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今日あたりは降水確率20パーセントでも、細かい霧雨が断続的に降っています。
1時間当たりの降水量は1ミリメートルに達しないので、予報が外れているということでは無いようなのですが、うかうか外出もできない空模様です。
洗濯物も干せず、部屋干しに。
昼食は以前特売で購入した「まるちゃんのカップ麺」で済ますことに。
流石に元気がなくなってきた昨年末に植えたビオラ(⇒商品名は「よく咲くスミレ」)10株ほどを処分。
花壇の植え替えには好都合の空模様なので、近所の生花店で園芸種の矮性ペンタスとニチニチソウを購入し植え替え作業を実施しました。
両方とも通常は秋頃までは持つはずなので、あとは些か切戻しのタイミングが難しいペチュニアの面倒を心掛ければよいはずです。
途中撤退することとなった先月の借りを返すべく再び横浜方面へと赴きました。
この地域で遺構の残存状態では良好な部類に含まれ、かつ季節的に訪問可能な小机城、茅ヶ崎城、榎下城方面は遠望するまでにも至っておりません。
当面の城館探訪にあたり、喫緊の課題でもある長時間歩行に伴う両足踵の痛み対策などを新たに考案。
極力歩行距離を抑制し、比較的短い距離でもタイムロスのない限りはできるだけ電車、バスを活用する方針と合わせて現状でとりうることのできるプランを考案してみました。
果たしてその結果は...
凸獅子ヶ谷殿山(横浜市鶴見区獅子ヶ谷町) 午前7時00分から8時20分
この日の手始めは獅子ヶ谷の殿山で、東急大倉山駅から徒歩にて向かう東急東横線東側の低丘陵地帯です。
この時ふっと脳裏に浮かんだ発想とまでにも至らないような漠然としたイメージが、後々の所要時間浪費の伏線を暗示していたとは思いもよらず。
1 師岡公園
途中で稜線上に所在する上記1の師岡公園を左に見ながら、比高差20mほどの丘陵を越えて丘陵に挟まれた谷底道のような細い市道にて殿山南麓に所在している横溝屋敷方面へと歩みを進めていていきました。
この一帯は南北を東西に延びる細長い丘陵に挟まれており、いろいろと魅力的な地形が各所に散見されますが、その多くは宅地開発により旧情を窺うことが難しくなっています。
すると、また今しがた越えてきたばかりの画像2の丘陵ラインがほんの少しだけ目視できるような緩やかな下り坂の地点へと到達。
2 稜線は師岡公園の一部
上記の稜線が気にかかる地形のひとつでしたが、当面の目的地とは300メートルほど離れた地点でもあり、そのままスルーして目的地のひとつ手前の永昌寺に立ち寄り、念のため尾根筋からのルートが無さそうなのを確認してから「みその公園、横溝屋敷」へと向かいました。
南側から見上げる殿山の景観は画像3のように比高30メートルほどの低丘陵でありながらも、両脇に支尾根を抱えるなかなか堂々とした山容でありました。
3 殿山(民家背後の正面あたり)4 横溝屋敷
横溝屋敷の古民家の風景を外部から撮影し、さていよいよ殿山へ登ろうとフェンスに近づいたところ、何と南京錠により施錠中というまさかの事態に直面し暫し茫然。
時刻は確かに未だ午前7時なので、施錠管理されていれば未開錠も道理といえば道理かとも。
しかし脇の方からも入れるような隙間もなく、やはり昨日までの予定通り先に大倉山方面に赴くべきであったなどと独白してもあとの祭りとなりました。
このあと、付近の地形を観察しルートを探し、少しだけ苦労して(⇒ホントはかなりの体力消耗)尾根筋の散歩コースへ到達し再度殿山方面へ。
5 この稜線は市民散歩コース 6 この先が殿山の山頂
あとから判明したことですが、横溝屋敷経由の入り口の開錠時刻は画像7のように午前9時30分でした。
それでも元々散歩コースとして管理整備されているため、それ以外に少なくとも4方向からアプローチできることを知りました。
また悔しいことに、先ほどの画像1の師岡公園からは、そのまままっすぐ尾根筋を辿ればこの殿山に到達できることも判明するというお粗末さ(笑)
周辺のアクセス環境を把握できたとはいえ、まさに徒労の一言に尽きました。
この時点で当所の予定時間を軽く1時間近くもオーバーするというおまけつきです。
7 横溝屋敷の開館時間 8 殿山山頂付近
