本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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2007年も残すところあと2週間にございまする。
そこで恒例の「城館アクセスランキング」を公表仕候。
今回はアクセス累計が1千件以上のものを対象に。
順位付けは前回と同様に「アクセス累計件数/HP公開延日数」により割り出された数値(小数点第2位未満切捨て)を基礎にしておりまする。(便宜上、これを「基準値」と表現)
⇒第2回、第1回当時と比べますと掲載城館数自体は増加しておりますが、各城館一日当りのアクセス件数はむしろ漸減する傾向にあるようでございまする。
なお、集計数値は2007年12月18日現在のもので、「-」表示は前回のランキング外にございます。
第1位の小鹿野町の要害山の一日平均6件以上というアクセスは、HPの表紙に掲載していることとその名称の所以かと。
こうしてみますと拙サイトのような非力なサイトといたしましては、あらためて一日当たり1件以上のアクセスを維持するということの難しさを感じるのであります。
そこで恒例の「城館アクセスランキング」を公表仕候。
今回はアクセス累計が1千件以上のものを対象に。
順位付けは前回と同様に「アクセス累計件数/HP公開延日数」により割り出された数値(小数点第2位未満切捨て)を基礎にしておりまする。(便宜上、これを「基準値」と表現)
⇒第2回、第1回当時と比べますと掲載城館数自体は増加しておりますが、各城館一日当りのアクセス件数はむしろ漸減する傾向にあるようでございまする。
なお、集計数値は2007年12月18日現在のもので、「-」表示は前回のランキング外にございます。
|
順位 |
城館名 |
基準値 |
同前回 |
累計数 |
同前回 |
| 1(-) |
小鹿野町要害山 |
6.26 |
- |
1,253 |
- |
| 2(3) |
美里町円良田城 |
2.31 |
2.57 |
2,245 |
1,650 |
| 3(-) |
名栗根古屋城 |
2.28 |
- |
1,521 |
- |
| 4(6) |
鉢形城 |
2.25 |
2.28 |
2,739 |
1,871 |
| 5(1) |
伊奈城 |
2.22 |
4.16 |
1,148 |
750 |
| 6(-) |
嵐山町杉山城 |
1.73 |
- |
2,075 |
- |
| 7(-) |
川越市寺尾城 |
1.49 |
- |
1,542 |
- |
| 8(-) |
朝霞市岡城 |
1.39 |
- |
1,145 |
- |
| 9(10) |
熊谷市別府城 |
1.37 |
1.48 |
1,482 |
1,084 |
| 10(-) |
小川町腰越城 |
1.29 |
1.69 |
1,504 |
1,240 |
第1位の小鹿野町の要害山の一日平均6件以上というアクセスは、HPの表紙に掲載していることとその名称の所以かと。
こうしてみますと拙サイトのような非力なサイトといたしましては、あらためて一日当たり1件以上のアクセスを維持するということの難しさを感じるのであります。
左膝の違和感程度だけならまだしも、朝方に右足の脹脛が痙攣。
一昨年と比べると明らかに体力が低下。
元気で動ける年月には自ずから限界というものが。
かくて両足に不安材料を抱えたまま懸案の神川町の御嶽城方面へ。
本来ならば一昨年の冬に訪れているはず。
そのうちになどと先送りしているうちに、早くも2年の月日が経過した次第。
凸真鏡寺館(本庄市-旧児玉町)午前11時40分から午後12時55分
御嶽城へのコースの途中に所在していることから立ち寄っていくことに。
館跡は南向きの丘陵地帯の緩斜面に所在。
