本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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昨年6月以来の一年ぶりとなる電車、地下鉄利用による城館探訪です。
当所は川崎方面から始める予定が、どうしても「自然教育園」が気になり都内港区へ。
平日なので通勤ラッシュを避けるべく、あるいは最近話題の痴漢事件に巻き込まれることを避けるべく、かつ現地では移動時間も含め5時間前後を確保するなどとの目安を勘案し、自宅を出たのは午前8時20分頃。
曇りがちで予報でも気温は25度以下とこの時期にしては願ってもない天候。



白金長者屋敷(港区白金台5丁目)
午前10時15分から11時50分

JR山手線中野駅到着は午前10時。
東口から目的の「国立科学博物館付属自然教育園」までは徒歩で450mほど。
訪問の目的は城館探訪というよりは、どちらかといえば「植物観察」にちかいものがありました。
たしかに園内各所には土塁状の人工的な造成工事が散見されます。
しかし、この「自然教育園」が辿ってきたとされる高松藩松平家下屋敷、陸海軍弾薬庫、皇室御料地などの経緯に照らすと、果たしてそれらのものが何時ごろのものであるのかどうかについてはよく分かりません。まして、これらに先立つ中世の「白金長者」の伝承ということになると、さらに雲をつかむような按配となります。

「館跡」とも伝わる土塁地形

園内の植物観察については梅雨入り前の時期ということなので開花している植物の数は限られていたので、結果的に撮影/観察できたものはムラサキシキブ、ホタルブクロ、ノハナショウブ、アサザ、クガイソウ、エゾアジサイ、トラノオ類など10種前後にとどまりました。

     クガイソウ

散策路脇に設置されている説明プレートの密度にもバラつきもあり、少なくとも一度の見学では、全体の特徴を把握するには至りませんでした。
また水草園での透明度を含めた水質なども気にかかります。


太田道灌塁(港区虎ノ門5丁目付近)
12時30分から12時50分

番神山城、太田道灌城ともいわれるようで、かつては土塁が現存していたようですが、これは城館に伴うものではないことが判明したそうです。

 仙石山町会の名を刻んだ石碑


近世には仙石氏の藩邸が置かれていたようですが、その後は地形改変がすすみ現在では高層ビル群や大使館などが所在し、森ビルのひとつに仙石タワーと命名された高層ビルがあります。

   森ビル仙石タワー


西久保城山(港区虎ノ門5丁目付近)
12時50分から13時10分

推定地の周辺には「城山」の地名を冠した「城山トラストタワー」など複数のビル群が所在していますが、こちらも地形の改変が著しいものがあり、往時を偲ぶものがあるとすれば、スウェーデン大使館東側の台地に所在する銀杏の大木と外堀通りに向かう比高差20mほどの急坂(江戸見坂)あたりでしょうか。

    大イチョウ


その正確な所在地については分かりかねますが、災害用井戸のあるあたりが気になります。またホテルオークラ東京の東側に所在する菊池寛実記念智美術館(土岐氏大名屋敷跡)付近からの急坂と眺望の良さは格別です。

「城山」の名称を伝えるビル名

巷説には熊谷直実の名も登場しますがその本領からも遠く、麻布殿の出丸とも、江戸氏庶流説などもあるようですが、その詳細は不明のようです。



今井城(港区赤坂5丁目、6丁目付近)
13時50分から14時30分

西久保城山方面からTBS放送センター方面は、そのまま目の前の江戸見坂を下り虎ノ門病院の角を曲がり外堀通から溜池交差点へ移動して日枝神社近くの山王下まで移動する予定でした。しかしここで、歩道上のあまりの通行人の多さにうんざりし始めたので、六本木通を南に曲がり手前の氷川神社経由で訪れることにしました。
「城郭大系」によれば、南側の台地に所在する氷川神社境内付近(赤坂6丁目)という説もあれば、「東京都の中世城館」では北側の台地であるTBS放送センターと一ツ木公園付近をがこれにあたるという説もあるようです。両者ともに台地状の地形で、現在の地下鉄千代田線に沿って谷津地形により概ね南北に分かれていますが、おそらくは西側の方で一つの丘陵に繋がっていたものと考えられます。
氷川神社が所在する丘陵は六本木通の北西側で南東側にはサントリーホールなどが所在する一角が目に入りかけますが、その手前のNTT赤坂の先の路地から登っていしました。このあたりは松平美濃守(柳沢吉保を藩祖とする家系)の大名屋敷跡で、その真ん中を横断して道なりに進み進行方向左の南部坂を見据えつつ進んだ丘陵頂上部あたりが真田信濃守(真田信幸を藩祖とする家系)の屋敷跡ですが、現在はアメリカ大使館官舎(それ以前は三井一族系の屋敷か)が所在しているためなのでしようか厳重な警備が行われていました。
大使館官舎は真田家大名屋敷の南西に隣接している相馬氏の大名屋敷跡にもかかっているように思われます。これに対し氷川神社境内はほぼ丘陵中腹に所在していることから、今井城の推定地としてはやや違和感があります。
なお、氷川神社の北麓には幕末の著名人でもある勝海舟の屋敷跡も所在し、そこで執筆されたともいわれる有名な「氷川清話」はこの地名に由来するもののようです。


    氷川神社東参道


またともに江戸時代には浅野家分家の中屋敷が置かれたとされ、明治以降には近衛第三連隊の駐屯地に含まれていたようです。
なお、赤坂通の北側に所在するTBS放送センターのあたりは松平安芸守の大名屋敷です。

 TBS放送センターと公園



帰路はそのまま徒歩にて日枝神社の麓を経由して有楽町線の永田町駅へ。この近辺は2013年頃から道路の警備が厳しくなり、国会方面を避けて議員会館と都立日比谷高校(岡部氏大名屋敷跡)の間の路地を北上。なお、現在の首相官邸付近は内藤氏、京極氏、丹羽氏などの大名屋敷跡のようです。
その後は川越市までの直通で自宅には午後4時半に帰宅しました。
この日は自宅から最寄り駅までの徒歩を含めて2万2千歩あまり。
帰りのラッシュ時を避けて早めの撤退を行ったことにより、両足の踵への多少の負荷はあったものの、昨年のような歩行困難となるような痛みは発生せず。
しかし、昨年にも増して息が上がりやすくなってきたことは最早否定できなくなっていました。


追記 
帰りの有楽町線飯田橋での出来事。

2歳くらいの女児を乗せたベビーカーを押して下車しようとした親子づれ。
後のバーを抑え前輪を上げ下車するはずが、その前輪がたぶん横向きに。
着地した前輪がブレーキとなり、そのまま重心をかけて押そうとしためベービーカーは女児ごと前転。
その結果、女児は顔面からホームへとダイビングしてしまった模様。
母親の方も、重心を前に移動していたため2秒差くらいでホームにダイビング。
慌ただしい乗降の際の出来事とはいえ、流石に見かねたホームにいた複数の乗客が手を差し伸べていました。
さらにそのなかで、1名の親切そうな女性がしっかりと付き添って親子の面倒を見ている様子が乗客越しに窺えました。
転倒した母子は無傷という訳にはいきそうもなく、ある程度の打撲を負っていることが想定されました。
おそらくは飯田橋の駅で多少の応急手当をしたか、あるいは救急車を呼んだかどうかについては不明。
電車などの乗降の際には、ベビーカーや車いすについては押す(介助する)人間が先に乗降車して、要介助者を背後に引くのが安全とされているのですが。       

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