本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコなどの話題に終始しておりまする。なお2007年末から漸く群馬方面へと進出し、2008年6月には福島中通り方面、11月には栃木県南、12月には茨城県南、2009年2月には千葉県北部、5月には山形県村山地方と少しだけ領域を広げ始めております。              (2009/05/21 説明文更新)
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午前2時30分、当初の予定よりも少し早めに自宅を出発。
近所の三芳PAから高速に乗り圏央道経由で東北道を北上。
羽生PAにて山菜うどんで早めの朝食。
前回遠征の二戸、八戸方面に比べれば郡山市は三分の一ほどの距離ではある。
5度目の訪問でもあることから、もはや遠方に赴いたというような感覚は全く無くなっている。

東北道は宇都宮を過ぎると車線が減少し道路照明も殆ど無くなる。
時速80km走行の安全運転のため単独走行となり結果的に前方が見づらい。
以前から薄々感じてはいたが、年齢的に長時間の夜間高速走行はそろそろ限界のようだ。
途中那須高原手前辺りから西寄りの横風と共に小雪が舞い始める。
「横風注意、制限速度80km」の情報が流れているが、
幸いにして未だ積雪や路面凍結に至るような降雪ではない。

横風と小雪に些か悩まされつつも、ほぼ予定通りに午前5時半過ぎに福島県の安積PAへと到着した。
予定通りに今回はここで暫時仮眠して、今朝からの行動に備えることとした。
自宅からこのために持参してきた毛布が予想以上に温かく2時間ほど熟睡。
連続や厳冬期でなければ、車中泊も可能な体質らしいことに気づく。
仮眠後に郡山南ICで東北道を降り市内の一般道を東へ向かった。
なお数日前までは本来猪苗代湖南岸方面の山城を中心に数か所を巡る計画であったが、当該方面の降雪と道路事情等を考慮して直前になって郡山市内での行先を変更することとなった。


篠川城(福島県郡山市)
午前8時20分から9時30分

そもそも昨年の2016年11月に訪れた折の最終日に訪れる予定が、局地的な降雨に見舞われて国道4号線を南下している途中で断念したという経緯がある。
この日は天候の先行きが思わしくなく、かつ宿泊先のビジネスホテルから道程にして3km以上はあることから、徒歩での探訪は余りに効率が悪く今回のアプローチの選択肢からは除外した。

然しのっけから駐車場所探しに苦労して、結局合わせて県道を2kmほど往復する羽目に陥ってしまった。
奥州街道でもあるこの県道355線は城館跡を南北方向に貫通しており、交通量は決して少なくは無い。
この日は日曜日ではあったが、土地柄であるのかどうかは不明だが、その幅員の狭さに比して交通量は多く車のスピードも出ている。
また最も城館遺構らしい稲荷神社へは、道幅も極めて狭く自転車や徒歩によりアプローチする以外にはなく車での進入は禁止されている。
周辺にはいくつか神社なども所在するのだが、暫時駐車できるような個所がほとんど無さそうな様子である。
このため当初は500mほど離れた休業日の郵便局駐車場に停めさせていただいたのだが、東館稲荷神社の遺構を拝見した後は城館跡の中に所在する地元集会所脇へと移動しあとはできるだけ急ぎ足で駆け回った。
というのもこちらも3台分と些か手狭で、当方は明らかに部外者でもあることから常識的には遠慮すべきなのであろう。
やはりこうした現状では、約400mほど離れている国道4号線沿いのコンビニ辺りで買い物をするのがベストなのかも知れない。

話が前後するが東館稲荷神社へはその社叢を目安にして阿武隈川の左岸堤防の歩道から徒歩でアプローチした。
県道沿いから探したのでは路地も狭く初めての人間にはやや分かりにくいように感ずる。
比高差のある堤防上から南方を見渡すと、ひときわ木立の目立つ林が目に入り、まさにその場所が稲荷神社なのであった。

