本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコなどの話題に終始しておりまする。なお2007年末から漸く群馬方面へと進出し、2008年6月には福島中通り方面、11月には栃木県南、12月には茨城県南、2009年2月には千葉県北部、5月には山形県村山地方と少しだけ領域を広げ始めております。              (2009/05/21 説明文更新)
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本日は高齢者団体の史跡めぐりのため吉見町方面へ。
ルートは伝大串次郎重親の宝篋印塔⇒吉見百穴⇒武州松山城⇒吉見観音
往復のバスの車内、現地での説明と殆ど喋りっ放しのため咽喉が限界に。

前日までの悪天候が予想以上にものの見事に回復してくれたことが正にうれしい誤算。
参加者は平均年齢75歳の高齢者の集団。
この方々を仮に傘をさした状態で武州松山城を無事に案内するこということになればまさに至難の業にて。
当初の予定通り大手口からアプローチしたこともあり、本郭の登り道も含めて事故などもなく無事に往復。

さて以前から疑問に思っていた本郭の「コンクリートの土台跡」については、昭和30年代の年代に不審火により焼失した神社跡であるとの情報を入手できたことも本日の収穫のひとつなのでありました。

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不審火ですか
こんばんは、松山城のコンクリートの土台跡はいつも私が休憩している場所です(笑)
何か不思議な感じの本郭ですよね。

神社跡というのはわかったのですが不審火で焼失だったんですか。
麓の岩窟ホテルや吉見百穴といい不思議なものが多々ある城でそちらの方も楽しめますね。
史進 2007/04/19(Thu)22:33:35 編集
Re:不審火ですか
コメントありがとうございます。

出所の確かな情報によれば、住所不定関係の方の火の不始末ということのようであります。
神社そのものはコンクリートの基礎が残されているくらいですから、無論さほど古いものではなく仮に主郭の辺りから瓦の破片が見つかったとしても焼失した神社のものだということです(笑)
【2007/04/19 22:55】
おつかれさまです
無事任務を終了されたようで何よりです。私は2回ほど、大手口を知らずに難波田弾正のように岩室観音堂口から登ってました(笑)

ところで、頂上のコンクリは、百穴弾薬庫絡みの砲台かと思ってました(苦笑)
左馬助 URL 2007/04/20(Fri)07:53:43 編集
Re:おつかれさまです
>無事任務を終了されたようで何よりです。私は2回ほど、大手口を知らずに難波田弾正のように岩室観音堂口から登ってました(笑)

昨日は雨上がりの後でもあり、また平均年齢を考慮すると引率責任者としては全く不可能に近いルートでありまする(笑)
本郭を含む城跡全域は木々の芽吹きが早く、すでに眺望などは皆無でございました。

>ところで、頂上のコンクリは、百穴弾薬庫絡みの砲台かと思ってました(苦笑)

吉見町埋蔵文化財センターからの情報なのでまず間違いのないところかと思われます。
神社自体もそれほど由緒のあるものではないそうなので、史跡指定の暁には土台ごと撤去することが望ましいようですね。

コメントありがとうございました。
【2007/04/20 19:08】
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