本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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男性
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定年を過ぎました~
趣味:
「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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昨日で62回目の誕生日を迎えてしまった。
また、一昨日は父親の10回忌。

相変わらず、長距離の電車内に滞在することが苦手なため、墓参りは省略して自宅で供養することに。
また仏壇一式は長兄が管理しているので、仏花と写真での供養のみ。
なお父親の命日と1日違いなので、昨日はそのまま誕生祝いを兼ねる祝花に変貌。

いわゆる健康寿命は、あと8年足らずかと。
せめて右足だけでも、まともに動かしたいところ。
しかし、骨棘、アキレス腱の痛み、膝関節症とまさに三重苦状態。
取り分け立ち上がる際のバランスの悪さと、右足の痛みに問題が。

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「高原列車は行く」を歌われた岡本敦郞さんが亡くなられました。
ヒット曲は、ほかに「朝はどこから」「白い花の咲く頃」など。
序奏の軽快さと、どこまでも明るいメロディライン(作曲は古関 裕而氏)。
そしてその優しげで軽やかな歌声は、戦後日本社会の輝ける明るい未来の到来を予感させてくれるものがあったように思われます。
享年88歳とのこと。
合掌。

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確か昨年の5月10日から、アルバイトを始めまたものと記憶しています。
年末年始は28日に休んだ後は、29日から1月4日まで連続出勤が続いたようです。
当初は7年近く社会的な交流から遠ざかっていたので、とれくらい続けられるのか懸念もされました。

相変わらずアルバイト採用のままのようですが、3ヶ月目辺りからは健康保険と厚生年金にも加入できました。
むろん時給制なので、賞与の支給はなし。
今のところは有給休暇もなし。
従って年収に換算して、税込みでも200万円には届かないものと思われます。

独立した生計を営むことは困難ですが、労働に応じた収入を得られるというのはありがたいこと。
時間の管理は正確無比な性格なので、たぶん無遅刻無欠勤かと。
出勤シフトの変更にも、今のところは柔軟に対応しているようです。
雇用形態の面で身分は不安定ですが、これも今のご時世ではやむを得ないところのようです。
そんな彼も、本日28回目の誕生日を迎えました。

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昨年の27日から大阪の娘が帰省中。
昨年家を建て替えたので、一応、狭いながらも客室に。
今までに比べて居心地がよいのか、遊び友達が少なくなったのかは不明ですが、以前よりも在宅している時間も長くなりました。
また近年は誕生日と父の日には、何某かのプレゼントを送ってくれるようになりました。

そんな娘も来年早々には25歳に。
こちらはというと、一足早くとうとう62歳に。
娘は今日の夜行バスで戻る予定。
再会できるのは、早くとも今年の年末。
世間話もそこそこ相手になってくれるようになりました。
そういった成長した姿を見せてくれると、父親としては、いろいろな意味で寂しいような。

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ヨイトマケの歌が「紅白」で初めて歌われるとのこと。
美輪明宏氏のコンサートは、今から10年ほど以前に川口市のリリアホールで拝聴したことがありました。
勿論この歌もフルバージョンで歌われ、涙腺が緩んでしまったことを覚えております。

ヨイトマケといえば、小学校の入学前後に区道の道普請などでよく目にしたことがあります。
当時は現在のようなロードローラーのような建設車両などは普及しておらず、商店街のメーンストリートでさえも砂利道で、雨の降るたびにオート三輪が走行すると道に水たまりができるというのは日常茶飯事でした。
ここで登場するのが、ヨイトマケを活用した道路の凹み補修作業。
たしか失業対策事業という表現のあった時代だったかと記憶しています。

また当時の東京都内のゴミ収集の主力は大八車。
東京都のマークが記された人力の木製運搬車です。
なお家庭用のゴミの保管箱は主に木製で、黒いコールタール仕上げでした。
たまたま自宅の隣にこのゴミ保管箱を製造している小さな工場もありました。

放課後に自宅へと戻ると、茶の間では先年に無くなった母親が、1本に付10銭の手間賃となる造花の内職をしておりました。
標準米の米10キロが600円くらいの時代。
6000本の造花を作成するには、それこそ膨大な日数が...
戦後間もない時期だったことも有り、母子家庭の友人も多く、むろん特別学級もない時代、知的障害の子、学校という集団生活に馴染めない子、必ず忘れ物をする子、九九のできない子、漢字の書けない子、教科書の音読のできない子も少なくなかったような...

大八車が、専用のゴミ収集車に変わり、細い区道がアスファルト舗装され、水洗トイレが普及し、東京タワーが完成し路上での紙芝居が消え、日本経済がものすごい勢いで拡大していく過程を子ども心にも明確に記憶しております。
ヨイトマケの光景は日本経済が右肩上がりとなるための象徴的光景だったのかとも。

やがて月日は流れバブル経済が破綻するとともに日本が超高齢化社会に転じ、今後はその経済規模が確実に縮小していくことは避けることのできない宿命におちいっています。
小生の生まれたのはちょうど20世紀の後半の始まり頃。
結果的には、日本経済の発展とこれに伴う公害問題などの社会的な歪み、そして国家経済の長期低落を目の当たりにする世代となってしまったようです。
増え続ける国家財政の借金、原発をめぐる問題、消費税増税をはじめとする社会的弱者に対する理不尽な処遇、社会保障制度の縮小、極東情勢をめぐる不穏な動向、これに加えて大規模地震災害に対する危惧など、決して明るい展望が開けているというわけではないようです。

それでも、地球には明日が確実に訪れます。
来年がどのような年になるのかは、神のみぞ知るかもしれませんが、現実には我々国民一人一人の行動の積み重ね如何にかかっていることも確かなようです。
とはいえ、己を振り返ってみるに、ここ一年は体調不良から少しも解放されることなく終わろうとしています。

己の無力さを思い知らされたこの一年でしたが、年末に当たり世界の平和と世界の人々の幸せを祈念して、2012年のブログを終えようと思います。
この1年間どうもありがとうございました。
みなさん、どうかよいお年をお迎えください。

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