9 横溝屋敷へと向かう痩せ尾根 10 殿山山頂付近
頂上部は公園整備が行われているので旧情は不明ですが、確実に削平地形が存在し低丘陵の割には明確なピークを形成していることは把握できます。
「城郭大系」では小田切氏との関連を示唆し、かつ「堀と土塁の存在」を示していますが、現状では削平地の周辺に確認はできません。
強いて言えば山頂部の斜面は切岸にも見えなくもないような気がしてきますが、たぶん気のせいなのかもしれません。
12 殿山山頂付近の斜面
帰路はそのまま尾根筋を南西へと向かい、想定通り師岡公園へと到達しました。
公園北東部には、一見すると土塁のようにも見えなくもない地面の盛り上がりも所在。
無論公園造成の際に大きく丘陵地形が改変されている可能性が想定されます。
13 尾根筋の削り残し 14 同 左
15殿山よりも城跡らしい景観
この程度の丘陵歩きですが、右往左往した結果比高差累計はすでに約80メートルに。
帰路、大倉山駅方面へと向かう道すがら、ここで早くも踵部分の違和感が発生。
未だ歩行数は9000歩と少しなので、今までの経験上からはあと1万歩くらいは大丈夫かと。
しかしそれでは大倉山方面で終わってしまうことになるというのは如何なものか...往復に伴う所要時間5時間の元を取るには少なくとも延べ5カ所程度は...などと愚にもつかないような皮算用をし始める愚かな管理人なのでありました。
管理人の思惑を嘲笑う様な連続し漸増する痛みとの激闘は、これがあくまでも序章に過ぎませんでした。
凸大曾根城(横浜市港北区大曽根町) 午前8時50分から10時50分
今度は獅子ヶ谷殿山しは反対側ととなる大倉山駅西方の高台です。
東急東横線の軌道により丘陵が大きく分断されていますが、本来はそのまま東側へと続いていた地形のようです。
1 丘陵を南北に通過する東急 2 この辺りでまだ三分の一
3 大倉山記念館 4 同 左
5 6 説明版もありました
7 この個所には味わいが 8 細長い郭状の地形です
9 確かに眺望は優れる 10 途中の尾根筋も公園化
11 龍松院境内
笠原氏関係の石碑が所在しているという龍松院は閉門しておりましたので、石碑は拝見しておりません。
12 この辺が最もそれらしく 13 これは新しい腰郭(笑)
上記左側の画像の個所が、下記の右下の画像の個所に繋がっています。
14 龍松院山門 15この右側辺りが気になります
上記画像の右側に通行止めのロープを渡した個所がありました。
だいぶ不確かな情報ですが、ことによると何らかの足跡が存在するのかも知れませんが道路沿いから拝見する限りは何とも言えません。
ここでもまた初っ端から比高差25メートルほどを2度ほど上り下りしたのて50メートルほどに。
これで登った高さは早くも延べ約130メートルほどになりました。
16 尾根筋が括れていた個所
太尾見晴らしの丘公園に赴くにあたり、牢尻緑地の南東側の市道を登り尾根筋沿いに移動開始して都合25メートルほどを登ってみました。
目指す地点は画像16の場所で、地形図などからも分かるようにこの地点は尾根筋が大きく括れていることから堀切などを置くには好都合な鞍部でした。
17 南西側のv字谷 18 北東側の谷
画像16から18に示したように、なかなか感じの良い尾根筋の括れを確認できましたが、残念ながら現在付近一帯は大々的に送電線関係の工事の真っ最中らしく、肝心の個所には建設資材運搬用のリフトが架設されておりました(苦笑)
もともと過剰な期待はしていませんでしたが、気持ちを新たにして北西の尾根続きにある「太尾見晴らしの丘公園」(画像19、20)へと移動しました。
19 太尾見晴らしの丘 20 同 左
21中腹からでも見通しは良好 22麓の印象よりも比高差がある
23 鶴見川と堤防 24鶴見川沿いの舟運の河岸跡碑
大倉山駅周辺の僅か2か所を探訪し終えたこの時点で時刻はすでに午前11時近くに。
当所の滞在予定を大幅に超えた時間消費となり、朝方涼しかった北風も、やがて南へと変わり体力・気力の方も相当に消耗していきました。
その一方で、もともと課題であった踵の違和感も徐々に拡大増加の一途。
凸小幡泰久館(横浜市港北区大豆戸町) 午前11時50分から12時05分
