本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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天童古城(山形県天童市) 8時00分から9時30分
天童城とも呼ばれる愛宕山とその尾根筋の遺構。
近世織田氏の「天童陣屋」も天童城と呼ぶ場合があるとのこと。
このため地元の郷土史家・研究者は「天童古城」と呼称するとの由。

 

古天童城
古天童城

残念ながら尾根筋の階段状郭群の下段部分はかつての観光開発により地形の改変が顕著。
とはいえ階段状の切岸はどうにか現存し、周辺の郭群との相乗効果を想定すればかなりの堅城と推察。
折から野生のシャガが満開。
豪雪にも強いその常緑葉が遺構の観察にとっては大きな阻害要因に。
一般的には「人間将棋」の舞台と呼んだほうが馴染があるのかも知れません。

 

人間将棋の会場
人間将棋の会場


天童古城郭群(同上) 9時30分から11時50分
所謂「天童8館」に相当する郭群。
その史実としての信憑性については大いに疑問の余地が。
元来舞鶴山全体が戦国期天童氏の山城。
主要部分とされる愛宕山を除いた個所にも膨大な遺構が現存。
適当な呼称が無さそうなので、あくまでも取り敢えずの名称。

「天童氏と天童古城」(2005/天童市立旧東村山郡役所資料館発行)にも記載されているように、取分け「東郭」群の遺構は素晴らしく観光開発などにより一部改変を受けている愛宕山の遺構を遥かに凌ぐものが。
何しろ大小合わせて数十箇所から構成される郭群が現存。
とても短時間で縄張図を作成するなどできるはずも無く。
舞鶴山全体では愛宕山の個所を除いたとしても最低でも3日以上は必要かと。

 

南郭の帯郭群
南郭の帯郭群

合わせて5月半ばという季節のため、草木の成長は順調で地表観察には余りにも不向きなことを痛感。
このため今後の予定に含まれる山城については、遺憾ながら主に遠景からの確認で済ますことに方針を転換。
あ、雑用のためドタバタしながら出かけてきたために膝のサポーターを忘れたりしたこともその一因で。


土生田館(山形県村山市) 13時25分から14時25分
比高差僅かに20m。
神社境内を中心とした遺構のため気楽な見学のはず。
単郭と腰郭乃至帯郭程度の単純な構造かと思いきやさに非ず。

 

土生田館
土生田館

帯郭には高さ1mばかりの段差。
主郭部分は少なくとも3ヶ所に区分される予想以上の防御体制。
一部堀残し気味の土塁、物見台状の地形も残存。
このため急遽縄張図を作成しつつの探訪のすることとなり当初の予定時間を大きく超過。
これは嬉しい誤算。
けれども腹具合が芳しくなく嬉しさが半分に...

飯田館(同上) 14時40分から14時45分
資料不足+比高差80m以上+登り口皆目不明+異常低温+北西の強風++体調不良+気力喪失⇒麓からの遠望(苦笑)

 

飯田館
飯田館


三月楯(同上) 15時25分から16時00分
こちらも比高差僅かに20m。
これくらいなら何とかなりそうと思い半ば枯渇した気力を振り絞って挑戦。
然し登り口が見当たらず。
止む無くサクランボ畑となっている雛壇状の腰郭先端部からアプローチ。
今以て高さ2mから2.5mの切岸は有効。
縄張図から小口部分を探さないと登れないのでありました。

 

三月(見付)館
三月(見付)館


あ、足元はトレッキングシューズに履き替え忘れたため普通の運動靴..元へ、スニーカーで。
麓から8段ほど登り漸く主郭部分へと到達。
すると東側の沼地側に立派な柵が設置されているのを目撃。
何のことは無い、東側の堰堤側から登ればサンダルでも登れるように整備されていたのでありました。
なおこちら側から登れば、横矢のかかる構造の搦手経由で忽ち主郭へと到達。


櫤山楯(同上) 16時10分から16時15分
比高差150mの本格的山城。
麓から見る限り地表観察はほぼ絶望的に様相。
探訪所要時間は最低でも120分以上。
無論登り口も全く不詳。
こうした諸般の事情に鑑みて、所在地の確認に留めあっさりと退散。

 

櫤山楯
櫤山楯


楯岡城(同上) 16時20分から16時25分
比高差約80m、バラ園が併設されているためある程度の整備がなされている模様。
しかし東西約600m以上にも及ぶ雛壇状の郭群。
推定所要時間は150分。
相変わらず体調が回復せず、こちらも次回の課題ということで先送りに。
楽しみはあとに残しておく...って、必ずしも来年来れるとは限らないのでありますが。

 

楯岡城
楯岡城


稲下楯(同上) 16時40分から17時00分
山城が無理でも平地の神社ならばどうにか。
文字通り稲荷神社境内の周囲に残存する土塁と空堀跡。
深さは余り無いものの数mに及ぶ堀幅から神社の普請に伴うものでないことは確かな模様。

 

稲下楯
稲下楯


大久保館(同上) 17時15分から17時25分
大久保小学校北側に所在する夫々長さ50mほどに東西に分かれた水堀が関連遺構と考えられます。
近年の環境整備に伴い公園化された景観となっています。

 

大久保館
大久保館


宝鏡寺楯(同上) 17時35分から17時50分
最上川の左岸の河岸段丘辺縁部に所在する単郭の居館と推定。
遺構に関連しそうな地形は、西側の空堀跡(現在は畑)と東、北の二方に残る高さ4mほどの切岸状の崖線。

 

宝鏡寺楯
宝鏡寺楯


2日目は天候の方は前日の予報が全く外れて安定傾向に。
しかし地理不案内の地ゆえに、平地モードからの速やかな切替は至難。
加えて強めの北西の風が吹きまくり、気温低下により腹具合に支障発生。
このため国道13号線の「道の駅むらやま」を中心に移動。
この時点でほぼ日没。
寒河江市の図書館まで依頼したコピーを受領して本日の予定を終了。

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