手元の資料によれば南側の畑の中に堀跡の痕跡が確認できるとのこと。
さっそく畑の中の堀跡へと向かうと、以前は水田であったと思われる帯状の細長い低地がに東西方向にのびておりました。
また東側の道路、西側の道路付近も堀跡の痕跡が漂う低地を形成。
本堂の北側には延長60メートルほどの堀跡も所在。
ただし遺構の状態としては境内地という事情もあり些か微妙な塩梅かと。
西側の牛舎近くでは堀跡のためか某の体重のためか原因は不明なるも、何故かずぶずぶと足元が沈み込むのでありました。
旧児玉町地域では天台宗はこの一寺のみ。
天台密教といえば修験との関わりが。
渋谷金王丸(土佐坊昌俊)を開基とする経緯も理解できるような。
ただし渋谷氏と塩谷氏との関わりについては明確でなはないようです。
しかし周囲をのんびりと2周もしてしまったために、本日のスケジュールがこの時点で早くも押し気味に。
凸御嶽城(神川町)午後1時10分から午後4時20分
コースどおり、始めは重要文化財の多宝塔を見学。
神社境内の南側から整備された遊歩道に従いつつ、特別天然記念物の「鏡石」方面へ。
本日は足元に不安材料があるだけでなく、緩やかな遊歩道であるにも拘わらず忽ち息切れ状態。
一回りくらいも年嵩の年配者に追い抜かれるという情けなさ。
尤もこちらは5Kgほどの荷物を背負ってはおりまするが。
息も絶え絶えの状態でどうにか尾根筋へと到着し、そのまま東廓へと向かうことに。
ふと入口を眺めると何やら小口のようにも見える地形。
弁慶の穴、物見岩などの名所を見学。
この物見岩については御嶽城の物見台という見解もあれば修験道関係のものとする説もあるようですが、いずれにしても眺望は実にすばらしいものがあります。
さて、御嶽城の本郭へ向かうべく今来た道を戻って遊歩道とは別れて尾根筋の細い山道へ。
途中には見過ごしてしまうような小さな堀切が2か所ほど所在。
真竹の目立つ痩せ尾根をいくらも歩かないうちに、それとわかる堀切部分に到達。
幾分尾根筋の傾斜がきついためトラロープが設営。
この場所を過ぎるとあっという間に本郭へと到達。
御嶽城の本郭であることを記した標柱が所在するのみで、残念ながら眺望はほとんどない状態。
本郭の規模も思いのほか小さく、小屋掛けできるかどうか微妙な大きさ。
さて、この山頂から派生している3方向の尾根筋の何れへと向かうべきか暫し思案。
実はこの時点で右膝にも軽い痛みが。
ついでに左足のアキレス腱にも違和感が。
いくら標高が低いといっても冷え込みの厳しい山中での立ち往生は避けたいところ。
足元の状態、日没までの残り時間を念頭に、手始めに登り降りが楽で比較的ルートが明確な西側のルートを選択..したはず。
しかし何故か北西の2の郭方面へと向かっておりました(汗)
また、この時期にもかかわらず藪が酷く地面の観察が難しく。
再び山頂に戻り西側のルートを地形図と方位磁石を頼りに探すことに。
なんせ山頂からは叢生する樹木と藪のために、確かに派生しているはずの尾根筋が全く見えず。
それでも西側の帯郭の先端部分からのルートを探し当て西進。
このとき再び左足に鋭い痛み。
原因は荊のトゲにて。
よく見ると尾根筋のあちこちに荊が。
2番目の堀切は掴まるものがないと昇り降りが面倒なくらいの急斜面。
しかし滑り落ちたとしても痩せた岩尾根ではないのでその点は安心。
この堀切の北側谷沿いに所在する平場には石積みがあるはずとの情報。
しかし何分にも藪がひどく、足元も悪く地面がよく見えず。
石の破片が目立つ以外には明確に石積みといえるような遺構は確認できず。
しいて言えば下記の画像の個所くらいのものでありました。
一番西側の物見台と推定される標高314メートルのピークまで移動。
眺望は思いのほか良好で時間さえあればゆっくりと食事でもしたいところ。
しかし、時刻はすでにこの時点で3時40分に。
山頂の本郭へと戻ったの時には午後4時ちょうど。