ここでの比高差は緩い坂道と寺院と神社の石段くらいのものなので、合計してもせいぜい15メートルほどなので、この際はのんびり休みがてらの歴史散歩のような訪問。
1 これくらいの比高差 2 本乗寺山門
3 八杉神社鳥居 4 石段は割合少ない
5 八杉神社社殿 6 雰囲気の良さそうな法面
「城郭大系」と現在の地形を見比べると、こじんまりとしたこの八杉神社境内辺りから南東の本乗寺のあたりの丘も伝わりますが詳細は不明のようです。
凸篠原城(横浜市港北区篠原町)13時00分から13時10分 先月に続く再訪
先月訪れた後でネットを調べたところでは城跡北側に説明版が設置されている由が掲載されておりましたので、完全に見落としていました。
こうした一連の画像撮影のため再訪しましたが、結果的には些か間の悪い再訪でもありました。
現地解説版などによりますと、金子出雲に関係する城跡であうとのことで、これは恐らく「城郭大系」が示すところの「金子出雲守の塁」に相当する模様です。
「城郭大系」が「横浜線菊名駅北の丘上」と誤った所在地を示したことから誤解が生じてきたというような経緯があるものと思われました。
また仮に「城郭大系」が示してる「菊名駅北の丘上」ですと、所在地の上では前記の「小幡泰久館」がこれに該当するものと思われます。
ここでも緩やかな市街地の坂を4度ほど上り下りしたので、一応比高差合計は30メートルほど。
1 新横浜南口駅前から 2 この細い道を道なりに進む
3 100mほどでここに出る 4 篠原城の解説版
5 篠原城の解説 6 詳細な縄張図も
7縄張図の腰郭と符合するあたり
解説版脇の掲示板には訪れた翌日の6月4日に現地見学会が行われる旨の告知が掲載されておりましたが、さすがに連日横浜まで往復5時間を要して赴くだけの気力は無く...(苦笑)
◎篠原八幡神社(横浜市港北区篠原町)13時30分から13時40分
単に立地条件が気にかかったので、先月篠原城の途中で立ち寄る計画でしたが、「乗車したバスが菊名駅行でしたのでパスした個所でした」って、ダジャレを言ってみても詮ないこと。
丘陵の頂上部に所在し北方の眺望が良好なのですが、独立した尾根筋という地形ではありませんでした。
横浜市内にはこうした低丘陵が多く存在するのですが、宅地造成の進行により地図上からは当該地形が判別できるようにはなっていないことをあらためて痛感。
遺構とはほぼ無縁の丘陵地帯でしたが、傾斜だけはきつく比高差約25メートルほど。
このため比高差は延べ約245メートルに。
1 八幡神社境内 2 同 左
3 関係は不明です 4 厄さえも無縁の年代
凸三会寺の土塁(横浜市港北区篠原町) 14時40分から14時55分
ここだけは、とても足に優しいほぼ市街地の平坦地でしたので一安心。
境内北側部分の本堂奥に土塁が現存しておりました。
高さは背丈ほどで、総延長は少なくとも30メートルほどでしょうか。
土塁地形の経緯は不詳ですが、近刊された「神奈川中世城郭図鑑」に僅か一行半ほど記載されていたことから訪れてみただけのことです。
篠原城を訪れた際にでも、時間に余裕があれば立ち寄ってみてもいいかもという印象でした。
1 真言宗三会寺の山門 2 三会寺本堂
3 よく見れば土塁が 4 歴代住職の墓石群
5 六地蔵 6 墓石の説明版
凸鳥山館(横浜市港北区鳥山町) 15時05分から15時10分
三会寺からは緩い上り坂となり、神社境内の鳥居から社殿までの比高差が約10メートルほどありました。
「城郭大系」によりますと、佐々木高綱の居城とも伝わりますが、なにぶんにも12世紀末のことなのでいささか違和感を生じる伝承でもあります。
社殿は丘陵中腹に鎮座していますが、無論、地表上の遺構は確認できません。
この時点では最早裏側の住宅地へと続くであろう40段ほどの石段を登る気力と体力は皆無でした (^_^;)
1 八幡神社参道 2 八幡神社社殿
凸土井谷砦(横浜市港北区小机町) 15時45分から16時00分
丘陵中腹に所在する寺院でしたので、比高差は約15メートルほどに。
小机城を任されていた笠原氏の墓石が所在する雲松院の裏山(おそらくは南側か)が城跡と考えられているようですが、立入禁止のため詳しい様子を窺い知ることはできませんでした。
