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大阪、滑川と闇雲に歩き回ったツケが一週間遅れでやってきたのかも知れず。
案ずるに加齢に伴う肉体的な衰えに相違なく。
完全な痙攣となる直前に足首を曲げることができれば何とかぎりぎりセーフ。
もしも間に合わないと、およそ2分間ほど息を止め歯を食いしばり痛みを堪えねばならず。
この時間ほど異常に長く感じられるものはなく。
師走の月間予定のボードをボォーッと眺めていてふと気づいたことが。
今のところ、シフト等の事情から今月の中旬まで確実な休みは1日のみ。
どのみち画像整理とHP更新がわんさかと山積みされているので月末までは逼塞するほかはなく。
大坂城での思い出のひとつには、やはりネコさんとの出会いが。
大坂城内にはホームレス関係の方と同じくらいの数のネコさんたちが居住。
西の丸方面のネコさんには一方的に嫌われる破目に。
水面から25mほどの高さの石垣の端を全速力で疾走。
通常泳げないネコさんにとってはまさに命がけの逃亡かと。
けれども、石山本願寺の推定地では人懐こい子ネコとベンチの上でしばし歓談。
一緒にお座りをして大坂城の遺構についてについてあつく語り合う..はずはなく。
手持ちの僅かばかりのスポーツドリンクを掌の上で舐めてもらいました。
西の丸に2時間以上も滞在していたためにそろそろ先を急がねば..
ネコさんの方も少しばかり名残惜しそうな表情で見送ってくれたのでありました。
ENTERキーによる改行を行うと、「<P> </P>」が勝手に挿入され2行改行されてしまうのであります。
レンタル元で仕様変更したのか、「高性能エディタ」を使用したからなのかは原因不明。
その度に<BR>を打ち込むのも面倒で、変更できる設定項目を探して3日目にして漸く解決。
10日ほど前からからスタイルシートの表示が部分的におかしくなりはじめ。
調べてみるといつの間にかHTML仕様からXHTML仕様へと変わっておりましたがな。
すったもんだしながらも、メモ代わりの大阪遠征ブログもやっと打込み終了。
HPの更新ができるのは間違いなく来年かと。
本日は同好の士4名(S氏、H氏、G氏、某)にて、比企郡滑川町南部を中心に「城館まがい」もふくめた誠に地味な悉皆調査を敢行。
先日までの寒波が嘘のように風もなく穏やかな日和に恵まれましてございまする。
羽尾村の鎮守にて村社である羽尾神社社殿背後の尾根筋を掘削したと推定される堀切状地形が所在。
小字堀ノ内との地名が残るtが地元に伝わる口碑を除いてその経緯は委細不祥。
武州松山城攻防時に後北条氏に加勢した武田勢の戦火により焼失したと伝わる中世寺院跡。
篠竹の藪のなかに土塁らしき地形が残存するもデジカメ撮影は困難にて候。
さてここで、不肖某めが伐採された樹木が散乱する足元を表題通りに踏み破りましてございます。
右足の膝上まで陥没いたしましたが、幸い儀一殿のご助勢により事なきを得ましてございます。
福厳寺と尾根続きの丘陵。
謎に包まれた桝形状の窪地、尾根筋に平行した溝跡など不詳の地形が所在する市野川北岸の独立丘陵。
社殿の削平地斜面の切岸状地形と神社鳥居右側の不詳の溝跡が所在する市野川北岸の独立丘陵。
樹木の生育が切岸、腰郭状地形を覆い隠す現況。
城館名称は知られていても、予備知識が無ければ些か分かりにくい遺構。
このためテンションは幾分低下気味に。
旗本岡部氏の陣屋跡と伝わる丘陵の鞍部を背にした曹洞宗寺院の境内。
近世中期と思われる四天王の彫像と山門は町指定文化財。
凸その裏山の桑畑(比企郡滑川町)午前10時05分から10時20分
以前は桑畑と推定される丘陵鞍部の魅力的な造成地形。
90%以上は桑畑の造成に伴うものかと。
この謎めいた地形を目の当たりに参加者の低下気味のテンションが僅かばかり上昇。
あらためてあの規模の土木工事が何時どの様な形で行われたものかとの疑問が。
小字「郭」との地名が。
謎の石積み、2段構えの切岸状地形が所在。
小規模な「村の城」という印象をあらためて感じる次第。
テンションは下がってはいない模様にて一安心。
凸陣馬沼(比企郡滑川町)午前11時20分から午前11時35分
三門館などに関連した地名と推定。
V字型の里道と竹林内の折れ曲がる溝状地形が所在するも確証不足は否めず。
テンションは上がりもせず下がりもせずかと。
神社の参道という見解も。
やはり城館跡であって欲しい堀跡状地形は今も健在。
周辺の眺望を確認し、昼食を摂るためにプチハイキング。
食事をするには格好の天候。
しかし、眺望を期待するには南風は不向きにございました。
ムラサクシキブの実
旗本酒井重勝の陣屋跡と伝わる寺院。
現在も酒井氏歴代の墓が現存。
呼びかけ人の怠慢により、危うく飛ばしそうになった城館跡にございますが、相変わらずダイナミックな空堀跡が竹林の中にひっそりと佇んでおりました。
全員のテンションは明らかに上昇気味。
これも古い文化財の案内道標のお蔭にて、地元の篤志家の方々に深謝。
泉福寺館の堀跡
埼玉における「村の城」の典型事例として捉えられている感のある民家の裏山。
関越インター建設により消失したと思われる側道に変貌した堀切跡が恨めしく候。
山城探訪の季節にて、多少は確実に遺構が存在する城館跡も訪れねば申し訳が..
予想通り手ごわいお犬様がおいでになりました。
しかし飼い主の方の温かいご配慮により無事に通過することに成功。
お犬様は吠えすぎで声が嗄れ果てた模様にございました。
西郭方面の草木の繁殖が以前よりも目立った以外は予想よりも遺構の確認は容易。
某も3度目の訪城により、主郭東側の土塁跡を有する腰郭乃至帯郭状地形も確認でき誠に再訪した甲斐がございました。
高谷砦堀切
東側腰郭乃至帯郭
概ね予定通りの時刻に一応無事に下山完了にございます。
ご一同の皆様方には、たいへんお疲れ様にございました。
鋭意調査中
訪れた個所はあわせて15か所。
内訳は正統派中世城館跡6か所、近世陣屋跡推定地2ヶ所、城館紛い5か所、中世寺院跡1か所、展望台1か所のおまけ付き。
紅葉見物がてらの城館紛い散策という目論見につきましては、先日来の寒波にもかかわらず時期尚早にございました。
不肖の案内人の故、皆様平にご容赦を m(__)m
なお、大坂城周辺の彷徨のためつぶれたマメは、今や完全に角質化の一途を辿り万全の備えを確立。
⇒本日の史進殿のブログをご覧ください。
⇒本日の儀一殿のブログをご覧ください。
