本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコなどの話題に終始しておりまする。なお2007年末から漸く群馬方面へと進出し、2008年6月には福島中通り方面、11月には栃木県南、12月には茨城県南、2009年2月には千葉県北部、5月には山形県村山地方と少しだけ領域を広げ始めております。              (2009/05/21 説明文更新)
カレンダー
06 2017/07 08
S M T W T F S
2 3 5 7
9 11 13 14 15
16 17 20 21 22
23 25 26 27 28 29
30 31
最新CM
(07/20)
お疲れ様です(返信済)
(07/12)
(07/01)
災難でした(返信済)
(06/17)
(06/13)
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
性別:
男性
職業:
定年を過ぎました~
趣味:
「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
アクセス解析
フリーエリア
[1306] [1305] [1304] [1303] [1302] [1301] [1300] [1299] [1298] [1297] [1296]
この日もまた、前回に引き続き都内23区の城館めぐりとなりました
今回は飯田橋を起点に新宿牛込界隈を時計の針と反対方向に回る計画を立案。
本来は13日(火)を予定していましたが、雨模様の予報に変わったことから急遽2日ほど予定を繰り上げました。
むろん都内23区内ですので、中世城館跡はほぼ遺構には恵まれず、きわめて伝承性が濃いものが多いことも承知のうえです。
地下鉄有楽町線の飯田橋駅で下車して本日の探訪開始となりましたが、飲み物を求めたコンビニのトイレが故障中でした。
今にして思えばこの時点で何某かの先行きの不安を感じるべきであったのかも知れません。




筑土城(東京都新宿区筑土八幡町)
午前9時40分から9時55分

舌状台地先端に所在する筑土神社の境内が城跡と考えられているようですが、無論のこと残存遺構はありません。
周辺との比高差は約10mほどになりますが、近代以降に大幅に区画形質が加えられていると考えられるとともに、その規模はどれほど広くてもせいぜい50m×70mほどの楕円形をした地形であったことが窺えました。
 
 大久保通方面からの景観


     表参道


     神社の縁起


  裏参道付近の地形改変跡


   御殿坂とその標柱



御殿山城(東京都新宿区筑土八幡町、白銀町)
午前10時05分から10時20分

おなじく遺構はありませんが、筑土城との間には南北方向に「御殿坂」が台地を横断しその標柱も所在しています。
所在地についてもあまり明確ではなく、筑土八幡町とする説(「城郭大系」)と西側の白銀町にまたがる(「東京都の中世城館」)という説もあるようです。

   御殿山西側の段差



◎常陸松岡藩邸(東京都新宿区白銀町)
午前10時25分から10時35分

御殿山城と一部重なっているようにも思われます。
現在ではその一角が新宿区立白銀公園となっていて、この日が日曜日ということもあり大勢の家族連れで賑わっておりました。
北側での比高差は約5mほどを確認できますが、南側の神楽坂方面へは緩斜面となります。
また、幕末の切絵図などから推定されている屋敷の規模はほぼ一町四方(約100m四方)であり、上級の旗本屋敷の規模に近くその敷地についてはけっして広大ではありません。
むろん大名屋敷の遺構に関連するようなものは殆ど感じられませんでした。
なお松岡藩は水戸家家老である中山氏が幕末になり漸く立藩したものであり、その先祖は後北条氏の家臣として山中城の戦いで名を挙げたとされる山中勘解由家範とされています。

屋敷の南東部にあたる白銀公園


    北側の相生坂



◎赤城神社(東京都新宿区赤城元町)
午前10時40分から10時50分

常陸松岡藩邸跡の丘陵につづく高所に所在し最大比高差は約15mを測り、現在でも特に北側の眺望が優れていることが判明しました。
今回訪れた場所では、最も比高差を有していることから、むしろこの地点の方が中世城館跡に相応しいという印象がありました。

  赤城神社へと向かう細道


  比高差は15m以上か



◎越後黒川藩邸(東京都新宿区矢来町)
午前11時00分から11時15分

出版物としては「古地図で歩く江戸城・大名屋敷」(2011/平凡社)が、手元にある唯一の手がかりです (笑)
資料によっては若狭小浜藩邸と重なるようなところもあります。
自分自身の問題として、未だに「江戸切絵図」などの基礎的な関係資料の読込作業が不十分であることもあり、この場所が実際に越後黒川藩の大名屋敷であったのかどうかいまひとつ確信が持てませんでした。

   現在は住宅地です



◎若狭小浜藩邸(東京都新宿区矢来町)
午前11時20分から11時40分

屋敷の一部であったとされる矢来公園、秋葉神社を訪れた後、東側の牛込中央通沿いに所在する石碑をフェンス越しに拝見(矢来町ハイツ内は関係者以外立ち入り不可)しましたが、漢文表記でしかも一部碑面が剥落しているため、「天保年間に3人の人物により建立された?」ということくらいしか読み取りませんでした。
碑文の画像がしっかりと撮影できていれば、もう少し読み取れるとは思うのですけれども。
なお、屋敷跡南側の石垣の石垣の一部には少し古そうな印象もあり、もしかすると大名屋敷に関連するものである可能性も感じられました。
 
