本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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約1か月ぶりくらいとなるブログ記述であります。
この間世情ではコロナウィルス騒動の最中ですが、個人的にはわが身にぶり返す掻痒とのたたかいであったという感があります。
あとは毎度お馴染みの腰痛も再発中であります。
と、「あります」が3回続いたところで終わるのであります。
どうもいまだに作業に集中できないようなのであります。

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新型コロナウィルス感染の危惧はありましたが、とうとう市販薬では限界となり、背に腹は代えられずに昨日川越市内の皮膚科を受診しました。
やはりステロイド系の医薬品である外用薬の効能は高いらしく、先日から継続していた全身にわたる掻痒感が改善してきたようです。
服用前の掻痒状態を10とすると現在は3未満くらいかとも。

このほか医師からアドバイスを受けた洗濯した下着類の部屋干し、入浴時における浴槽の水温に関する注意(温め)、スポンジやタオルで擦ることを避けるなどの注意事項を励行。
このほか今回事態の因子となった可能性のありそうな刺激物摂取の忌諱にも配慮。
このまま上手くいけば恐らくは数日ほどで症状は治まりそうな感じもしてきました。


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1週間ほど前頃から全身に掻痒感が蔓延しております。
このため体のあちこちに掻き壊し跡が点在中です。
またしばしば就寝中に掻きむしっているようでもあります。
多分に加齢に伴う皮膚組織の老化てようにも思われます。
現在のところでは市販薬の抗ヒスタミン軟膏で対処しているのですが掻痒感について劇的な改善は見られません (-_-;)
ただひとつ気が付いたのは、どうも掻痒感の激しい折には花粉症の症状が消失しているように感じているということであります。

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1月下旬頃からの花粉症に加え2月の末辺りから風邪症状のためにここ暫くは動けないでありました。
加えて世情でのコロナウィルス騒動もあることから、なかなかおいそれと単独では外出するような気にもなれずにいたようなところでありました。
そうしていた折に今回も 史進さんのお誘いをいただき先月に引き続いて霞ヶ浦方面へ。


〇しし土手(茨城県かすみがうら市西成井上宿辺りか)
午前9時20分から9時30分

国道354線から県道141号線へ入り最初の目的地である宍倉城へと向かう途中で、とても目立つ「史跡しし土手」の標識が目に入りましたので立ち寄ってみることになりました。
耕作地の脇ではありましたが、一応土手沿いに進むことのできるスペースがありました。
土手の高さは約2メートルから2.5メートル、長さは少なくとも100メートルを超える規模がありそうなことを確認しました。
消防署の位置から見ますと南東方向にあたり県道141号線北東沿道となります。

  「しし土手」の上部


宍倉城(茨城県かすみがうら市)
午前9時40分から10時30分

近所には駐車スペースが見当たりませんでしたので、近くのお寺の駐車場を拝借しました。
近世に入り陣屋として機能していた可能性もあるらしく、陣屋構えの部分と半島状地形を利用した中世城郭との部分に分かれているようにも感じました。
常陸小田氏重臣の菅谷氏の城とされています。
主郭、横堀などの遺構が現存しています。
下記の画像は主郭北側の横堀状の地形です。



札城(茨城県鉾田市)
午前11時30ぷから12時20分

鹿行大橋の東畔近くの丘陵地帯に所在しています。
丘陵の南端部に相当する普門寺の辺りはその北側部分とは隔絶するような地形を呈しているようにも感じました。
確実な城館としての遺構は松尾神社とその南側の郭部分辺りまでとなるのでしょうか。
常陸大掾氏の末裔である札氏の城と考えられているようです。
下記の画像は松尾神社が所在する北端部の郭から眺めた南側の横堀地形と南側郭の土塁部分となります。



中居城(茨城県鉾田市)
12時45分から13時55分

念仏堀の存在でも知られている鹿島氏一族中居氏の城跡です。
南東部が土取りなどにより湮滅していますが、規模の大きい横堀、枡形状の虎口なども現存しています。
主郭方面から念仏堀と呼ばれている横堀方面のルートは倒竹が酷く足を延ばすには至りませんでした。
下記の画像は主郭北側の枡形状を呈している虎口付近の画像です。



山田城(茨城県行方市)
15時10分から16時10分

常陸大掾氏の末流とも考えられている山田氏の城です。
こちらも主郭の周りに横堀が配された縄張りです。
下記の画像は主郭北東部の横堀付近の画像です。



〇小舟津の土塁(茨城県行方市)
16時20分から16時30分

県道2号線を山田城へ向けて移動中に史進さんが見つけた屋敷の土塁です。
北浦の湖畔に所在し屋敷の北側に位置していることから、近世以降の屋敷囲いの風除けの土塁なのかもしれませんが高さは3メートル前後はあるように感じました。



小貫館(茨城県行方市)
17時00分から17時10分

この日はものすごい強風が吹き荒れたために、上空では雲一つない青空が広がりました。
このため夕刻間近となっても西の空に雲がかかるようなことはありませんでしたので、国道354号線沿いに所在しているこちらに立ち寄ることとなりました。
丘陵南西部の一部に堀と土塁などの遺構が残存しています。
何分にも訪れた時刻が午後5時を過ぎていたころから夕闇が迫り始めてしまい、竹林の斜面に埋もれる堀跡と土塁を一瞥するにとどまりました。



この日はコロナウイルスの影響なども気にはなりましたが、霞ヶ浦近くの道の駅ではお彼岸/祝日ということもあるのかかなりの賑わいを見せていました。
感染の拡大抑止も重要ですが、社会行動の規制/自粛がもたらす経済へのダメージも考慮せねばならず、まさに二律背反となっているようです。
またこの日は既に出発の時刻から風は些か強めでしたが、東西方向にのびている圏央道では北寄りの強風が吹きつけて強風の度合いを示す吹流しは真横に翩翻として翻っておりました。
往路での霞ヶ浦や北浦の湖面は大きく白波が泡立ち最早暴風と表現したほうが相応しいような時間帯もありましたが、日が傾き始めた夕刻の4時過ぎ頃からはようやく強風が落ち着き始めました。

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先月末頃からこの時期ではお馴染みの花粉症を発症中です。
これにたぶん孫から感染したと思われる咳を伴う風邪症状も継続中であります。
元来気管支などの呼吸器系等に難があるので、一度罹患すると少なくとも1か月は継続します。
なお発熱症状の方については全く確認されないので、おそらくは巷に流行している感染症ではなさそうです。
というよりも夕刻の検温でも35度半ばなので寧ろ低体温症傾向であるのかもしれません。
相も変わらずこのような次第なので、先月末からほぼ自宅内待機状態を継続中。
自粛というよりも花粉の飛散により外出自体に支障があるというような按配となっております。

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