解説プレートや解説版などによりますと、同寺には旗本となったその後の笠原氏の墓石も存在しているということです。
1 曹洞宗雲松院 2 山門
3 本堂 4 城跡を含む解説プレート
5山門、本堂、笠原氏墓石の解説
凸小机城(横浜市港北区小机町) 16時15分から16時50分
本日最大の目的地ですが、ようやく訪れたものの時刻はすでに午後4時過ぎに。
それでもこの季節なので未だ日没までは2時間以上の余裕がありました。
第3京浜により、一部城跡が分断されてはいますが、日頃の下草刈りが行き届き程よく公園化され散策コースも整備が行き届き本当に有難い限りです。
歴史上で小机城が登場するのは戦国時代初期の長尾景春の乱で、文明10年(1478)景春に同調した在地領主たちが、この城を拠点として扇谷上杉氏に反乱を起こしましたが、太田道灌により鎮圧されたとされています。
無論現在遺されている遺構は後北条氏時代晩年のものですが、秀吉の関東侵攻時まで機能していたことが推定されています。
後北条氏一族の属城で笠原氏が城代を務めたことが通説とされています。
通称本丸、二の丸ともに、従前に思い描いていたほどの広さは無く、最大でも数百人程度が籠れるかどうかという印象の規模でした。
郭と空堀関係は実に良く遺されていますが、その反面土塁の残存状態は想像していたよりも耕作などによる削平が行われた模様です。
1 JR横浜線小机駅構内にて 2 小机城遠望
3 住宅街から城跡へ 4 お、切岸が
5 こころ和む城址標柱 6 とりあえず本丸から
7 本丸南側の空堀 8 本丸へ続く土橋
9 本丸南小口土塁 10 本丸北東部の堀底道
11 本丸北側の空堀 12 二の丸西側の堀底道
13 同 前 14 同 前
15 同 前 16 二の丸西側切岸
17 二の丸北西堀底道 18 北方の眺望
19 二の丸北側堀底道 20 二の丸北部
21 二の丸南西の櫓台 22 本丸方面
23 本丸東側小口付近 24 二の丸南側腰郭
25 城跡南部の馬出へ 26 本丸南側空堀
27 同 前 28 城跡南端の腰郭群
29 馬出東側城道 30 同 前
31 馬出方面の遠景
丘陵麓から本丸へ向かい堀底道に降りて二の丸へ向かうルートをとりましたが、それでも比高差は約30メートルほどになりましたので、この日の累計比高差が約300メートルほどとなり、ちょっとした山城並みの比高差となってしまいました。
それても総じて丘陵越えのルートは適度に道が管理整備されお陰様で快適に探訪できました。
★以上の8カ所の歴史的背景などについては、後日改めて記述を追加・改定したいと思います(⇒ただし時期は未定)ので、このブログはあくまでも当面の備忘録となります。
この日の歩行数は予定を遥かに超過して、延べ歩行時間7時間50分、歩行歩数4万6000歩近くになったので、もう少しでフルマラソン寸前に。
梅雨の走りにも遭わず、懸念していたやぶ蚊の襲来もなく、この足の状態で9か所を訪れることができたのは殆ど奇跡のようなものかとも思う次第にて。
そうはいっても、帰路、もはやエスカレータを駆け下りるような気力と体力は完全に消失。
東急菊名駅で直通急行川越市行に僅か10秒ほどの時間差で乗車できず、おまけに疲労と痛みで地団駄さえも踏めず、東上線直通は何と40分後という無情の時刻表を茫然としながら眺めておりました。
帰り際にのんびりと飲んでいた自販機のトマトジュースに八つ当たりしてみたものの、そのあとで幸いにして渋谷行始発各駅停車で座れたので小さな幸せを噛みしめる卑小な自分がおりました。
座席に腰かけていると踵の方もさることから、両膝と両足首がパンパンに腫れ上がっていたので、通勤逆コースの空いている車内にて片方ずつ足首を軽く左右に回転させ機能回復に邁進。
さて本日久しぶりに発症した強烈な肝心の踵の痛み。
原因は恐らく足裏の浮腫みであろうと推察。
装着していたソルボ製踵サポータの位置が、体重を含む荷重と長時間歩行が複合し足裏の浮腫みに繋がり、これにより1センチ近くもずれていたことが主な原因であると判明。
両足踵にはサポーターのエッジ付近が段差となって食い込んだことにより発症したものであることは間違いが無さそう。
このため予め貼っておいたバンドエイド大型傷パーワーパッドも殆ど役立ちませんでした。
