本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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今月4度目の探訪である。
今回もいくぶん走行距離が長いので、午前4時10分に自宅を出た。
途中2回のトイレ休憩などで現地到着は午前7時10分となった。
上武道路経由の一般道走行は、片道にして約130kmほどの道程であった。

1月半ば以来2か月半ぶりであったことから、果たして体が動くのか懸念された。
城跡巡り、とりわけ山城シーズンの終わり頃になってから漸くエンジンが始動できた。
という次第で今回は同じ群馬県内ではあるが、安中市の名山城でどうにか動くことができたようなので、今少し体調の様子見も兼ねて幾分か標高を上げ中之条町方面へと転戦して見ることとした。


桑田城(群馬県中之条町)
午前7時30分から9時50分
標高538m、比高差約120m

少なくとも比高差100m以上を自分の足を頼りに登る久しぶりの山城である。
比高差にして100m以上の個所を単独で訪れたのは何年振りなのだろうか。
元々血中酸素濃度が低い性質なので、たしかに息切れは直ぐに発生するのは止むを得ない。
たかだか100mも歩かないうちから酸素不足に陥り息が切れ始めていた。
一方で加齢による足元のふらつきも目立つが、大体こんなものであろうと思う。
枯葉の山道は滑りやすいが、ストックを携行しているのでさほど問題は無い。
逆に言えばストックが無いと下山時にはやや滑りやすいということになる。

県道234号線から分岐する市道入口に最近設置された新しい案内標識と解説版が所在している。
これだけ丁寧な情報があるので道を間違えるということだけは無さそうだ。
さて登り口となる麓には害獣除けの電気柵が張り巡らされているが、通行の際には必要個所を取り外す仕組みになっていた。
これは山頂の神社参道と送電線鉄塔等の保守という意味合いもあるのだろう。
この登り口にも電気柵の内側に説明版が設置されている。
城跡への山道は明確であり送電線支柱が郭跡に2か所設置されている部分を除けば、まあまあ山城としての遺構は遺されていると言っても良いのだろう。

ひととおり尾根筋上については安全が確保される範囲内で歩きまわってみた。
なお個人サイトを除いて公開されている縄張図では、宮坂氏によるものが比較的現状に近いという印象を抱いた。
北へとのびる尾根筋については厳然とした削平地を除くと、自然地形によると思われる部分も少なくない。
このため果たしてどの辺りまでが城館遺構であるのか判断が難しい。
また主郭を取り巻いている帯郭地形は、基本的にはあくまでも2段であることが分かった。
堀切遺構については土質の脆さなどから経年による崩落と埋没がすすんでいる。
また郭部分も総じて削平は甘く感じられる。
現在のところ山頂付近の遺構に関しては城跡に関する標柱や解説版の類は設置されてはいない。

 桑田城(左)と内山城(右)

なお、現在のところ西側の送電線支柱からその西に位置する主郭に進むにはノイバラ類が繁殖を始めておりその通行には注意を要する。
城跡へと続く山道は明確で余り荒れているという印象は無いが、北側へとのびる尾根筋の歩行には崩落中の個所も含まれる痩せ尾根であることから慎重な行動が求められると思われる。
また車は道路脇の空き地のような部分に停めさせていただいた。 
 
 
山田古城(群馬県中之条町)
午前10時10分から11時10分
標高509m、比高差約100m

麓の集落からの比高差はある程度はあるが、城跡の近くまで舗装済の林道が通っていることから実質的な比高差は殆どゼロに近いものがある。
また城跡入口には有難いことに解説版なども設置されているため、あつこちウロウロと目標物を捜索するようなことは無い。
平坦な山道を50mほど進めば、すでに主郭の切岸が目に入ってしまうという誠にお手軽な山城なのである。

しかしそうはいっても、城跡遺構の観察環境は桑田城に比べると決して良好ではない。
ノイバラが各所に散在しているだけではなく、アズマザサなどの低木類も少なくなく城内での見通しは全体として良好とはいえないものかを感じた。
特に主郭から西側の郭方面についてはノイバラに幾度となく進路を阻まれてしまった。
このため、西側方面の踏査は全く不十分となってしまっている。

