本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコなどの話題に終始しておりまする。なお2007年末から漸く群馬方面へと進出し、2008年6月には福島中通り方面、11月には栃木県南、12月には茨城県南、2009年2月には千葉県北部、5月には山形県村山地方と少しだけ領域を広げ始めております。              (2009/05/21 説明文更新)
カレンダー
07 2019/08 09
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 16 17
18 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新CM
ご無沙汰です(返信済)
(06/19)
その後の今井(返信済)
(03/03)
(01/07)
(01/05)
無題(返信済)
(01/03)
最新記事
(08/19)
最新TB
プロフィール
HN:
武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
性別:
男性
職業:
定年を過ぎました~
趣味:
「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
アクセス解析
フリーエリア
[1342] [1341] [1340] [1339] [1338] [1337] [1336] [1335] [1334] [1333] [1332]
更新に伴う整理作業のためにいろいろと調べていったところ、次々と懸案事項が累積しました。

◎「大舘八幡宮」について
 南方約400mに所在する大舘八幡宮の縁起(※「新田一族の盛衰」(2003/久保田順一著/あかぎ出版)では大舘氏初代とされる家氏が勧請したとしているが、仮にこれが「現地説明板」に記されているように近世の建立(勧請あるいは再興か※この点について「角川日本地名大辞典」では「旗本(黒石藩立藩以前の津軽藩分家)津軽信敏の再建」としている)だとすれば大舘氏との関連性はどうなるのか)とその存在意義について

◎「近世津軽藩代官陣屋時代の実相」―陣屋支配の領域と代官陣屋の所在地

◎「その後氏明以降の大舘氏一族の事跡の記録―氏明の子であるとされている義冬(基本資料「大舘持房行状」)と氏清(基本資料「軍記関岡家始末」)ならびにその子孫の事跡とその記述内容に関する信憑性

等々次々と気にかかる懸案事項がいろいろと累積し始めてしまい収集がつかなくなっています。

拍手[3回]

Comment
Name
Title
Color
Mail
URL
Comment
pass