装着していた踵サポーターは、現在のところ一昨年秋頃から何種類が試した中では機能もサイズも最も効果的であることは実証済み。
従っていわゆる足底腱膜炎の症状は抑止できたものの、足裏全体の浮腫みに伴うサポーターのずれが引き起こした痛みだとすれば、あらかじめ浮腫みを想定した装着位置を考えれば良いだけのことなのかと。
一方、日常履いている足底の柔らかなサンダルでは殆ど足裏への負担は無いことも事実。
斜面を上がり降りすることを考慮しなければ、限りなくこれに近い履物を選べば済むことなのかとも。
渋谷駅から乗車した副都心線東上線直通通勤急行川越市行きでの両踵に連続発生する激痛は、まさに想像を絶するものがありました。
これが急行なので渋谷、新宿、池袋、小竹向原と停車駅だけは少なく有難いものの、座席に座れるチャンスは東上線に入っても最後までめぐっては来ませんでした。
見かけはギリギリ優先席に座れるかどうかの瀬戸際の外見なので、あまり文句などをいうこともできません。
加えてこの折に吊り革を握っていた左手の指全体が強直し感覚を喪失。
たぶん過労と脱水症状による腱の痙攣と推察。
動く方の右手で揉み解してどうにか危機を脱出。
この時期には経口補水液2本を常時携行し、それ以外に必要に応じてコンビニや自販機などでさらに数本ほどを補給していても、状況によりこうなることは大分以前に体験済み。
なお、翌日出かけた「終活準備の斎場めぐり」では、愛用のサンダルで5000歩以上歩けているので、それなりの回復力が強まってきたことは微かな明るい材料なのかも知れません。
以前ならば、ほぼ一週間くらいは身動きがままならなかったことを思えば進歩なのかとも。
というような次第で、今回はようやくどうにか小机城までは廻ることができました。
とはいえ茅ヶ崎城と榎下城方面は梅雨入りも近いこともあり、その訪問が何時になるかは皆目不明です。
あと数年もたてば年齢的にさらに運動機能が低下していくのは必定なので、動けるうちに動いておこうと心に誓った一日なのでありました。
本日の金言。
「足は浮腫は恐るべし。これに優るは日頃の節制、正しい履物」
そうそう、忘れないうちにこれも記録しておこう。
「指の痙攣、脱水症状」
ここ数年はパソコンの不具合などが続いたため、幾度となく更新を中断してきました。
そのうちに、いよいよ更新の仕方を忘れたりするような年へとに突入してしまい、いよいよボケが始まったかとも思いましたが、どうにかして作業しております。
とはいうものの、すでに300か所以上もため込んだ未更新の山が聳えているので、感覚的にやりやすい箇所から手を付けているため、残念ながら今後永久に日の目を見ない箇所もありそうです。
つまりは気の向いたところから手を付けているような次第であります。
そうした事情を考慮せずに、秋以降には性懲りもなく複数の遠征も計画しております。
どんなに更新作業を急いでも、能力的には年間100か所くらいが限界なので、こうした未更新在庫は今後も増え続けていくことになるものと思われます。
「老化に伴うPC操作不能が先か、足回りの劣化が先か」という何とも情けない状態ではありますが、何れにしましても、これに「文献、史料」などの読込作業などを含めると、恐らくはあと数年程度が限度なのかもしれません。
今回は何故か、ふと思い立って普段は殆ど赴くことのない神奈川県の市街地へ。
車でのアクセスが不向きな土地柄ゆえ、なかなか足が向かなかった地域ではあります。
午前4時30分に自宅を出てから、東武東上線-副都心線-東急東横線を乗り換えなしの直通通勤急行なので乗車は最短の時間1時間半弱。
座席にも座れ、かつ無事に通勤ラッシュも回避。
思えば便利にはなったもので、ひと昔前ならば池袋、品川での乗り換えが不可避で所要時間は2時間を優に超えるはず。
こうして横浜駅に到着した時にはラッシュ前の午前6時35分前。
鍵となるのは、雨と蒸し暑さなどが懸念されたこの日の空模様。
凸権現山城(神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷) 午前6時50分から7時40分
横浜駅に近い横浜市内なので、まず駐車できるような場所はありませんので電車利用が大前提。
