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昨年から通算するとすでに5度目かと。
今のところは県南中心に西へ進出する心づもりにて。
午前5時に自宅を出発する予定が、予想だにしなかった事情により結局は午前7時23分の出発に。
当初は6か所を目標にしてルートを検討。
しかし、すでにスタートから途中の渋滞を考慮に入れれば3時間ほどの遅れが発生。
このため順序を逆に並び替えてまわることに。
凸八束城(群馬県吉井町)
午前10時15分 麓の駐車場出発
山頂到着正午 上り所要1時間45分(しばしば休息)
調査時間 105分(東西の稜線に所在する郭・堀切等の遺構確認による比高差約200m)
昼食15分
午後14時45分 駐車場到着 下山所要時間45分
標高452.3m、比高差 300m、駐車場からの直線距離約1km
遺構 堀切約8か所、郭約8か所、小口・腰郭・帯郭各1か所ほど
要約すれば上記の通りにございますが、何分にもハイキングコースの稜線を直線にして軽く1km以上歩かねばならないという大きな問題が。
しかしルート自体は地元の皆さんのご厚意により、駐車場・道標に始まりコースの整備は万全。
残存遺構も良好な状態。
低山の割には急勾配で、尾根筋には露岩がゴロゴロ。
念のため最短コースの林道経由で八束の集落方面からから上ってくるはずの南東方向からの尾根筋を確認してみましたが、やはりかなりの急勾配で途中には迂回できそうもない岩場が所在している模様。
また西側の岩稜ルートはある程度コース整備されているとはいえ、中間部分は露岩のオンパレードで高所恐怖症の傾向の方は避けた方が無難かと思われます。
「天引城」の景色を眺めるには相応しい岩稜が続き、どちらかといえば下りよりも上りルートとして使用する方が安全かと思われました。
さて、堀切を含む遺構が東西の尾根筋に分散しているため始めに東側の稜線を確認し、次に山頂まで戻り城郭としての領域を確認するため西側の岩稜ルートの途中まで降下。
往路を下山した方が安全かつ時間の節約になるため、再度比高差100mを登攀。
このため合計にして比高差500mほどを登るという羽目に陥りました。
このため昨年末30日のミニオフに続いて再びヘロヘロに。
以下の2か所は、天候のくずれが予想されるような厚曇りの夕暮れ時のドサクサに、本日の数合わせのようにして訪城したようなものです。
凸瀬戸の城(同上)15時20分から16時00分
孟宗竹の生い茂る竹林の中が城跡であった模様なのですが、肝心の土塁などの明確な遺構の存在は確認できず。
意外だったのは近くの鄙びた小さな阿弥陀堂を囲むように鍵の手状の土塁が残存。
ただし年代、役割、経緯等は不明。
北側と西側がそれぞれ長さにして15m、高さは1.5m前後という規模。
凸中の原城(同上)16時10分から16時20分
「瀬戸の城」の谷一つ隔てた東側の舌状台地に所在。
遺構そのものは以前の耕地整理により完全消滅したとのこと。
桑の切株などを撮影して即座に終了。
今回の分を合わせて、とうとう群馬の分だけでも未更新が合計25か所になってしまい申した。
「更新や如何に」
「何れ折を見ましてございまする」
「何れとは如何なる存念にて」
「...」
「正直に詳らかに申し述べよ。何年何月何日何時何分にありや」
「...」
今月の2日に続いての群馬城館探訪。
昨年末とうとうルビコン川ならぬ神流川を越えてしまった。
こうなると上州への出陣にもはや歯止めが利かず。
うずたかき更新未処理の山は放置されたまま。
このため未処理の城館跡の怨念かどうか分らぬが、出がけからどうも体調が思わしくなく。
朝から晴天のはずがどんよりとした圧曇り。
加えて寒気がするようなしないような。
おまけに息苦しいようなだるいような。
気持ちが悪いような倦怠感が体中に蔓延。
その後天候が急速に好天に回復したものの、体全体の倦怠感が抜けきれず。
平地を歩いていても直ぐに息切れが発生。
予定に入れていた山城1か所を冒頭から敢え無くキャンセルすることに。
凸吉井陣屋(群馬県吉井町 以下同)10時05分~10時45分
本来は吉井町関係の資料収集が第一の目的。
そのついでにいくつか城館跡に立ち寄れればといったような極めてうテンションの低い今回の出陣。
はじめに郷土資料館に寄って資料の物色などを。
ここで4点ほどの資料を収集。
この寒い新年早々から来館者などがそうそう来るはずもないようで展示室の照明が消えておりました。
立派な構えの陣屋門自体は郷土資料館などの公共施設が集まる敷地に移築されたものらしく。
西側の少し離れた個所には吉井藩当時の武家長屋が現存。
4世帯の方が現在も居住されているとのこと。