このあと予定通り修験道の法楽寺跡を経由して神社の駐車場へと到着。
谷沿いの地形で、西方の雲が厚いこともあり事実上の日没。
南側の尾根筋、2の郭から派生している2本の尾根筋方面については確認できず仕舞い。
比較的条件の良い西側のルートでもかなりの藪が。
残りの部分は本郭からの比高差がそれぞれ50メートル以上はある難路かと推察。
自宅に向かっていくらも車を走らせないうち完全に日没。
3か所程度は訪れることができるかと皮算用。
結果は1か所+約2分の1。
現在の自分の足元の状態から考えると、本日はこの程度で納得しておかねば。
一昨年と比べると明らかに体力が低下。
元気で動ける年月には自ずから限界というものが。
かくて両足に不安材料を抱えたまま懸案の神川町の御嶽城方面へ。
本来ならば一昨年の冬に訪れているはず。
そのうちになどと先送りしているうちに、早くも2年の月日が経過した次第。
凸真鏡寺館(本庄市-旧児玉町)午前11時40分から午後12時55分
御嶽城へのコースの途中に所在していることから立ち寄っていくことに。
館跡は南向きの丘陵地帯の緩斜面に所在。
手元の資料によれば南側の畑の中に堀跡の痕跡が確認できるとのこと。
さっそく畑の中の堀跡へと向かうと、以前は水田であったと思われる帯状の細長い低地がに東西方向にのびておりました。
また東側の道路、西側の道路付近も堀跡の痕跡が漂う低地を形成。
本堂の北側には延長60メートルほどの堀跡も所在。
ただし遺構の状態としては境内地という事情もあり些か微妙な塩梅かと。
西側の牛舎近くでは堀跡のためか某の体重のためか原因は不明なるも、何故かずぶずぶと足元が沈み込むのでありました。
旧児玉町地域では天台宗はこの一寺のみ。
天台密教といえば修験との関わりが。
渋谷金王丸(土佐坊昌俊)を開基とする経緯も理解できるような。
ただし渋谷氏と塩谷氏との関わりについては明確でなはないようです。
しかし周囲をのんびりと2周もしてしまったために、本日のスケジュールがこの時点で早くも押し気味に。
凸御嶽城(神川町)午後1時10分から午後4時20分
コースどおり、始めは重要文化財の多宝塔を見学。
神社境内の南側から整備された遊歩道に従いつつ、特別天然記念物の「鏡石」方面へ。
本日は足元に不安材料があるだけでなく、緩やかな遊歩道であるにも拘わらず忽ち息切れ状態。
一回りくらいも年嵩の年配者に追い抜かれるという情けなさ。
尤もこちらは5Kgほどの荷物を背負ってはおりまするが。
息も絶え絶えの状態でどうにか尾根筋へと到着し、そのまま東廓へと向かうことに。
ふと入口を眺めると何やら小口のようにも見える地形。
弁慶の穴、物見岩などの名所を見学。
この物見岩については御嶽城の物見台という見解もあれば修験道関係のものとする説もあるようですが、いずれにしても眺望は実にすばらしいものがあります。
さて、御嶽城の本郭へ向かうべく今来た道を戻って遊歩道とは別れて尾根筋の細い山道へ。
途中には見過ごしてしまうような小さな堀切が2か所ほど所在。
真竹の目立つ痩せ尾根をいくらも歩かないうちに、それとわかる堀切部分に到達。
幾分尾根筋の傾斜がきついためトラロープが設営。
この場所を過ぎるとあっという間に本郭へと到達。
御嶽城の本郭であることを記した標柱が所在するのみで、残念ながら眺望はほとんどない状態。
本郭の規模も思いのほか小さく、小屋掛けできるかどうか微妙な大きさ。
さて、この山頂から派生している3方向の尾根筋の何れへと向かうべきか暫し思案。
実はこの時点で右膝にも軽い痛みが。
ついでに左足のアキレス腱にも違和感が。
いくら標高が低いといっても冷え込みの厳しい山中での立ち往生は避けたいところ。
足元の状態、日没までの残り時間を念頭に、手始めに登り降りが楽で比較的ルートが明確な西側のルートを選択..したはず。
