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この冬は単独での探訪計画倒れが続くさなかにあって実にありがたい限りでありました。
凸古河城(茨城県古河市) 午前9時40分から10時40分
この日は生憎と御所方面は観光イベントのため混雑していたため、古河歴史博物館と古河城から探訪を開始しました。
城域の宅地化などにより分かりにくくはなっていましたが、資料などを参照しつつ丹念に確認しながら廻れば市内の各所に土塁などその痕跡を辿ることもできることが分かりました。
◎足利成氏の墓所ほか 11時00分から11時20分
墓所以外にも友好的なネコさんと遭遇し境内の桜も満開でした。
◎野木神社(栃木県野木町) 11時30分から11時50分
おりしも二輪草の群落が見ごろを迎えておりました。
画像は野木合戦の舞台ともいわれている野木神社の社殿。
なお、たまたま拝殿脇に佇んでいた際に震度2程度の地震に遭遇。
僅かに社殿のきしむ音が聞こえた以外には異常はありませんでした。
凸野木城(同上) 12時00分から12時25分
野木神社の北東直線で約200メートルの舌状台地に占地している城跡で、郭面は耕地化と一部宅地化により明確な遺構を確認することはできませんが、台地を形成する斜面の形状と自然の谷を生かした明瞭な堀跡を観察することができました。
凸逆川城(同上) 12時35分から12時50分
所在地は複数考えられている比定地のひとつでありますが地表観察からは城館遺構としての特徴を捉えることはできず、また別名を友沼城ともされていますその呼称の関連性や所在地そのものを含めて不明な部分が多いものと考えられます。
凸法音寺城(同上) 13時05分から13時25分
真言宗法音寺の境内北東側に隣接した城館遺構で、現在でも南西側を除いた方形状空堀跡の大半と土塁の一部を目にすることができました。
凸乙女の土塁(栃木県小山市) 13時30分から13時40分
国道4号線乙女交差点北西側、乙女幼稚園北東側に隣接した平地林内に土塁状の地形が残存しています。
土塁の長さは南西で約50メートル、南東で約80メートル、北東では幾分湾曲し約70メートル、北西で約60メートルほどの規模を形成しています。
小口などの形跡も見当たらず、一時的な陣城のようなものとも想定できますが、道路が区画整備された市街地の公道に沿接していることなどの立地条件の不自然さもあり、その経緯など詳細は不明のようです。
凸針谷屋敷(栃木県野木町上) 14時30分から14時50分
根渡神社へと続く参道の東側に所在する平地林の中に位置しています。
長大で直線的な印象のある規模の大きな堀跡遺構が確認できますが、当地の旧家との位置関係を含め普請された意図やその背景を窺い知ることが難しい遺構でした。
凸小堤城(茨城県古河市) 15時20分から15時50分
円満寺境内の北側と西側に水堀跡を伴う明確な土塁遺構が確認できます。
この個所を中心として形成される縄張が推定されますが、周辺の宅地化、耕地化などにより地表面からの観察ではその痕跡を確認することは難しいようです。
このようにして探訪するうちに早くも歩行距離は15000歩を超え始めて、いつものごとく己の足元には漠然とした疲労感と違和感が醸成されはじめました。
晴天化の3月の末日でもあり、太陽はまだまだ十分な高さにあってあと2か所ほどは廻れそうな時間帯でありましたが、先日高齢者の仲間入りを果たした管理人の足元は次第に覚束なくなって本日の探訪の幕引きと相成りました。
来月に予定している春の遠征計画を遂行するに当たり、だいたい一日につき20000歩の歩行を可能とするための対策を講じねば・・・と痛感する管理人でありました。
1年ぶりくらいとなるクラシックの演奏会にでかけました。
チェロとピアノという比較的地味な組み合わせでしたが、ピアノの方は「例の事件」で「有名」となった新垣隆さん。
会場が都内ならば出向くこともありませんでしたが、たまたま隣の町という事情もあって家内とともに出かけたような次第です。
もうすぐ築20年近くなる比較的小規模なホールなのですが、あらためて弦楽器のもつ響きの美しさを味わうことができました。
下記の情報はフェイスブックより引用しました。
いま最も話題の作曲家・新垣隆とチェロの名手・海野幹雄
クラシックの名曲はもちろんのこと、この日だけの「三芳
【日時】
2016年3月30日(水) 開場/18:00 開演/18:30
【会場】...