ついでに図書館にも立ち寄ってみると施設の狭さに対して資料構成自体は充実しているという好印象も。
ただし書架間の有効幅が80センチなので、思わず単位面積当たりの荷重計算などをしてしまうのでありました。
凸奥平城 11時15分~12時00分
河川の合流点となる畑の先端部分が東の端に相当する模様。
つまりは城跡を道路が城跡を東西に縦断しているということらしく。
この時期でないと入り込むことができない竹林を北側の崖線沿いの踏跡を辿り探索。
竹林の切れ目に近い西側に僅かばかりの堀切状の溝があるようなないような。
ことによると工場の建設の際の造成に伴い消失している可能性があるのかも知れず。
凸長根陣屋 12時30分~12時45分
吉井町の「文化財ガイドブック」(2006)によれば、天正16年(1588)にこの地を知行された徳川氏旗本奥平氏の陣屋跡で「城の内」との地名が残ると解説。
...って、どこか時代背景がずれているような気がするのであります。
「吉井町誌」に記された山崎一氏の記述には含まれていないので、何処かで取り違えたのかも知れず。
街中なので無論遺構などがあるべくもなく、用水路の曲折が往時の姿を僅かにとどめるということらしい。
凸長根城 12時50分~13時50分
二の郭の一部分に明確な土塁と空堀が現存。
ただし民家の敷地内なので遠くから拝見することに。
主郭の小口部分の土塁は墓地となって辛うじて残されているという印象。
寧ろ東側の長根神社方面の土塁と空堀らしき地形がやたらに目についた次第。
凸多胡砦 14時10分~14時25分
舌状台地の先端部に所在していることから眺望は良好。
独立した城砦というよりも多胡館とほぼ近接していることから居館と砦という密接な相互関係があった時代も想定されるような立地条件。
凸多胡館 14時25分~14時50分
源先生義賢の館跡と伝わる方形館。
歴史の古いことは発掘調査の結果から間違いのないところ。
事実上文献史料が存在しないのでこの経緯に関しては肯定も否定も難しく。
明確な土塁と空堀が残存していることは見ての通りなのですが、何分にも竹林の元気が良すぎて北側の一部分しか見えないところが残念と言えば残念。
凸多比良城 15時20分~16時00分
本日の中では最も収穫のあった部類かと。
郭はほとんど畑として耕作されているものの、廓の形状はほぼ原形が保たれている状態に見えたのであります。
また東西を深い谷に挟まれた舌状台地の先端部分を利用した実に効率的な縄張りであることもよく分ります。
主郭の形状も思いのほか明確に残されており、平井城の背後を防御する役割は十分に果たしていたと考えられます。
凸一郷山城 16時20分~16時30分
この途中にて日没コールド。
模擬天守へ向かう道路が11月からは午後4時で閉鎖。
道路の建設で西側部分、さらに近年の模擬天守(展望台)の建設でほぼ消滅しているとの情報。
目の前に見上げるようにして壁のように立ちはだかる稜線。
もはや比高差約100mの丸太の階段を登る気力はなく。
八束城の登り口の確認作業もこの時点で完全に気力が消滅。
平地の城館ならば、問題ないかと思いきや足取りさえも覚束かない状態。
コースタイムを見ていると、如何に途中での休息時間(こまめに食料摂取を含む)が長いか明白。
こうしてみると食欲はあるものの、やはり未更新のまま放置されっぱなしの城館たちの祟りかもしれず。
もとより歳を省みず出かけすぎの傾向は確かに否めないところかも知れず。
冗談はともかくとして、そろそろ体のあちこちの定期点検に赴かなくては。
午前6時に目覚ましはセットしたもの毛頭起きる気などなく。
ネコの朝食などの面倒を見ているうちにどんどん時間が経過。
かくて8時40分にようやく出発という運びに。
凸常岡城(群馬県藤岡市 以下同様)午前10時40分~11時30分
麓のどこか寂しげな小さな神社にて初詣などを。
露天さえ設置されていた金鑚神社と金鑚大師の初詣とは誠に大違いかと。
もっとも詣でる人が少ない分だけ、ご利益は多目かも知れず。
肝心の遺構については篠竹の藪が酷く、実のところ明確な遺構が確認できないまま悪戯に時間のみがズルズルと経過。
尾根筋の先端部分にあるはずなのですが、その先端部分があまり明確ではないような。
きれいに笹が刈り取られたあたりを想定したいものの何処か何かが違うような印象。
沼の位置との関係で当りをつけても、どうもいまひとつすっきりとしない按配。
およその場所自体は合っているはずなので、とりあえずはこの辺りかも知れないと自分自身を納得させるのにかなり苦労するような始末。
初訪城にしては出だしから暗雲漂う一年の始まりなのでありました。
凸清水山城 正午~午後2時40分
先月の30日の時には突然本降りの雨に。
しかし本日は120%の晴天。
