本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
カレンダー
カテゴリー
最新CM
中城の歴史の引用について(返信済)
(07/01)
おつかれさまでした(返信済)
(11/09)
無題(返信済)
(12/17)
お疲れ様でした(返信済)
(10/13)
お疲れ様でした(返信済)
(03/22)
最新TB
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
アクセス解析
フリーエリア
今週の9日月曜日は都内日比谷まで出かけて「放浪記」の観劇。
観客の高齢化に配慮したのか幕間に3度の休憩ありましたので、上演時間は正味3時間弱ほどでした。
10年以上前の森光子さん健在時に少なくとも一度は見ているのですが、そうした以前の上演に比べて圧縮されたという印象が強く残りました。
演劇脚本としての原作は故三木のり平さんなのですが、初演の頃に比べると1時間以上は短縮されているものと思われました。
客席も満員で翌日が千秋楽でしたので、演劇としては纏まっていたとは思うのですが、以前に観劇した時とは異なる形容しがたい距離感を感じました。
主役を含む出演者が大幅に変わっているという背景以上の何かがあるのかも知れません。
観客の高齢化に配慮したのか幕間に3度の休憩ありましたので、上演時間は正味3時間弱ほどでした。
10年以上前の森光子さん健在時に少なくとも一度は見ているのですが、そうした以前の上演に比べて圧縮されたという印象が強く残りました。
演劇脚本としての原作は故三木のり平さんなのですが、初演の頃に比べると1時間以上は短縮されているものと思われました。
客席も満員で翌日が千秋楽でしたので、演劇としては纏まっていたとは思うのですが、以前に観劇した時とは異なる形容しがたい距離感を感じました。
主役を含む出演者が大幅に変わっているという背景以上の何かがあるのかも知れません。
郡山の図書館でコピーしてきた資料が、さきほどやっと残り100枚ほどになりました。
現在までにまとめたファイルは15冊なので約600枚分。
このため従来の保管場所専用棚を整理する必要がでできました。
今回の資料複写で、意外に面白かったものは「郡山の歴史」(新版2014年刊行)、「大槻町の歴史」(2009年刊行)ならびに「富田ふるさと町史」(2004年刊行)の3冊。
とくに「富田ふるさと町史」はかなりマイナーな「向館」をメインに富田氏について掘り下げ、さらには「向館」の絵図(複郭、小規模な町屋も記載)も示し「富田八館」にも言及されています。
冷徹な見方をしてしまえば、やや時代が下った「文禄3年の蒲生氏高目録」では「富田村630石余り」との生産高が記されているように、その当時においては多数の人口を維持できたかどうかについては疑問の余地もありそうです。
その多くは「平地や低丘陵に所在した有力階層の家屋敷のようなもの」として捉えるべきなのかもしれません。
それでもこうした「魅力的な物語としての歴史が伝わっている」という事情に感動を覚えます。