   矢来公園の石柱


      同石碑


  若狭藩邸内社の秋葉神社


 古そうに見えなくもない石垣



 
◎曹洞宗宗参寺(東京都新宿区喜久井町)
12時15分から12時35分

先ほどの「矢来公園」からは、北へ坂を下り、早稲田通を西に向かい、弁天町の交差点を渡り、早稲田通から逸れてコンビニの脇の参道からアプローチします。
徒歩にして約800mほどで所要時間は10分前後のはずなのですが、歳のせいか次第に足が疲れてまいりました。

牛込氏の菩提寺とされています。墓石はいちおう供養塔の形態をとってはいますが、あくまでも1979年に再建されたコンクリート製でした。
また、これとは別にその一角には、後世の牛込家の墓石も所在していました。
探すのに5分ほどを要しましたが、そのお蔭で旗本と思われる墓所もいくつか見かけました。

    牛込氏の墓所

このほかに有名な山鹿素行の墓所もあります。

    山鹿素行の墓石

なお、本来の墓所の位置がすぐには分からないことから、「あまり事情をご存じないような場合には、ひょつとすると境内入口脇の石柱そのものを当該墓石であると誤認する方がおいでになるかも知れない」などとついつい余計な心配をしてしまいました。

   境内入口脇の石柱




◎天台宗大聖院(東京都新宿区新宿6-21-11)
13時25分から13時35分

この辺りまで歩きましたのでもののついでに、太田道灌の有名な故事に登場する有名な?少女「紅皿」の墓所と伝わる墓石を見学してきました(笑)
むろん、江戸時代になって伝承がデフォルメされていったもののようです。

ところがここでの後半5分ほどの間に、大型のハシブトガラスが何度も頭上に飛来。
合計にして5度も背後から頭上への波状攻撃の実力行使をしてきたのには閉口しました。
かなり執拗な攻撃でしたので、滅多に感じることのない危険を感じ即刻撤退を決意しました。
おそらくカラスとしても、子育ての時期でもあり、たぶん同じような恰好をした人間に虐められた等よっぽど深い事情があったのかも知れないと思うことにしました。

    山吹坂の標柱


    「紅皿」の墓所

こうした予期せぬカラスからの攻撃に遭い、元々低いモチベーションはどん底に。
往路は何とか徒歩で向かったものの、この後の牛込方面への復路は都営地下鉄大江戸線を利用して移動することになりました。
というよりも、むしろカラスの6度目の攻撃を回避するという方が正しい表現なのかも知れません。
事実そのカラスは境内から直線にして400m以上も離れた抜弁天通沿いまでずっと追尾してきました。

追記
この翌日新宿区役所の担当課に確認したところでは、昨年も同じ場所で被害があったことが分かりましたので、お年寄りや、小さなお子さん、女性などが被害に遭わないとも限らないことから、少なくとも現地を確認し必要な安全対策などについて検討、考慮を行う様に要請をいたしました。
カラスは毎年5月から6月にかけて営巣期を迎えることから子育ての時期にはある程度の注意が必要なようです。





牛込城(東京都新宿区袋町15)
14時05分から14時30分

北西の大久保通、北東の神楽坂との比高差は10mほどに過ぎません。
以前は日本出版クラブ入口脇に所在していたという説明版は現在では見当たりませんでした。
実はこのクラブには20年以上前に仕事で来訪しており、以前には見当たらなかったレストランが併設されていましたが、昨今の出版業界不況の影響なのか、この4月にはランチタイムがなくなり事実上の閉店になっている模様でした。
一方、道路の反対側に所在する光照寺境内の説明版の方は境内入口近くの場所から、本堂に向かって左手前の位置に移設されていました。

   光照寺本堂と説明版



  移設された城址説明版


無論、城館遺構は確認できませんが、墓苑を拝見させていただくと大名である酒井氏の墓所もありました。

   出羽酒井氏の墓所

20年以上前に比べ神楽坂の通の様子も日曜日ということもあったのか、人出も多く随分と観光地化がすすんだようで大きく変貌したように感じました。

     神楽坂界隈



このあと幾分時間に余裕があったので、じっくりと飯田橋から市ヶ谷にかけての外堀を見学しようとも考えたのですけれど、飯田橋周辺の人出も少なくはなく、そろそろ足に限界を感じ始め、また確実に小雨が降りそうな天候に変わり始めていた事情もあり、そのまま素直に地下鉄有楽町線で帰宅の途につきました。
本日も前回とほぼ同じで2万2千700歩でした。
おおむねこの程度までですと足踵へのダメージも少なく、だいたい2日くらいで回復できそうです。

拍手[3回]

Comment
Name
Title
Color
Mail
URL
Comment
pass
おつかれさまです
こんばんはー
新宿の城館巡り、お疲れ様です。
20年ほど前に仕事で廻っていた場所ばかりで大変懐かしく感じました~
先日野木町に再訪して来ました。
栃木図書館でコピーした野木町史が役にたちました(謝)
あっ遅くなりましたがお孫様のご誕生、おめでとうございます~
みかづきぼり 2017/06/13(Tue)20:14:34 編集
Re:おつかれさまです
こんばんは。

先ほどまで植物図鑑の更新作業に手間取っておりました。
「静の苧環」を調べ始めたら「吾妻鑑」を始めとして関係資料が山積みになってしまい、ただいまやっとケリをつけました~

新宿では大名屋敷めぐりと墓参りとなり果てました(笑)
たぶん次は中野区方面になりそうですが、無論遺構はありません~

ご祝辞、心より御礼を申し上げまする。
【2017/06/14 01:31】