本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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それなりの遺構が残存していた西今井館跡から、次は後に剣聖として崇められることとなった上泉伊勢守に関わるという上泉城へと向かった。
ルートとしては概ねそのまま上武道路に入り北西へと向かえばよいことになるのだが、途中国道50号線と立体交差する今井町のJCをついうっかりと誤ってしまい前橋市内へと向かってしまった (^^ゞ
このため止むを得ず今井町西の丁字路を左折してUターンにより再び上武道路に戻ろうと考えた。
しかしよくよく考えてみると、そのまま小田島町の交差点まで進み途中農道を経由して県道76号線の江木町交差点を左折すれば上泉町方面へと向かえることに気付いた。
高規格で建設されたバイパスは時速60km(実際には時により時速80kmで走行している車両が多い)での走行が可能なのだが、JCの分岐での判断を誤ると些か面倒なことにもなるのである。
ところが到着の直前に城の外堀代わりでもある藤沢川を渡って2本目の道を左折すべきところ、1本目の川沿いの側道を曲がってしまった (^^ゞ
とはいうものの、結果的には目指すべき城跡(郷蔵と上泉自治会館が所在)は既にナビに表示されていたので全く問題なく現地に到着することができた。


上泉城(群馬県前橋市上泉町)
10時45分から12時00分

云わずとも知れた剣聖上泉伊勢守信綱が生まれたとされている城館跡である。
上泉自治会館に駐車場があるので暫しの間こちらを利用させていただいた。
自治会館の北側に隣接した現在は文化財指定を受けている近世の郷蔵が所在する高台が上泉城の主郭である。その北側の民家との間の道や自治会館敷地の一部でもある西側の舗装された空閑地が堀跡であることは明白であった。
縄張図などにも記されている主郭北西部の張出しも健在であった。
剣聖の銅像、記念碑など建立され賑々しく出迎えていただいたが、その一方で城跡に関するものはやや年季の入った感のある説明版のみであった。
ここからは徒歩で反時計回りに東通、北通を進み城域の北限と思われる一度県道76号線に出てから再び南下して玉泉寺入口手前からまた北上し境内北側の土塁状地形を確認した。
目ぼしい城跡遺構は以上の主郭周辺部とこの土塁状地形の2か所といっても良さそうだ。
無論桃ノ木川沿いの台地崖線地形も眺めておくと良いだろう。
このあとは信綱の菩提寺である西林寺にも立寄り自治会館の駐車場へと戻った。


本丸とされている高台で、画像の建物は近世の郷蔵である。


自治会館駐車場脇に設置されている上泉信綱の銅像


いくぶん経年劣化が目立ち始めているために、説明版のひび割れが恰も通路のようにも見えてしまうのであった (^^ゞ


本丸北西部の折のついた張出部分


玉泉寺北側の土塁跡らしい地形


西方からの遠景で水田面からの比高差は約8mほどの崖線を形成している。


城跡の南部を流れている桃ノ木川で、北側と東側にはその支流である藤沢川が流れる台地先端部に築かれており、これらの河川を外堀としていたことなどが窺われる。

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