本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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--前口上--
これはあくまでも直接標高737mの高野平城へのルートを辿ろうとして、結果的に何と標高974.5mを測る薬師岳に登ってしまったという笑い話です(^^ゞ

このブログはサイト更新などの作業のため便宜上5月1日に記していますが、実際に山行した日は4月27日です。
その4月27日の項には次のように記しています。

凸高野平城(こうやひらじょう、群馬県東吾妻町、中之条町)
10時20分から11時40分
標高737m、比高差約120m(南麓の林道部分から)

宮坂氏は牧場側から登られたようなのだが、できるだけ比高差を圧縮すべく儀一さん、余湖さんなどのネット情報を参考にさせていただいた。
駐車場所はこれもネット情報を頼りに路傍に余裕のある林道の山側を選んだ。
と、書いていると如何にも順調に探訪ができたような表現である。
しかし実のところここに至るまでは朝の6時過ぎから約4時間ほどの格闘があったのだが、これについては余りにも「お間抜け」であったことから反省を含めて別記する。と記していました。

--現在地確認は大切--
さて、この日自宅を出たのは午前3時前ということもあり、現地の中之条町と東吾妻町の行政境に所在している「高野平城」近くの吾妻神社付近に到着したのは午前6時前でした。
まさかこれほど早く来れるとは予想だにしなかったこともあり、先ずはこの神社と近くの善福寺を参拝しました。
この辺りに来るのは既に今月2回目であることから、ここまでは全く迷いようのない場所ではありました。
さて、参拝後当該城跡の南麓を目指してナビにはほぼ表示されない林道をそのまま車で登って行きました。
尤も、途中Y字路分岐手前の山田古城の所までは前回も行っていることもあり、その後の2か所ほどの行先表示のない林道の分岐なども地形を確認しながら問題なく通過し、ここまでは極めて順調に城跡の南麓方面へと回り込みました。
 
 塩梅の良さそうな林道分岐

しかし、できるだけ楽に登れそうな地形を探すあまり、結果的には本来直登すべき個所を直線距離にして南方向に約600mばかり行き過ぎていたようです。
言うなれば極々初歩的な誤りなのであります (^^ゞ
本来であればこの時点で現在位置の詳細な確認をすべきところ、ついつい登り易そうな未舗装の林道が目に入り然もほぼ同じくらいの比高差である尾根筋があったことから大きな勘違いを犯してしまいました (^^ゞ

 比高差50mほどの尾根筋

--反省の弁--
さて経験上「遭難」という用語を真剣に把握しなければならないのは、季節や天候などにもよりますが概ね標高1000m以上ではないかと思います。
しかし難しいのは標高500m以上1000m未満程度であっても山深い山岳です。
いわゆる山の懐が深いところで、春先に遭難騒ぎの発生した「三頭山」周辺なども同様です。
最寄りの人家まで徒歩で1時間以内で行けるかどうかというのも目安です。
近年では携帯の圏内であるかどうかもそうした目安になりました。

関東近県でも昭和40年代くらいまでは、里山は無論のこともう少し深い山でも林業や炭焼きなどの山仕事を含めた作業のために尾根筋や峠道は今よりも遥かに山道として整備されていたと記憶しています。
ところが山間部の集落が人口の流失に伴い過疎化、消滅が進み始めて、残られた方々も高齢化して、こうした山道の利用がどんどんと減少し道そのものが消失していったと考えられます。
また、クマやイノシシの出没の問題もありますが、これについては長くなりますのでまたの機会に譲ります。

  これはたぶん鹿のような

--間違いに気づいたのは何時か--
では、こうした間違いに気づいたのはどの時点かということになります。
実は最初の標高750mのピークを過ぎた時点で太陽の当たる方向に違和感を感じていました。
ところがこのピークを城跡の西に位置する標高759mのピークと勘違いをしたことから迷走が始まったようです。
なお、完全に方向を誤ったことに気付いたのはこの直後で、東へと移動していなくてはならないにも拘らず、全く反対方向である西へ向かっているという事実に気付いた時点でした。
なお、この時の標高も約750m前後です。
登り始めてから既に40分以上を経過していますので、登るべき稜線を誤認したということは確実になりました。
なお、時刻はメモによりますと午前6時40分過ぎでした。

--何故薬師岳まで向かったのか--
流石に標高800mを超えた時点で間違いはもう120%の確信へと変わっていましたが、ここまで来たら折角なので高野平城方面の様子を俯瞰できないものかとも考えました。
もう、ここまでくれば普通の山登りとなりました (^^ゞ

