本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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プロフィール
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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男性
職業:
定年を過ぎました~
趣味:
「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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大阪で一人住まいで働いている長女に会いに行くのが本来の目的。
アパート探し等のため家内の方は既に何度か訪問。
しかし自分は全く初めて。
というより、大阪自体が初めて。

だいたい半世紀以上生きていて、京都より西へ行ったことさえなく。
前回は確か20年ほど前に仕事で京都日帰り。
遠距離出張には全く縁がなく、個人的にも連休がなかなか取れない職業人生。

新幹線に乗車するのも人生でこれが漸く3回目(恥)
思えば新婚旅行も仕事でキャンセルしたような。
当然、飛行機も乗ったことがなく。
都内の城館跡さえ意識して訪れたところはなく。
それがいきなり大阪へと出かける羽目に。
尤もこういう機会でもないと恐らく一生訪れない可能性さえ。


平塚城(東京都北区)午前8時05分から8時35分

久々の墓参りも兼ねて立ち寄ることに。
両親は戦後間もなくこの神社で結婚式。
遥か半世紀以上前に不肖某もここで七五三などを。
数年前に他界した父とは頻繁に散歩に出かけた場所。
早い話が自分の生まれ故郷。

卒業した小中学校もこのすぐ近く。
何故か校歌も未だに記憶。
「きよ~らかに~ただしく、なおく、もろともに」
区立なのにこうして文字にすると何か讃美歌のような..GHQの影響か..(笑)
そういえば校舎裏に薪を背負い本を読む「二宮金次郎の石像」が転がっておりました。
「東に、希望の空輝き、平和の富士、西に高し..」(ミソソミ、ララソラ、ドラソラ、ソミ..)

内田康夫氏のミステリ小説に登場する主人公。
昔は榎木孝明、次に辰巳琢朗など、そして今は沢村一樹だったかと。
その主人公の実家が東京都北区西ヶ原3丁目という設定。
自分の生まれた住所と偶然の一致。
尤も自分の住んでいた所はかつての谷田川沿いの低地。
屋敷町は確か北側の高台の方角に所在していたという記憶が。

このため子どもの時から平塚亭の団子はお馴染。
この日もお参りの後に買い物。
朝まだ早い時間帯のため、生憎と団子は無く出来たての豆大福を購入。

大分以前の郷土史関係資料。
この平塚神社の洪積台地を城跡と明確に記述。
なかには切り通しの道路沿いに生育する樹木の傾斜を空堀の存在に結びつける見解なども提示。
さらには「飛鳥山城」との記述に加え、果ては「西ヶ原城」の存在さえ示唆(苦笑)
しかし最近の研究者の見解では、平塚城が名族豊島氏の拠点であったかどうかについてその実在が些か危うく。

平塚城址比定地
平塚城址比定地
2007/11/19 撮影


実在したとしてもこの台地ではなく、もう少し南寄りの方面との説も。
ことによると関連しそうな神社東側の城官寺にも立ち寄ることに。
ところが法要のため様々な葬祭用具が設置され写真撮影がなかなか難しく。

そういえば卒業した小学校の隣に所在する大学の敷地は、あの有名な「下瀬火薬」の海軍工廠。
道理で有刺鉄線が張り巡らされた高い頑丈なコンクリート塀や防空壕があった訳で。
どうもこの年齢になると矢鱈に昔のことばかりが脳裏に浮かび。
それに反して最近の記憶が一段と曖昧に。
かつては奥行200m以上はあったと思われる神社境内の参道。
経営上の理由からか、参道両側の半分以上が月極めの貸駐車場に変貌しておりました。

野田城(大阪市福島区)午後2時20分から2時40分

JR大阪駅から大阪環状線に乗り換えて2駅目のJR野田駅下車。
往復時間徒歩2分を含めて10分間の訪城。
現地は大阪の市街地の一角。
以前は銀行の支店が置かれていたらしい細長いマンションの左側にポツンと石碑が設置。
戦国史では著名な三好一党、織田信長、石山本願寺と馴染の名前が登場。
それにしては余りにあっさりとしているようにも思われるのでありましたが、日没までの時間が迫りつつあるのでとっとと移動。

野田城(大阪市福島区)
野田城址
2007/11/19 撮影

若江城(東大阪市)午後3時40分から4時10分

若江公民館分館前に設置された解説板はすぐに発見。ところが予め資料として用意していた本が古かったせいか、若江小学校近くと思われる肝心の石碑の所在地がなかなか見つからず。
できるだけ優しい口調で、下校途中の5年生くらいの男子児童に尋ねてみることに。