問題は登り口の所在。
資料によれば西側の集落から鞍部を目指す模様。
ところがやはり直接鞍部へと続く山道はなさそう。
このため取敢えず畑の間の畔道から稜線を目指すことに。
ほんの少しだけ藪こぎをすると思ったよりも明確な道に出会うことに。
地元の方が作業などのために設置された道のようで、無論登山道でないことは確か。
いくつかの分岐が所在するも、より鞍部に近い方を選ぶことに。
それでも最後には道は消滅。
踏み跡ともいえないような斜面を斜めに登り、鞍部の東側へと無事到達。
ここまで来ればしめたもの。
あとは稜線に沿って山頂を目指すだけ。
途中削平された平場、半ば埋まっている堀切などを経て主郭へと到達。
250平方メートルほどの広さのを有する主郭の東西には思いのほか規模の大きな腰郭が所在。
主郭南側には謎の石積みなどもあり、けっして大規模な城郭ではないものの遺構の残存状況は良好。
ここで倒木に腰かけて軽く食事。
何時も立ち寄る神川町のローソンで購入したミックスハムサンドから片づけることに。
同時に購入したおにぎり2個は後回しにして、万一の時の非常食糧に。
登り口から山頂までの某の所要時間は30分。
遺構の確認などに最大でも30分程度。
下山は20分もあれば大丈夫かと。
比高差130メートルしかないことに加え、麓から山頂が見えているというのは気持の上でも大変登りやすいという事実を改めて確認。
凸七村城 午後3時20分から午後3時40分
付近は標高600メートル以上もある上に日照時間も少ない谷沿いの地形。
このため途中の県道177号線も一部は路面凍結状態。
この状況を確認した段階で、所在地および登り口の確認だけとなる可能性を覚悟。
北側の沢伝いの林道脇には50センチほどの氷柱が溶けずにそのまま成長中。
登り口となる栃の木沢に架けられたコンクリート橋は右岸の川岸がそっくり流失。
このため、丸太を束ねた臨時の橋が継ぎ足されておりました。
登り口も明確で地形から判断した所要時間は最大でも2時間ほどかと。
さて登り口付近は稜線の東側なので、気温の低下が著しくおそらく摂氏3度前後という状態。
指先の感覚が次第に無くなっていくのをひしひしと感じ、デジカメが故障しないうちにとっとと撤退することに。
この結果3番目の七村城は所在地と登り口を確認しただけにとどまることと相成りました。
本日の目標は出発時間が遅いので3か所を予定。
然し清水山城の登り口へ向かうための歩行時間が予想以上にかかったこと、清水山城から七村城までの距離が長く路面の凍結などの道路状況に支障もあり結果的にタイムロスを連発することに。
ことのついでに「鼠喰城」へのアクセスを確認しようとおもったものの、生憎と林道は標高900m前後の北側斜面。
この時期は標高600mでもこの状況なので、通行止めの表示どおり間違いなくあちこちで路面凍結しているはずかと。
「鼠喰城」については4月上旬頃の方が訪れやすいのかも知れず。
「門松や 冥土の旅の 一里塚 目出度くも...」とは昔からよくいったもので。
正直この歳になると正月だからとて格別嬉しいという気分にもならず。
もたもたしているうちに、あと10日もたてば57歳に。
父親の時代には55歳定年制。
50歳定年という企業も珍しくはなく。
昔ならば楽隠居の年代。
だいたい磯野波平の年代設定は53歳くらい。
さすれば完全なる横町のご隠居さんに。
しかし年金は65歳からの支給。
それさえも信用ならない昨今の社会情勢かと。
子供のころには正月といえば、理由もなく何かわくわくした気持ちになっていたのが何処か懐かしく。
そういえばお年玉をもらったという記憶もあまりなく。
子供の頃、我が家ではお年玉をもらうというしきたりがなく。
正月早々から「く」(苦)ばかりが続き縁起でもございませぬ。
それでも子供心にも「一年の計は元旦にあり」などとませた気持でいたことは確かにて。
さて冷静に残りの人生設計を真剣に思案すべき年代に入ってきたことは間違いないところ。
家庭的、経済的な問題はさておいて、健康面から考慮してあと何か所くらい城跡に行くことができるのか。
正月早々からどうしてもこの問題に焦点が絞られてしまうのでありました。
もはや人生の主要課題として位置付けられているのでありまする。
取敢えず今年の目標として群馬、栃木を中心に凡そ100か所程度を目途としておくことに。
「更新は如何に!」
「お、お許しくだされ、お代官様...」
「娘を差し出さば考えなくもないぞ」
「そ、そればかりはお許しを...」
そういえば大阪の長女はここの所、真剣に人生を考えているらしく。
俄にスキルアップを検討中。
差し出しても受け取るべき相手が居そうもなく、経済的な援助もあと3年が限度かと。
以上、元旦早々の年寄りの戯言にございまする。
