本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコなどの話題に終始しておりまする。なお2007年末から漸く群馬方面へと進出し、2008年6月には福島中通り方面、11月には栃木県南、12月には茨城県南、2009年2月には千葉県北部、5月には山形県村山地方と少しだけ領域を広げ始めております。              (2009/05/21 説明文更新)
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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みちのくの4日目になった。
計画では帰宅の予定日である。
来訪以前には2日程度の滞在延長も考慮していたが、どうにも気管支炎が改善しないため当初の予定通り素直に帰宅するのが大人の常識というものである。
そうはいっても帰宅に伴う高速走行は元々夜間を予定しているので、午後3時過ぎくらいまでは滞在することが可能なはずである。


  「ホテル内で待機中」
開館時間は午前9時なので、8時20分頃まで宿泊しているホテルの室内で待機することとした。
ベッドに横になるとそのまま二度寝しそうになることから、椅子に座り所在なくボーッとして朝ドラを見ていた。


◎八戸中央図書館
午前9時00分から10時30分

さて本日の予定だが、図書館は今のところ1日目の二戸市だけしか立ち寄っていない。
南部町にはいわゆる公民館図書室のようなものしか無いらしく、著作権法に照らせば法的に資料複写ができないという制約がある。
一方八戸市の中央図書館はそれなりに自治体史関係も充実しているので、まずはこちらの方にて閲覧・複写を行うこととした。
現在の南部町は旧南部町、福地村、名川村が合併しているので3か所分の閲覧・複写を行った。
なお八戸市史関係は刊行年次も新しくボリュームが大きいことからこの際なので購入することとした。


     「紅葉」
朝方の交通渋滞を考慮して早めに向かったところ早く来すぎてしまい、止む無く同じ敷地内の公園を散策していた。


 「図書館・公民館の庭園」
折から鍵の手状の築山の紅葉がなかなか良い具合であった。

 
     「佳景」

全体として資料が豊富であり、あれやこれやとついつい目移りしてしまった。
このため30分程度で退出する積りが、1時間半も費やしてしまった (^^ゞ


古館(青森県南部町、再訪)
11時00分から11時30分
「福地村史」に記載されている古館の領域を確認すべく再訪した。


たしかに虎口とも想定できるルートだが・・・耕作のための農道にも見えるのだが


この部分は確かに館の一部として考えても良さそうな地形ではあるが、厳島神社が所在する郭までの距離がいくぶん大きすぎるようにも感じる。


この画像左側部分を郭跡と見るのは、後世の開墾などにより地表の改変があるとしても如何なものだろうか。


馬渕川の船着場の拠点として、向側の平坦地までを含めるのはどうなのだろうか。
執筆者も地籍図を基にいろいろと試行錯誤を重ねて熟慮したものであると思われるが、やはりこの地域の領主層の館跡としては過分な規模であるように思われた。


森ノ越館(同上)
11時25分から11時50分


館跡の東側は道路であり、堀跡の名残のようなものは見受けられない。


集落北側には堀跡の形跡は感じられない。


   「民家裏側の段丘」


「稲荷神社」脇の崖下へと続く里道


    「稲荷神社」

 
  「崖下へと降りる里道」


   「北側の崖線部」
年月の経過がに起因しているものなのかも知れないが、やはり「青森県の中世城館」に掲載されている略図のイメージとはかなり乖離しているという印象があった。


三戸城(青森県三戸町)
12時30分から15時00分


   「中腹の城址碑」
永禄年間頃、南部晴政の代に聖寿寺館よりこの地に転じたと考えられているらしい。
その後南部氏の盛岡城への転出後においても、古城として維持され江戸時代の貞享年間頃に廃されたとも考えられている戦国期から近世の初めにかけて使用されていた城郭である。


     「解説版」


   「本丸跡石碑」


    「発掘調査中」


 故馬場のぼる氏ゆかりの地


 「江戸時代初期の三戸城」
現在の状況に合わせた遺構、史跡などの説明があると嬉しいのだがパンフレットもこれと同様のものであり見当たらなかった。

 
  「模擬櫓の資料館」


   「淡路丸」付近


  「鍛冶屋御門」の石垣
秀吉の奥羽仕置き以降、延べ3度にわたり積み直されているらしい。


   「糠部神社境内」


     「鹿園」
おりしも雄鹿が角を突き合わせている最中で、時折発するその乾いた衝突音が人気のまばらな城山公園内に響き渡っていた。


    「綱御門」
平成元年にふるさと創生事業により建てられたバブル期の観光施設に近い櫓門ではあるが、こうしてある程度年月が経過してくるとそれなりに風景になじんでくるらしい。
石垣の処理が何とも言い難い粗雑さを醸し出していたように思えた。
この城跡は「県立城山公園」として整備され、春には1600本の桜が咲き誇るそうである。


   「三戸城遠景」
三戸高校の付近から撮影したものである。

このあと町内の三戸図書館に立寄り三戸町誌を閲覧の上複写申請をした。
こじんまりとした小さな図書館であるが、金はかけずに手間をかけた資料展示の工夫にひとしきり感心。
これで二戸、八戸、南部、三戸関係の基礎的な資料はいちおう揃うこととなった。
しかしあまりに往復に要する時間がかかることから、次の遠征があるのかは自分でも分からないでいる。


日没前の午後4時頃に図書館を退出。
もと来た国道4号線へと戻りそのまま南下し、最初の日に訪れた二戸市を通過したあたりから次第に空模様が怪しくなり始めた。
一戸町に入ったあたりからは完全な降雨となり日没前にもかかわらずライトを照射し走行した。
岩手町の辺りでは日没となり国道4号線は完全に真っ暗闇に包まれた。
国道340、395号線に比べればアップダウンとカーブが少ないものの、道路照明はほぼ皆無に近く、雨も本降りとなってきた。
やはりこの辺りの走行に不慣れなものにとっては気疲れの伴う運転となった。
それでもどうにか予定通り滝沢ICから東北道に乗り、本降りの闇の中をひたすら南下。
雨は紫波SA付近でようやく小止みになり、同SAにて「かつ丼」で夕食。
途中安達太良にて給油し、その後は安定走行を続ける大型車をマークしつつ時速80kmから90kmで休憩なしの夜間走行。
このような事態を想定し前日の睡眠時間は約9時間を確保していた。
その後深夜午前1時前に無事自宅到着。
かくして帰路も夕食、給油などを含めると約9時間を要した。 

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