  阿武隈川と篠川城の遠景


   東館稲荷神社付近         同   左

遺構としての一番の見どころはやはり神社社殿の所在する土塁であろう。
そのすべてが人工的に造成されたものではなく、あくまでも阿武隈川に沿った河岸段丘の地山地形を巧みに利用したもののように思われる壮大な規模である。

   東館の南隣の地形         同  左


    東館稲荷神社         篠川城址石碑


 周辺部との比高差は約5m   社殿が所在する土塁の張出部


  石祠の北側に続く土塁        南側から


     東側から           北西側から


  篠川御所付近(推定)

この周辺が最も城館跡らしい雰囲気が感じられる環境であることから、こちらの見学だけでも事足りるようにも思えたが、この際なので県道西側の方の現状も確認することとした。

    字高石坊付近          同   左


   県道西側の土塁跡         同   左


   高石坊供養塔群解説       同     前


    同     前        同     前


御代田館(福島県郡山市)
9時40分から10時10分

御代田城の所在する丘陵訪れたのはもう10年近く前のことになる。
館の主郭付近と思しき耕作地を目の前にしてふとひとしきり感慨に浸る。

 直ぐ側を北流する阿武隈川      御代田城方面


 たぶん御代田館の中心部付近


  大正天皇即位記念碑
側面には「星ヶ城の旧址(きゅうし)天正年間在城 稲荷神社旧跡 大正2年4月10日郷社合祀」と刻まれておりますが、光線の関係で画像が暗く読みにくくなっております <(_ _)>


       柿

ところが未だに直ぐ南方の丘陵地帯にに所在している「星ヶ城」あるいは「御代田城」との関連がよく分からないままでいる。
いずれにしても三春田村氏と葦名・佐竹勢との安積地方の領有争いに関連した城館であることには違いが無いらしいのだが。


正直館(福島県郡山市)
10時40分から11時20分

午後からの天候の推移が危ぶまれていたので、どうにか午前中に最低限の目安であった3か所の探訪を終えて一安心。
この城館も田村氏と葦名・佐竹勢との抗争をめぐり陣城として利用されていた可能性があるといわれている。
確かに西方約1kmに所在する御代田館、御代田城方面の動向を見定めるには恰好の小丘陵である。

   画像中央の林が館跡

現在は切通しの市道により南北に分断されてはいるが、南側を中心に横堀、虎口などを伴う郭区画が確認できる。
また北側の菅舩大明神の東側にも土塁を伴う横堀が残存している。

    神社東側の遺構

郡山市の郊外とはいえ、この辺りは遺構に接してその周囲に宅地が点在しており、この遺存状態は奇跡的でもありある種の感動を覚えた。

   西側虎口状の地形       たぶん元は横堀


    西側の横堀           西側土塁

なお寺院跡の石碑が建立されている正直公民館を含めた南北約200m、東西約150mがこの城館の領域なのであろうと思われた。
比高差は北側の水田面からでも約10m強に過ぎない小丘陵ではあるが、北方と西方の眺望は頗る良好であった。


大善寺西館(福島県郡山市)
午前11時40分から12時00分

大安場古墳公園の駐車場に車を止めて、徒歩にて南東にある目の前の丘陵へと赴く。
正式名称は「西館」なのだが、市内には同名の城館跡も所在することから便宜上大字名を付した。
阿武隈川支流の谷田川とその支流である前川が合流する地点に南東からのびた丘陵の先端部に所在している。
 
  次第に雲行きが怪しく      いざという時の保険

然しここに赴く際に前日からの天気予報で懸念されていたとおり次第に小雪が舞い始めた。
雪雲そのものは山間部での降り残しの断片なので本格的な降雪にはならないことは予想できたが、何分にもタイヤがノーマルであることもあり、いちおうは今後の展開如何では宿泊先のホテルまで撤退することも念頭に入れた。
 
