05 | 2025/06 | 07 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 |
ようやく遠島中のPCが目出度くも赦免の見通しに。
元の鞘に戻すべく復旧作業計画を考案中。
アプリケーションの再インストールが少なくとも6種類。
これにインターネット環境の再構築。
さらにユーザー辞書の復旧。
同じ轍を踏まぬように複数のバックアップ対策の導入も...と、考えているだけで頭痛発生(苦笑)
最近のHDの寿命は3年持てば大当たりとの噂も。
ちなみに今回のHDのブランドは世界市場最大手のもの。
1GBあたりに換算するとたったの50円。
そういえば20年程前のオフコン用の磁気ディスクは1MBあたり1万円だったかと記憶。
もちろんリース期間5年間満了までほぼ無事故。
大容量化、コストダウンの方向性は望ましいものの、信頼性が犠牲となっては元も子もないような。
布団を敷いて寝ようとすると、布団の回りで2匹で追いかけっこを始めることがしばしば。
机の上に飛び上がるため、当方の体をジャンプ台代わりに。
体重6キログラムのネコが走り寄ってきて、腹の上からジャンプされるとかなり辛いものが。
眠るときは概ね布団の上の膝の間あたりに丸くなる習性の2匹。
このため寝返りがうてないだけではなく、足の位置さえも変えられない時も。
今朝は布団を片付けようと折りたたんで運ぼうとしたとき、小柄で寒がりな母ネコの「ポミ」が布団の間からポロッとこぼれ落ちるというハプニングも。
確実に熟睡できないという反面、ネコたちの行動を観察していると結構心和むのであります。
またしても前日の就寝時間が遅くなり、家を出たのは何と午前9時20分。
本来の計画では4ヶ所程度を予定。
すでに出発の段階で1か所+アルファに計画変更するような始末。
単独行動は、どうもやたらに時間にルーズとなる欠点があるような。
凸浅間山(群馬県藤岡市) 午前11時30分から正午
以前から気になっていた地形のひとつで、宿神田の交差点北西に所在する比高差にして35m前後の半ば無名の丘陵。
山頂の思いのほか広い削平地には浅間神社の社殿が所在、北側の奥の院部分比高5mの独立した小郭状の地形。
勿論この殆どが神社の建設などに伴う人工地形とは思われますが、高山城、三ツ山城、平井城、平井金山城などが一望できる立地条件。
小規模な物見砦などの可能性を妄想するには相応しいのでありました。
なお社殿建立に伴う新しい石碑の碑文には、長井豊前守(長井政実か)が中興したと伝わる旨が刻まれておりました。
神社の中興が伝承のみとはいえども、当時の地域権力者として多くの所領安堵状などの中世文書が伝わることから、当らずといえども遠からずといった感を深めていくのでありました。
凸高山城(同上) 午後12時30分から午後17時40分
昨年末に初めて訪れたときには、同日の三ツ山城、子王山城、駒留城と山城3連発の直後の訪城。
このため登る前から全身疲労困憊状態。
朦朧とした意識の中で半ば本能で行動していたようなもの。
このため残存遺構、撮影画像、縄張りが頭の中で完全にバラバラ。
ゴルフ場の建設により遺構の一部が消失しているとはいえ、群馬県を代表する有数の城郭のひとつ。
HP掲載掲載にあたり、いまの状態では高山城と保存活動に尽力された方々のご苦労を考えると失礼極まりない認識レベル。
資料を揃えて来たるべく再訪の機会を虎視眈々と窺っていたような次第にて。
今回は前回の反省に立ち、踏査のためのメモをブロック別に準備。
天屋城についてはさらに各範囲を4分割。
問題があるとすれば、今回これに必要な時間的余裕と体力。
結果的には、やはりこれが最大の問題となってしまったのであります。
■百間築地 午後12時30分から午後1時00分
僅かに残存する当時の石垣遺構。
複雑かつ規模の大きな空堀跡。
切岸による3段の構えを見せる郭跡。
これらをじっくりと拝見。
■本城 午後1時00分から午後1時30分
本城を東西に分ける堀跡。
東側の二本の深い空堀
これに挟まれた馬出郭と北端部の石垣遺構。
大手付近の地形。
■要害山 午後1時30分から午後2時30分
幾分西側のルートをすすんだでみたものの、概ね予定通り土橋部分に到着。
空堀跡を全て踏査しようとも思ったものの、日没までの時間配分を考えれば無謀なので即座に断念。
ここで暫し縄張り図に記された以外の腰郭のようにも見えなくも無い尾根筋の地形を何度か往復。
この辺りから次第に時間が押気味に推移。
■天屋城 午後2時30分から午後5時40分
踏み跡からひとつ西側の尾根筋目指して谷をトラバース。
取り付いた尾根筋にも本来の腰郭以外のそれと思われるような地形が。
主郭周辺では縄張り図に記されたとおりに主郭を取り巻く帯郭の配置状況をじっくりと確認。
実際に時計回りに歩いてみて、その複雑な縄張りの工夫に改めて感心。
なお、消失した東側の尾根筋方向手前部分にも腰郭のように思えなくもない地形が。
主郭南東の腰郭では一ヶ所ではなく上下2段の構成であることを確認。
この際、例の「洞穴」も確認。
入口は幅約2.5メートル、高さ約1.5メートル、奥行き約8メートル。
手前部分よりも奥の方が天井部分が高く2.5メートルから3m近く。
入口正面から見て右手の奥に幅1mほどのテラス状の地形も。
雑魚寝をすれば10人くらいは横になれそうな広さ。
もちろん肝心の5条の堀切も逐一確認。
尾根筋直下東側の帯郭もしっかりと確認。
しかし、下りてきた落葉の積もった急斜面を這い上がれず。
やむなくひとつ南側の堀切脇から這い上がる羽目に。
このあと最南端の2重堀切まで移動。
しかし、この時点で時刻は既に午後5時5分過ぎ。
いまだ確認できていない事項も幾つか残存したまま。
とはいえ、日没時間が幾分遅くなったとはいえ、沈み行く夕日は既に山入端にかかり始め。
小走りに主郭まで戻り、そのまま腰郭の続く尾根筋を木の枝に掴まりつつ降下。
比高差が300m以上の場合ではこうもいかず。
幸いにして腰郭先端部分からの比高差は100m前後で見通しもよく。
目指すは平井金山城が所在する北西方向なので間違いようも無く。
ゴーグル、ヘルメット、作業用手袋の完全装備にて。
2回ほど滑りながら、愛車のところへ戻ったのが午後5時40分。
帰路、以前から気になっていた「かつや」にて、「カツどん」(松、税込み829円)で夕食。
ボリュームとしては満足。
然しそこそこ歩き回ったこともあり、どうも塩分が物足りないような薄味の印象もなくはないようにも。