本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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大阪に住んでいる長女と京都駅の駅ビルで遅めの昼食。
宿泊する駅前の法華会館に立ち寄り、可能な限り手荷物を少なくして小休止後堀川通を徒歩にて北上。
あいにくと明日は雨、明後日は強風と降雪との天気予報のため、まともに探訪できそうなのは本日一日のみという誠に切羽詰まった事態であったことは否めなかった。

■西本願寺唐門ほか(16時57分から16時09分)
はやくも夕闇に包まれつつある堀川通を左折して国宝の唐門、飛雲閣、築地塀などを先を急ぎつつ道すがらにて見学。



■龍谷大学大宮学舎(16時10分から16時12分)
西本願寺境内南側に位置する重要文化財指定されている明治期近代建築物の学舎などを見学し、大宮通を北上。



凸中堂寺城(16時25分から16時33分)
南側の道が幾分曲折している状況を除けば地表上に確認できる遺構は一切ない。
あてにした資料は「京都市内およびその近辺の中世城郭」(山下正男著/1986/京都大学人文科学研究所)などと誠に心細い限り。
東側の大宮通沿いに「中堂寺前町」の町名が残されている。
城跡推定地の北東に所在する住吉神社の境内ほかを撮影して更に北上。
時刻はこの時点で日没をむかえ、不審者の疑惑を避けるべく近くの「だいうすの城」と「龍臥城」はパスすることとなった。



このあとは五条通を左折。
次に壬生通を北上し嵐山電鉄(地元の方では「らんでん」という略称があるらしい)の踏切を渡ったところで何気なく線路を撮影してみた。
そのあとで図書館で閲覧した「京都府中世城館調査報告書」によれば2個所の中世寺院の寺構え跡ということが判明した。
京都周辺では、そもそも寺院と城館の判別が難しくなっているというか、元来区別すること自体が歴史的に不自然なのかも知れない。

■立本寺構え(16時56分)
   


■本隆寺構え(16時56分)
    


■大内裏朱雀門跡(17時22分)石柱と解説板を撮影



■平安宮朝堂院跡(17時34分)解説板を撮影



このあとは丸太通を左折して京都市立中央図書館へ向かい資料調査を行い、19時50分に退館し堀川通を南下帰路についた。
途中たまたま京都国際ホテル前の沿道で見かけた「福井藩邸跡の石柱と解説板」(20時20分頃到着)に遭遇して、お決まりの記念撮影を。
先月の11月に茨城県の結城城を訪れていることから、正しく結城秀康さんつながりという結果に落ち着いたのも何かのご縁なのかとも。
 


なおこの日は約19キロメートルを歩行した。
市バスに乗車するという選択肢も考えてはいたが、3年前と同様にこうした石柱のみの文化財探訪も想定していたことから敢えて徒歩によった。
結果は加齢と日頃の鍛錬不足の影響で両足踵の痛みに加えて、左右の小指に水疱が1個所ずつ発生。
分速80メートルを大きく下回ることとなり、とりわけ二条城を過ぎてから四条にたどり着くまでがやけに長く感じられたのであった。
いずれにしても明日の悪天候に加えて足回りの不調が懸念される状態となってしまった。

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