始めは関西弁なので会話不成立。
というか、何を言っているのか分からず。
要は「下校途中なので、案内したいけど寄り道になるので一緒にはいけまへんがな」と言っていたような。
指差した方向にどうやら目標物があることを漸く理解。
丁寧にお礼を言って、もと来た方向へと少し戻ると小堂宇の一角に土地改良組合の顕彰碑などとともに鎮座。

以前よりも確実に歩くスピードが低下。
僅か1.5kmほどの距離を歩くのに20分以上も
電車の本数が少ないことと合わせて思ったよりも時間を浪費。
辺りは次第に夕方の気配が漂い始め次の目的地へと先を急ぐことに。

若江城址
若江城址
2007/11/19 撮影

木村重成墓所(東大阪市)午後4時25分から4時45分

第二寝屋川沿いの公園の一角に大きな石碑とともに所在していたので迷うことなく現地到着。
解説によれば元々は寝屋川沿いに所在していたものを河川改修により現在の場所へと移転したとのこと。
若江小学校の南東約直線600mほどの地点。
とはいえ近道をしても徒歩10分以上もかかってしまった。
明らかに歩行速度が低下していることを痛感。

木村重成墓所
木村重成墓所入口の顕彰碑
2007/11/19 撮影


さて日暮れ時の公園にはホームレスの方がお二人と黒ネコが3匹。
どうやらネコたちは飼いネコの模様。
ちゃんとネコ用の段ボールとブルーシートが。
そのうちの一匹はベンチで大人しくお座りをしておりました。
しかし肝心の人間の方の居場所は何処に在りや。

公園の黒ネコさん
公園の黒ネコさん
2007/11/19 撮影

山口重信墓所(東大阪市)午後4時50分から5時00分

大阪夏の陣の「若江の戦い」で木村長門守重成と合戦を行い討死を遂げた徳側方の武将の墓所。
家康の勘気を被っていた父重政は後にこの重信の戦功などにより1万五千石の譜代大名として復活。
子孫はそのまま幕末まで牛久藩主として存続したとのことです。
両者の墓所は第2寝屋川を挟んで南北に対峙しておりましたが、こちらの墓所の方が100mほど東に寄っているので東軍としてはそれなりに整合性のあるような配置状況かと。
始めは他の墓石に紛れてその所在が分からず。
市街地とはいえ幾分肌寒さを感じる日没後の薄明かりの墓地に佇む人影などは皆無。
仮においでになればそれはそれで些か不気味なものが。
デジカメではそれなりに見えておりますが肉眼では限りなく夜に近く..ASA800に感度修正。

山口重信の墓所
山口重信の墓所
2007/11/19 撮影

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始めにそろそろ7年目近くなる愛車のエンジンオイルを漸く交換。
次に腕時計の千切れかけたベルト交換。
さらにネコたちのデジカメ写真のプリント。
つづいて、特売ネコ缶の購入。
このさい、ネコ餌トレイの買い足しも。
以前から不足していた仕事でも使う各種マグネットの購入して終了。

週間天気予報を確認しているうち、風邪薬が効いて昼前からPCの前で爆睡。
このため予定していた外出はまたしても延期。
振替休みなので昨日遅くまで資料整理していたことも原因かと。
かくて最低限済ましておかねばならぬ前記の雑用を夕刻からドタバタと。

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珍しく遠征計画を考案中。
しかしついでに立ち寄る程度の時間しかなく。
同行する家内からは何のために行くのかという厳しい詰問攻め。

この間の2匹のネコの給餌は次男に依頼
もともと動物好きの次男は快諾。
問題は2匹の猫たちの極端な人見知り。
久しぶりの顔合わせにネコ部屋に赴くと、案の定机の後ろに籠城の構。
見方を変えれば、それだけ自分に慣れてきた訳で。

neko-2007-11-12-002_edited-ll.jpg

ネコのポミ
-2007/11/12 撮影-

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何故かデジカメ撮影のときには何時もすましたポーズで。
しかも明らかなカメラ目線。
どことなく何時も意識しているような仕草もあるような。

この春先まで飼い主だった長女は人間界の「加藤あい」だとのたまっておりました(爆)

母ネコの「ポミ」

母ネコの「ポミ」
2007/11/12 撮影

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昨日は風邪気味となり風邪薬で熟睡するという失態により訪城を断念。
ふと秋の野草が繁茂した庭(車庫の後の小さなスペース)に目を移すと、ブルーベリーの葉が午後の日差しを浴びて鮮やかな彩りに。

植樹してから10年ほどが経過して、最近ようやく実をつけ始めた様子。
とはいえジャムを作るほどの収穫は期待できず。


ブルーベリーの紅葉
ブルーベリーの紅葉
2007/11/12 撮影

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