しかし何故か北西の2の郭方面へと向かっておりました(汗)
また、この時期にもかかわらず藪が酷く地面の観察が難しく。
再び山頂に戻り西側のルートを地形図と方位磁石を頼りに探すことに。
なんせ山頂からは叢生する樹木と藪のために、確かに派生しているはずの尾根筋が全く見えず。
それでも西側の帯郭の先端部分からのルートを探し当て西進。
このとき再び左足に鋭い痛み。
原因は荊のトゲにて。
よく見ると尾根筋のあちこちに荊が。
2番目の堀切は掴まるものがないと昇り降りが面倒なくらいの急斜面。
しかし滑り落ちたとしても痩せた岩尾根ではないのでその点は安心。
この堀切の北側谷沿いに所在する平場には石積みがあるはずとの情報。
しかし何分にも藪がひどく、足元も悪く地面がよく見えず。
石の破片が目立つ以外には明確に石積みといえるような遺構は確認できず。
しいて言えば下記の画像の個所くらいのものでありました。
一番西側の物見台と推定される標高314メートルのピークまで移動。
眺望は思いのほか良好で時間さえあればゆっくりと食事でもしたいところ。
しかし、時刻はすでにこの時点で3時40分に。
山頂の本郭へと戻ったの時には午後4時ちょうど。
このあと予定通り修験道の法楽寺跡を経由して神社の駐車場へと到着。
谷沿いの地形で、西方の雲が厚いこともあり事実上の日没。
南側の尾根筋、2の郭から派生している2本の尾根筋方面については確認できず仕舞い。
比較的条件の良い西側のルートでもかなりの藪が。
残りの部分は本郭からの比高差がそれぞれ50メートル以上はある難路かと推察。
自宅に向かっていくらも車を走らせないうち完全に日没。
3か所程度は訪れることができるかと皮算用。
結果は1か所+約2分の1。
現在の自分の足元の状態から考えると、本日はこの程度で納得しておかねば。
♬「年末恒例の植物図鑑人気ベストテンの発表」♬
と、それほど大げさなものではありませぬが。
数値はアクセスの累計にございまする。
こうしてみて見ますと、やはりベスト3の「槿」「向日葵」「紫陽花」の健闘が際立っている模様にて。
当面この3種で熾烈な上位争いが展開されるのでありましょうか。
特に槿、向日葵のアクセスは鉢形城を超えておりまする(苦笑)
また、下位では「立葵」「辛夷」の伸びが目立っているような。
名称が分かっているものが大分溜まってきておりますが未だ更新に至らずにおりまする。
こんなことをしている暇があれば、HPのアップができそうなものに御座まするm(__)m
と、それほど大げさなものではありませぬが。
|
植物名 |
2007/12/16 |
2007/06/10 |
2006/07/10 |
|
1位 ムクゲ |
2949 |
3位 1340 |
6位 421 |
|
2位 ヒマワリ |
2870 |
1位 1762 |
2位 660 |
|
3位 アジサイ |
2528 |
2位 1360 |
圏外 |
|
4位 ゴマ |
1623 |
4位 1114 |
4位 593 |
|
5位 コスモス |
1574 |
6位 810 |
圏外 |
|
6位 ハクモクレン |
1308 |
5位 1078 |
1位 709 |
|
7位 タチアオイ |
1123 |
10位 656 |
圏外 |
|
8位 ヒガンバナ |
971 |
7位 795 |
5位 521 |
|
9位 コブシ |
928 |
圏外 |
掲載なし |
|
10位 ワタ |
819 |
9位 739 |
3位 605 |
数値はアクセスの累計にございまする。
こうしてみて見ますと、やはりベスト3の「槿」「向日葵」「紫陽花」の健闘が際立っている模様にて。
当面この3種で熾烈な上位争いが展開されるのでありましょうか。
特に槿、向日葵のアクセスは鉢形城を超えておりまする(苦笑)
また、下位では「立葵」「辛夷」の伸びが目立っているような。
