園駅
木造の大宮公園駅
2007/10/25 撮影

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おはようございます。
三丁目の夕日はずいぶん昔から愛読していました。
あぶさんとともに長く読んでいたものです。
私が生まれ育った当時の名古屋市も市電が頑張っていましたね。
ちょうど東京へ越す頃に「さよなら運転」をした記憶があります。
その東京へ越して来たのが昭和49年の暮れ。
高田馬場で暮らすことになったのですが、
当時はあの辺りも汲み取りが健在であり

同級生は長屋住まいとか風呂がない家が普通にありました。
あと漫画に出てくるような空き地の風景。
草っ原に大きな土管が転がっているというのが普通に見られましたねえ。
路地裏でメンコだとか、女の子はゴムダンなどを普通にやっていたもんです。
あと、夕方になると近所の悪ガキどもと銭湯へ通ったもんですね。
オート三輪と言えば近所の材木屋にズラリと並んでおりました。けっこう安定性が悪いらしいですね。
苗字と一緒なもので、実際表記されると何やら気恥ずかしさを覚えたものです。
城廻りで八高線に乗ることが増えましたが、気動車も随分と小奇麗になりました。ただ駅周辺は相変わらず懐かしい雰囲気がありました。色あせた南利明さんのホウロウ看板があったりしました。
ではまた。
モナー 2007/11/03(Sat)09:31:31 編集
Re:無題
早朝よりのコメント忝のう御座います。

「三丁目の夕日」は某の子ども時代のまさに原風景そのものの観がございます。
70年代頃でも高田馬場あたりは未だ懐かしい光景が残っていたのですね。
その当時でも原っぱやゴム段、メンコ遊びは健在でしたか。

汲み取りトイレといえば、5歳頃に自宅のトイレに嵌ったことが。
勿論埋没することなく、辛うじて便器の縁に両手の脇が乗るという格好。
大声で助けを呼んだもののその後始末が大変なことに..
と、よくよく考えるとそのあと直ぐに水洗トイレに改造した次第で。
お蔭様で大分無理をして工事をした真相が半世紀ぶりに明白となりました(爆)

路面電車はいいものですね。
当時住んでおりました駒込に所在した古びた都電の車庫(たぶん戦災の焼け残りかと)をよく見に出かけていたものです。
路面電車の車窓からの風景は表通りの街並みそのもの。
商店などの値札の文字さえもはっきりと読み取れるスピードで。

あの頃は商店街にも活気に溢れておりました。
しかし数年前の墓参りの傍らに生家の近くを訪れると、かつての「○○銀座」といわれた商店街も完全なシャッター街に変貌。
酒屋、電器屋、靴屋、駄菓子屋、菓子屋、板金店など小学校当時の同級生の商店も数多く存在していたはずでしたが最早その影も形もなく。

東京ではオリンピックの開催を契機として、道路の拡張や高速道路の建設などにより現在の荒川線を除いてすべて消滅。
王子や大塚で都電の姿を見るたびに、いつかは荒川線全線を往復しようと思いつつも既に30年近くの歳月が経過いたしました。

だいぶ以前八高線に乗車した際、ドアの開閉ルールに困惑。
何時まで待っても目の前のドアが開かず..
閉める時には機械操作で、開けるときは手動なのでありました(汗)
気動車はあのディーゼルエンジンの音が独特で。
冬の夜などはシートの暖房と相俟って特に心地よく感じられたものです。

本日はせっかくの休みにも拘らず昨日あたりからお馴染の頭痛が..事情により別棟の部屋に隔離されているネコたちとのんびりと昼寝などをしておりました。
【2007/11/03 17:52】
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