満57歳なので当たり前のことではありますが。
何気なく足し算をすると、仮にあと12年ほど長生きすると何と70歳の大台に突入してしまうのであります。
若い時分には60歳という年齢さえも、想像だにできない遥か遠い先々のことと思っていたような節が。
この年代になってまいりますと、10年などはあっという間のできごとであることは既に体験済み。
それが今や還暦・定年は目前で、モタモタしているうちに古希を迎えてしまうような年齢となってしまったのであります(汗)
こうしたなか果たしてあと何年くらい体の自由が利くのか、最近は不透明な要素ばかりが出現。
何れにせよ、当面は「城館探訪1千か所」の実現が人生の目標に。
然るに本日の時点で、延べにして未だ450か所にも満たないという状態。
今後一年間に100か所を回ると仮定すれば、約5年半もの年月が必要な計算に。
それまでそこそこ元気でいられるかどうかといえば、これがあまり確信をもてるとは言い難い最近の現状。
また当然の事ながら、HP更新の方は全く別の次元の問題ということで(苦笑)
季節柄、先月中旬頃から紫陽花のアクセスが徐々に増加し始め。
昨年の12月半ばの集計では、未だ2500カウント余り。
ところがシーズンを迎える前の本日の時点で、すでに3300カウント。
先輩格の「向日葵」、昨年末第一位の「槿」をあっという間に追い越し、名門「鉢形城」とトップ頁に1年以上も掲載している「杉山城」も後塵を拝するような状況に。
アクセスのピークは、おそらく今月から来月上旬頃までと想定。
アクセスいただいた皆様に心より感謝を申しあげまする。
かくて「植物図鑑」の名に恥じぬよう、掲載数だけでも3ケタに乗せるべく本日も植物図鑑の更新をコツコツと実施。
あわせて近所を回りながら、新たに5種類を特定(ただし1種類は不明)
というよりも、右腰の神経痛のため遠出を取りやめたのが真相にて(苦笑)
ようやく今月初めての訪城。
先月は貧血騒動、今月は足首のじん帯不調...(苦笑)
元来が出不精の性質なので、一端のんびりすると出かけることが億劫になるらしく。
何のかんのと理由をつけて出かけぬことを正当化していた向きも。
足首の方は昨日平地を歩いて確認した限りでは殆ど問題なく。
立ち上がり動作に注意して、階段や急坂などを避ければ概ね行動可能と想定。
とはいえ念のためにテーピングを施しサポーターを装着。
「藤岡市史資料編」では、北側から東側にかけて高さ1mほどの土塁が残存しているとの記述が。
しかし現状はコンクリート製品製造企業の製品置場に変貌。
敢えて面影を辿るとすれば同書でも記されている北側に面した細長い畑。
及び笹川(流路の河川改修)と館の川と呼ばれる神流川に平行する細い水路。
それに氾濫原との地形を分かつ比高差3mほどの崖線というところでありましょうか。
それでも北東側の2本の流路の合流点付近から見渡してみますと、平地とはいえある程度の要害としての要素を帯びていることが感じられるのでありました。
いずれにしましても事前の情報・資料がなければ、中世城館跡とは想像しにくい現状ではありました。
季節柄道路脇の民家の鮮やかな花色を持つ「紫蘭」が目立ち、また比較的珍しい白花の品種のものにも対面。
このようにして冒頭からある程度予想していたこととはいえ、訪城6割、植物4割という配分となってしまったのであります。
凸戸塚城(同 上)午後12時20分~12時50分
小林館の北方に所在する微高地で東側は神流川の低地に面し、水田面との小林館同様にその比高差は3mほど。
但し拡幅されたと思われる市道が存在するために以前の地形は不明。
残りの三方が細い農業用水路に囲まれたやや南北方向に細長い形態。
「藤岡市史資料編」などによれば、構造上は内郭を有する二重方形館と考えられそうです。
残念ながら肝心の内郭部分については、最早その所在地を特定する手立てが無さそうな印象も。
しかし、下戸塚の集落の中心部であることは理解できても、この現状の地形からだけでは直ちに中世城館跡とは想像しにくいものがあります。
現在東側を流れる一部だけ二重の用水路、南側の一部開口式の用水路等に面影を辿る以外にはなさそうでした。
こちらでも「黄花菖蒲」「黄花秋桜」が、まさに花の盛りの時期を向かえておりデジカメは半々の撮影枚数に。
凸森東城(同 上)午後13時10分~13時40分
当初は外郭と推定されている道路部分を完全に一周しようと心に決めていたものの、このあたりから照りつける日差しの強さが増し次第に気温が上昇。
このため忽ち軟弱モードに切り替り、内郭部分と北東の鬼門に位置する飯玉神社を中心に見学。
さて、本日の訪城では唯一遺構とご対面できた城館跡。
尤も地元旧家の宅地西側を中心とした土塁・空堀遺構のため勿論道路脇からの見学。
堀幅約3間から3間半、土塁の高さは堀側で約1.5m、延長は約50mで南辺の一部にも明確に残存。
北側にも遺構は続いている様子が見て取れるものの、宅地境界部分であるためはっきりとは分からず。
現状を維持管理されている所有者の方に心より感謝を。内郭の西側周辺では、現在新しい戸建住宅の建設が進行中。
以前にはもう少し歴史を感じるような景観が残されていたようにも思えるのでありました。
ここでも初夏の風に揺れる「矢車菊と三尺バーベナ」に目が行き五分五分の状況。
凸森城(同 上)午後14時10分~14時40分
城館跡は東西南北それぞれ約200mの規模の正方形。
森東城とは泉通寺と県道を挟んで隣接。
南西には森西城もほぼ隣接。 資料によればかつては南西部に堀跡らしき連続した窪みが所在したとの記述が。
勿論現在ではその形跡は全く確認できず。
県道に架かる歩道橋上から俯瞰してみたものの、南東の部分には広々としたブドウ畑が広がるだけなのでありました。
寧ろ北東にほぼ隣接する形の曹洞宗泉通寺西側の古い墓石の立ち並ぶ土塁状地形(高さ最大2.5m、延長約60mほど)の方が気にかかるのでありました。
凸森西城(同 上)午後14時50分~15時10分
資料によれば、内郭は東側を除いて土塁などが残るとの情報。
西側は民家との境界部分で殆ど確認できず。
南側の西端にも土塁状の高まりを塀越しに拝見できるものの、近年の造園工事との判別がつきにくく。
北側は道も無く防風林の竹に囲まれている状況のため全体状況の確認が難しく。
こちらも、県道沿いのアスファルトの隙間に逞しく自生中の紫、ピンク、白色などの「矢車菊」のバリエーションがとても印象的な城館?探訪なのでありました。
天候の心配もなく、日没まではまだ2時間前後も余裕が。
しかし、本日はあくまでも足慣らしの予定。
暑さに極端に弱い体質のため、早めに撤収したこともあり心配された足首の痛みは発症せず。
しかし、帰宅してから自宅の階段を下りる時にズキンと脳天に響く激痛が(苦笑)
それでも、デジカメ撮影の際に右足首を深く曲げられるようになってきたので、これも本日の大切な収穫の一つには違いなく。