青空は見えるが小雪の舞う天候    こういう地形が多い

またこの日のルートは天候を視野に入れて郡山の中心部から3kmに満たない範囲を移動するという計画であり、撤退を決断すれば遅くも10分程度で宿泊先のホテルに到着できるように算段をしていたので一向に慌てるような事態では無かった。
 
    南側の神明宮       天候は相変わらず不安定

北方の大善寺付近が「館」、その南側に「中新屋敷」などの関連地名が遺されている。
概ね比高差15mほどの丘陵であるが、自然地形に近い切岸を除き丘陵上は宅地化、耕作地化が進んでおり城館遺構の形跡はあまり明確ではなかった。


大善寺東館(福島県郡山市)
12時00分から12時20分

前項の西館からは直線で南南東約200mの地点に半ば接するように所在しており、宅地化が進んでいることから両者の境界はあまり明確ではない。
同時代に存在していたのかは不明ではあるが、地理的には至近距離にあることから何らかの関連性が想定される。
字名は「上野」「上野代」のほか「上石切場」などの字名も所在している一帯で、集落内の路地を挟んでその南側には大善寺集会所の建物が所在している。
西側の外れの市道沿の民家宅地に土塁状の地形が散見されるが、後世の風除けなどである可能性も考えらなくはない。

    民家境の土塁          同   左

また市道を挟んだその南側には、小さな石祠が祀られている眺望のよい小高い削平地が所在しており、物見のようにも見えなくもない。

  石祠が祀られている個所       眺望はよい


◎大安場古墳(福島県郡山市)
12時20分から12時45分

かつては「東館」との地名の遺存から、中世城館跡との関連が想定された時期もあったようだ。
しかし現在では同古墳の学術的な調査により、あくまでも前方後方墳であるとされているとのことである。

   公園のキャラクター        前方後方墳

10日ほど前には八戸方面に居たのだが、毎年この時期になると郡山市内に出かけている。
今年は冬型の気象が例年に比べて早く到来したらしい。
時々日差しが戻るものの、この日の午後1時頃過ぎ最高気温は摂氏6度だったのだが、それはあくまでも市内の観測点での数値である。
ここは郊外の丘陵地帯なので恐らくは摂氏3度前後、然も墳丘上は8m前後の強い西風が間断なく吹き続け耐寒気温は冷凍庫のような按配であった。
さすがに積雪までには至るような羽目には陥らなかったが、度々奥羽山脈を越えた雪雲の断片が飛来し時折小雪の舞う天候が続いていた。
 
  次々と雪雲の断片が飛来

日曜日の昼間ではあったが耐寒気温も低いことから墳丘上に赴く見学者はほぼ皆無なようで、寒風の中で眺望のよい360度のパノラマ風景を約10分ほど独占することができたが、その結果漸く治りかけてきた気管支炎が復活し鼻水も止まらずに困惑することとなった。


田村小川館(福島県郡山市)
13時00分から13時30分

北と西に谷田川の支流である河川(前川か)が大きく蛇行し、南には谷津田が深く入り込み周囲から隔絶した地形を呈しているが、東側は地続きの丘陵であるため防備上の弱点を抱えた地形でもあるといえる。

     圓龍寺付近          同   前


    同   前          南側の谷津田


推定地域には「舘」および「戸ノ内」という城館関連の字名遺されている。
比高差は南側で約10m、北側の前川沿いで約15mと決して高くはないが、圓龍寺境内の所在する一帯とその北側の石材店に関連すると思われる旧家北西部は天然の要害地形の残滓を感じさせるものがある。
また当該旧家敷地内には一部土塁状の地形も散見されるが、当該城館遺構との関連性は不明である。