   標高約800m付近

また山深い地域でしか見ることのできない植物との出会いに対する期待もありました。
なおこの時は普段の装備とは異なり、高度計、非常食(約1日分)、昼食(おにぎり2個、パン1個)、飲料水約1.5Lを携行しておりました。
またレインコート、防熱シート、レジャーシート、携帯ラジオ他も携行し国土地理院のコピーした地図も持参していましたし、当然のことながら方位磁石も携行していましたので一応山岳モードではあります。
無論、天候に関してもラジオの天気予報が伝えているとおりで、まず雨が降るような可能性はゼロに近いこともありました。
なお、仮に薬師岳に登るとすれば西尾根伝いを除けば、この東ルートは唯一の登攀可能なルートであることもある程度は理解していたということも後押ししたようです。
さて、標高800mを超えた辺りからはコピーしてきた地形図どおり斜面の傾斜は大きくなり携行しているストックを使用しても這い上がるのに難儀する個所も次第に増えてきました。

   標高900m付近

幸いにして物凄い岩場には直面しなかったことから、一度も滑るようなことは無く山頂部の南側を迂回して程なく山頂へと到達しました。
この時の時刻はメモによれば午前8時頃です。

   薬師岳山頂の石祠


  有難い山頂のプレート

--薬師岳山頂からの移動--
さて薬師岳山頂で、おやつ代わりにおにぎり1個を頬張って今後の進路について熟慮しました。
まずコピーした地形図が示しているように、明確な山道のある北西部の尾根筋ルートは明らかに吾嬬山(かづまやま、1182m)から続く稜線であり、その東端部の独立峰である薬師岳への往復ルートであるとことを確信しました。
つまりは自分が登ってきたルートはあくまでも登山道とはいえないような獣道であり、いわゆるハイキングコースではありませんでした。
所々に地下足袋と思われる山仕事に関連した方が通過したという印象のおぼろげな形跡はありましたが、普通よく見かけるようなゴミの類は全く見られませんでした。
薬師岳からは北東方向に派生している尾根筋を辿れば理屈の上では直線にして約1.5kmほどで城跡付近に到達するはずです。
しかしその尾根筋は薬師岳山頂からは比高差にして約170mほどは急斜面が連続しているように記されていました。
加えて西尾根のような踏み跡自体は全く見えませんので、果たしてその尾根筋でよいのかどうかも躊躇するような具合でありました。

 この先辺りなのですけど・・

元々が岩山であることは山頂付近の露岩から理解していましたので、下山途中で露岩に遭遇すると「遭難騒ぎ」へと繋がりかねないことを認識し、北東尾根筋からの移動はきっぱりと断念しました。
かくして、ほぼ元登ってきたルートをそのまま戻るという無難な下山コースを採用するに至りました。
なお折角でしたので吾嬬山への西尾根を距離にして片道約400mほどを歩いてみました。
自分が登ってきたような獣道とは異なり快適な尾根筋のハイキングコースでした。

  南東の榛名山方面かと

下山ルートは急斜面の続く標高800m付近までは、往路の際にマーキングした跡を確認しつつ正確に往路ルートをトレースしました。
見知らぬ山中では上りと下りでは景色が違って見えますので、必要に応じてマーキングをしたり、振り返って地形を確認するなどの慎重な行動がいざという時には役に立ちます。
なお緩斜面の途中からはノイバラ、ニガイチゴ、タラノキなどの有刺植物の多い個所を避けるべく、南側に迂回して元は開拓した耕作地であった野原へと出ました。ここであらためて現在位置を確認して、そこからはそこへと向かうために築かれたと思われる林道を下り、結果的にはほぼ自分の車を停めた個所と100mと違わない地点へと下山することができました  ^^


この後本来の城跡付近へと移動して比高差約130mに再挑戦しましたが、西側尾根筋の防御が思いのほか簡素であるのは、その必要性が殆ど無いからであることが身を以て理解できました。
高野平城はあくまでも東側と南側を意識した縄張であり、急斜面を伴う北側と薬師岳から続く長大な難路のある西側の防備は手薄であっても何の問題もないように感じました。

しかし、130m登れば良いところを+330m+100mも登ったことから、少なくとも560mは登ってしまい、この時点で既に両足の脱力感は極限に達しておりました。
そのまま帰宅への道を辿るという選択肢も脳裏に浮かびました。
しかし通りすがりに立寄る程度ならば、もう少しは動けそうに思われたこともあり、あとはその時の成り行きにまかせることとしてみました。

--なぜ間違えたのか--

1.現在位置確認の不履行
2.林道分岐からの距離の未確認
3.東方からの遠望での目標把握の失敗

以上、これに加えて自分の年齢では明らかに不相応な行動という認識を含め、今後の糧とすべく反省を兼ねて纏めてみました (^^ゞ



 

 

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