コピスみよし(三芳町文化会館) ホール
埼玉県入間郡三芳町大字藤久保1100番地1
【出演】
海野幹雄(チェロ)
新垣隆(ピアノ)
本日は史進さんのご案内で千葉県野田市と茨城県境町方面を探訪しました。
この日は一週間前の週間予報によると50パーセント以上の降水確率が。
やがてこの日が近づくに従い次第に降水確率は下降し、春霞がたなびくうららかな行楽日和と相成りました。
凸小作館(コサクヤカタ、千葉県野田市) 午前8時30分から9時15分
最大比高差2メートルほどの寺院境内西側に最大幅7メートルばかりの堀跡状地形が認められ、古墳のようにも見えなくもない細長い塚状地形も併存していますが、この西側部分を除いた方面には明確な地表状の特徴を認めることはできません。
「ふさの国文化財ナビゲーション」では中世城館跡として掲載されています。
凸古布内館(コフチヤカタ、千葉県野田市) 午前9時30分から9時45分
堀の内の字名が残る利根川右岸沿い堤防脇の十二天神社境内付近が中世の館跡と推定されているようです。
「ふさの国文化財ナビゲーション」では中世城館跡として掲載されています。
凸関宿城埋門(千葉県野田市) 午前10時00分から10時10分
関宿城の移築された城門が民家敷地に現存しておりました。
■実相寺(千葉県野田市) 10時15分から10時30分
鈴木貫太郎の墓所。
■宗英寺(千葉県野田市) 10時45分から10時55分
古河公方足利晴氏と徳川家康の血縁松平康元の墓所。
凸関宿城(千葉県野田市) 11時10分から12時05分
画像は本郭跡の一部とされている個所です。
凸長井戸城(茨城県境町) 12時30分から13時00分
土塁、空堀、郭など明確な遺構が残存している城跡。
凸田向城(茨城県境町) 13時05分から13時20分
台地西端の一部に空堀と土塁に囲まれた郭地形の一部が遺されています。
南側の部分は二重堀のような構造で、東側には土橋が付されていますがその先は耕地となり、郭部分の先端もかつての水田耕地整理により丘陵自体が削平されていることが窺えます。
すでに戦後間もないころの地形図には認められず、明治期に作成された迅速図にはその痕跡が窺われることから考えると、その間頃に地形が改変されたものと考えられます。
凸稲生城(茨城県境町) 13時30分から13時35分
台地南側部分は近年の土取りなどによりその地形は大きく損なわれているが、水田面との比高差は現在でも8メートルを超える高さを有しかつての要害の地であったことが窺えます。
また台地基部側に現在でも僅かにL型の土塁状地形が確認できます。
■長塁跡(茨城県境町) 14時00分から14時50分
茨城県遺跡地図などの情報によれば断片的ながら、おおむね南北方向に長さ約3キロメートルほどにわたり土塁状の人工地形が遺されていたことが記されています。
しかしその現況は宅地、耕地化などにより消滅しておりました。
それらしい跡のようなものも無くはないのですが完全消滅に近い状況でありました。
台地尾根筋を平行に築造されていたという経緯などを勘案いたしますと、おそらくは野牧の施設に類するものであったのではないかとも考えられます。
下記画像はあくまでも土塁地形そのものではなく、野馬土手跡付近に残存していた切通し状の地形です。
凸堀江候屋敷(茨城県境町) 15時05分から15時30分
現在でも民家敷地の北側方向に複数の盛り土状地形が認められ、それぞれ小祠などが建立されていましたが、それ以上のことが分かりませんでした。
すでに3月下旬に入り日没の時刻までには2時間以上もある季節になりましたが、帰路の渋滞など諸般の事情に鑑み本日はここまでとなりました。