   前川に面した北側        同    前


遺跡(福島県郡山市)
13時40分から14時00分

「まほろん」や「郡山市埋蔵文化財包蔵地マップ」の情報によれば、以前に一部発掘調査の行われた個所であり堀、郭、土坑、溝などが確認されているという。
なおこの点については当該発掘調査報告書を確認していないことから、現時点においてその詳細は把握できていない。
また「郡山の伝説」(1981年刊行/郡山市教委)によれば、「手代木城」に関する伝承も伝わっているとのことである。

      保険           宅地北側部分


    宅地東側部分         宅地南側部分

なお翌々日には市立図書館に立寄り関連資料を調べたが、時間不足などのためこの城館跡に関してはその詳細を確認することができなかった。
この一帯は圃場整備により地形の改変が行われており、切岸状の地形も確認できるが、その旧態の詳細を把握することが難しい。
ただし該当地の宅地一帯が周囲の耕作地よりも高位に所在していることだけは確認できる。
また該当地には「舘」の字名が残されていることも館跡としての傍証になるものなのだろう。
 
    新しい盛り土


城山館(福島県郡山市)
14時15分から14時35分

舘遺跡から見ると直線にして西方約500mの東西方向にのびた丘陵の西端に位置しており、南側には谷津田が東西に伸びており、大安場古墳からはその谷津田を挟んだ北側約400mの地点でもある。
東側の尾根続きを除いた三方は急傾斜地となっており、自然地形としてもその要害性は高いものを感じる。
 
   南方からの遠望         愛宕神社の西麓

当地には愛宕神社が所在しており、比高差10mほどの西側麓の石段からアプローチした。
この石段が敷設されているので難なく登れるのだが、その傾斜角度は45度前後の急傾斜である。
神社ではあるのだが、現在その境内地には社殿は無く小さな石祠が祀られているのみである。

 
   境内東側の謎の地形
樹木の抜根跡にしては大きすぎる池跡のような窪地と微高地が所在していた。


神社などではよく見かける中段の削平地なので腰郭であるのかは不明(^^ゞ

東側丘陵続き部分を除き眺望に優れており、特に西側の阿武隈川支流谷田川方面の眺望が良好である。
 
    :境内の石祠          南側の谷津田


館屋敷(福島県郡山市)
14時40分から14時50分

西田町支所前に駐車して徒歩にて目の前の丘を徘徊したが、宅地の間に耕作地が残る平坦な丘陵の緩斜面というだけで、見事なまでにそれらしい景観が遺されていないことが確認できた。

   北側の眺望は良好

この時点で日没まで多少の時間的余裕は存在したが、低温と寒風により次第に気力と体力の低下を感じ始めていた。
この日の幕引きに相応しいエンディングでもあることから、翌日以降の予定も考慮して幾分早めの撤収を決断した。
これが、たまたま目ぼしい遺構などを目にしてしまうと、無理をして日没後まで活動してしまうような羽目に陥ることも想定されることから恰好の契機でもあった。


この日は以前は城館跡とも伝わっていた古墳公園を含めて都合10か所である。
予定では最大12か所を想定していたが、前日の天気予報では雨と雪であったことから、最悪は0か所、どうにか3か所くらいは行ければ、と踏んでいたことから考えれば上出来の部類であった。

そういえば最近は目的地探しで迷うようなことは余り無くなってきたようだ。
事前の書籍などの基礎資料などの読込に加え、近年では城巡り人気を背景に電子国土、他のウェブ地図、各種航空写真、城館関係のネット情報などがある意味過剰なまでに潤沢な時代となってきている。
管理人が本格的に城跡巡りを始めた2000年代の中頃に比すとまさに様変わりした感がある。
あれこれと試行錯誤しつつ彷徨うのも楽しみのひとつなのではあるのだが、年齢的にそうした時間の余裕は残されてはいないように感じ始めている。

季節が進み日の傾きがさらに早くなったようだ。

温暖な快晴であれば午後4時頃まで行動することも可能である。
しかし生憎と西の空には分厚い降り残しの雪雲がかかり、早くも午後3時前には黄昏時を迎えていた。

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