だが片道約3時間を要していることからも、主郭とその周辺部だけをさっと見学してサヨウナラという訳にもいかず、気力の続く限りある程度主郭東側と南東側方面も歩き回ってみた。
水の手とも考えられなくもない池跡(※この時は暫く降雨がなく乾燥状態であったが、たぶん季節によるのかも知れない)は矢張り水気を多量に含んでおり、ためしに片足を踏み入れたところ約30cmほど沈み込んんでしまった。
なおよくよく池の中心部付近を観察してみると僅かに水面があることも確認できた。
なお本来の水の手とされている池北側の谷筋は、いきなり数メートルほど落ち込んだV字谷を形成しておりその規模と深さに驚いた。
この地形は恐らくは池部分の築造などに由来している可能性があるものなのではないだろうかとも思った。

   城跡入口の説明版

一方、池の南側周辺の郭付近にも何か所かは明確な土塁地形が残存している。
しかし後世のものと推定される山道が城跡のなかを通過していることから、土塁と山道が混在しているように思え、外見上の区別がつきにくい部分もあるように思われた。
なお善福寺付近も居館跡のような城館であったとされているが、懐疑的な見解もあるらしく、遺構等も皆無に近いことから今回は敢えて立ち寄ってはいない。


稲荷城(群馬県東吾妻町)
11時30分から12時30分
標高約400m、比高差約30m

事前情報については余り調べてはいなかったのだが、遺構の残存状況でいえば今年に入ってからの探訪した中では最も良好であるように感じた。
周辺には民家と耕地が所在していることから、どうにか主郭付近だけが残存しているという状況を想定していたのだがさに非ずなのであった。
「日本城郭大系」に掲載されている要図とほぼ遜色のない状態で少なくとも6か所からなる郭がほぼそのままの姿で残存していたのである。
もっとも主郭部とそれ以外の郭群との間においてやや防御性の差異を感じてしまう部分があった。

  郭内より南東の虎口

ただし有名な岩櫃城のように東吾妻町の文化財指定は受けてはいない。
このため標柱、解説版、案内標識の類は一切設置されてはいない。
当地の草刈りなどは地元の方のご厚意などを中心にして行われているのかも知れない。
主郭土塁とこれをとりまく横堀は高さ6mから10mという切岸と相俟って壮観でさえあった。
あとから気づいたのだが、この地はあくまでも東吾妻町であり中之条町ではなかったのだが、余り調べないで赴くというのも意外性を感じ取ることができる。
これからも時々は所在地のチェック以外には下調べなしに探訪するという楽しみを残しておこうと思ったりもした。


城峯城(群馬県中之条町)
13時00分から13時15分

福祉関係と思われる農業共同作業所の東側に所在しているのだが、現在その存在が確認できる遺構は西側の土塁部分と主郭と思われる削平地と北側の帯郭だけであるように感じた。
全体として草木が多めであることもあって、地表部分の観察には支障を感じたというのが真相でもある。
なお駐車できそうなスペースが無いことから半ば路駐に近いような状態であったので、実際のところ正味にして10分内外ほどの時間しか滞在できていない。

    標柱と説明版


和利宮城(群馬県中之条町)
13時30分から13時40分

神社鳥居下の端に車を停めて徒歩にて計100段ほどの石段を登ったのだが、その途中でかなり上の方までそのまま車で行けるということに気づいた。
神社造立に伴う階段状の基壇は存在しているのだが、丘陵の南側を切土により削平地を確保しているだけである。

     神社の石段

悉皆調査や町誌などにおいても中世城館跡として把握されているのだが、地形としての要害性は余り感じられず、現在の神社境内地の様子からは往時の様相を偲ぶことは困難なのであった。


群馬県内の低山でも今年の温かさが影響して既に新緑が芽吹き始めていた。

加えて下草の方も成長が著しいように感じる。
こうなってくると関東北部近県でも、少なくとも標高500m以上でなければ地表の観察は難しくなってきているように感じた。
もはや山城シーズンの最終ではあるが、何とかしてあと1度くらいは出かけたいと思うのだが先のことは自分にも分からない。
なお今月これで4度目の群馬方面探訪なのであるが、平日の場合には早朝を含む時間帯と夕方を含む時間帯における所要時間が余り変わらないことに気が付いた。
ちなみに今回の復路の所要時間は出発は午後3時42分。
間に二度の休憩を含めて自宅到着が午後6時50分なので約3時間ということになる。
復路の方が信号待ちを含めて渋滞も少なくは無かった筈なのだが、その所要時間の差は僅かに8分なのであった。
走行距離が約10kmほど短いとはいうものの、この差の少なさに半ば当惑しているのであった。

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