名称が分かっているものが大分溜まってきておりますが未だ更新に至らずにおりまする。
こんなことをしている暇があれば、HPのアップができそうなものに御座まするm(__)m
仕事の帰りにネコ缶の補充と猫たちの遊び道具を見つくろいに近所のホームセンターへ。
2匹のネコのハッスルぶりからして、残念ながら百円ショップ製品の場合は明らかに脆弱かと。
もう少し頑丈なものはないかと物色。
これはというものはなかったものの多少は丈夫そうな形態のものを何種類か購入。
さて、昨日姫路城に一番鑓の功名を挙げた配偶者より、「是非とも姫路城へ行って来い」との誠に有難い御託宣を拝領。
当方は年月をかけて東海道を少しずつ西上しながら次第に機内方面に接近していくという遠大な計画を公表。
これに対して、家内曰く「もう若くはないんだから、いけるうちに行かないと一生行けない」との旨の誠に的を射た言動。
確かにもう若いとはいえず。
通勤時間帯の車内でふと周囲を見渡すと、大半が自分より明らかに年下の年代層。
何時の間にか気付かぬうちに、どう見ても上から数えた方が早そうな年代になっておりました。
確かに職場の同年代では孫がいるという事例も珍しくはなく。
城跡巡りを始めたのは、ようやく50代の半ばから。
それまでの30年間というものは、ただひたすら仕事に生きる日々。
部下の2人が病気と怪我を負い、結局3ヶ月間ほぼ休みなしで土日出勤を続けていたこともあったような。
振替休みもとらず、夏休みは形だけ消化したことにして、有給休暇の取得は年に3日ほどという年も珍しくはなく。
もちろん年末年始も出勤してもろもろの雑用などを処理。
そんなある日突然体調を崩したのは当然の報いかと。
本日アマゾンで購入した「近江の山城ベスト50を歩く」(中井均 編著)が到着。
パラパラとめくっているだけで城館スイッチがON。
自分の年齢・体調・体力・持病・性格等の諸条件を冷静に分析すると、定年後ではまず訪れることは無さそう。
そろそろ上野、下野を始め常陸、房総、信濃、越後、甲斐、相模方面も視野に入れて計画的な遠征を試みねば。
2匹のネコのハッスルぶりからして、残念ながら百円ショップ製品の場合は明らかに脆弱かと。
もう少し頑丈なものはないかと物色。
これはというものはなかったものの多少は丈夫そうな形態のものを何種類か購入。
さて、昨日姫路城に一番鑓の功名を挙げた配偶者より、「是非とも姫路城へ行って来い」との誠に有難い御託宣を拝領。
当方は年月をかけて東海道を少しずつ西上しながら次第に機内方面に接近していくという遠大な計画を公表。
これに対して、家内曰く「もう若くはないんだから、いけるうちに行かないと一生行けない」との旨の誠に的を射た言動。
確かにもう若いとはいえず。
通勤時間帯の車内でふと周囲を見渡すと、大半が自分より明らかに年下の年代層。
何時の間にか気付かぬうちに、どう見ても上から数えた方が早そうな年代になっておりました。
確かに職場の同年代では孫がいるという事例も珍しくはなく。
城跡巡りを始めたのは、ようやく50代の半ばから。
それまでの30年間というものは、ただひたすら仕事に生きる日々。
部下の2人が病気と怪我を負い、結局3ヶ月間ほぼ休みなしで土日出勤を続けていたこともあったような。
振替休みもとらず、夏休みは形だけ消化したことにして、有給休暇の取得は年に3日ほどという年も珍しくはなく。
もちろん年末年始も出勤してもろもろの雑用などを処理。
そんなある日突然体調を崩したのは当然の報いかと。
本日アマゾンで購入した「近江の山城ベスト50を歩く」(中井均 編著)が到着。
パラパラとめくっているだけで城館スイッチがON。
自分の年齢・体調・体力・持病・性格等の諸条件を冷静に分析すると、定年後ではまず訪れることは無さそう。
そろそろ上野、下野を始め常陸、房総、信濃、越後、甲斐、相模方面も視野に入れて計画的な遠征を試みねば。