従来の城跡推定地は「城郭大系」などでは「幸ケ谷公園」とされてきたようですが、最近刊行された「神奈川中世城郭図鑑」によりますと、もう少し東側の幼稚園や小学校の所在する辺りが権現山のピークではなかったのかという説が有力視されているようです。
15世紀初め頃の伊勢氏と扇ケ谷上杉氏による「権現山合戦」の舞台と伝わります。
京急神奈川駅前の解説 権現山城のネコさん
一応解説版がありました かつての推定丘陵先端部付近
なお城跡と麓の神社にて割合と懐こいネコさん2匹と対面し記念撮影。
鳥を眺めているのか、中空を凝視しているのか不明な不思議なネコさんは「さくら耳」(去勢済み)でした。
丘陵中腹の洲崎神社境内 鳥を眺めているネコさん
仏公使館があった甚行寺 境内の紫陽花
凸青木城(神奈川県横浜市神奈川区高島台付近) 午前8時00分から8時10分
現在曹洞宗本覚寺の境内地となっている台地が遺されているだけで、地表上の遺構は確認できません。
旧来は権現山城と一体となっていた城跡であるという考え方が定説となっている模様です。
なお、幕末期には米国の領事館が置かれていた時期もあり、山門脇に史跡の標柱も設置されていました。
また、この石柱後方の緑豊かな台地が権現山城に当たります。
「権現山合戦」では上杉方の藤田氏によって、伊勢氏側に加担した上田蔵人の籠る要害が落城したとも伝わります。
城跡の曹洞宗本覚寺 こちらは米国領事館跡
タイサンボクの花 この辺りに堀切が
以上の僅か2か所(⇒実質1か所のようなもの)を訪れただけで、風はあるもののじっとりと湿った南風が吹き、体中から汗が止めなく吹き出すような湿度は予想以上。
早起きのせいなのか、歳のせいなのかは分からねども、この時点ですでに早くも疲労が顔をのぞかせはじめました。
それでも、本覚寺のすぐ南西側で東急反町駅へと向かう最短距離の専用通路を見出し欣喜雀躍。
・・・と、なってしまったことが全ての誤算の始まりでした。
前日の睡眠の直前までは、本来はこのあとでいったん京浜急行神奈川駅あたりに戻り、鶴見駅方面からバスまたは徒歩にて総持寺の北側を通過して諏訪坂方面へと向かい、ふたたび上手い具合にバスがあれば県道85号線を西へと向かうというような理想的ルートを描いておりました。
セイヨウアジサイ(3枚共) ついでに露草も
それが専用通路の標識を目にした途端にコロッと失念して、能天気に上の早咲きのアジサイを撮影し始めたりしており、このあとの相当に無駄な労苦を積み重ねることに繋がっていきました。
あとで測ってみたところでは無駄に歩いた距離は何と約10キロメートル弱に。
凸寺尾城(神奈川県横浜市鶴見区馬場3丁目一体) 9時20分から10時40分
後北条氏家臣諏訪氏の城と伝わりますが、基本的に駐車できる場所はありません。
東急の妙蓮寺駅から県道85号線を北東に向かいます。
このとき最寄りのバス停で確かめた時刻表ではこの時間帯のダイヤは1時間に2本。
ならば己の足を信じて歩くのみと判断したのが大間違い。
東急バスの方は通勤・通学時間以外の最も少ない時間帯でも1時間当たり6本もあったという事実に気づいたのは、このあとの諏訪館から戻る途中であったのてありました。
市街地化が著しく遺構に乏しい様子でしたが、事前に下調べしたところでは、だいたい次の3か所くらいは見ておきたいところでありました。
ところが思いのほかの比高差と元々地理不案内のために、比高差が少ないとはいえ丘陵地帯を二往復半するなどして、かなりの時間を費やすこととなりました。
麓からの比高差は20mほど この石段は結構つらい
◎城跡石碑
丘陵の山頂近くに所在してるのですが、具体的には寺尾3丁目15番の住宅地南西角の道路沿いに所在しています。
この日は横浜市内ということもあるのか、同好の士の方と遭遇することがたびたび。
城跡石碑の前で軽く情報交換などを。
◎馬場稲荷
ウェブ地図などには「馬場稲荷」の表記があります。
石碑の箇所よりも比高差で10メートルほど低位に所在しており、このためアプローチには北西側の道路からが便利です。
◎殿山公園
公園内の西側住宅よりに空堀(竪堀)とこれに平行する土塁を確認できますが、周辺の宅地開発が進行しているため、いささか今後の遺構保全が気がかりです。
徒歩などの場合には北側の県道から、まず「馬場稲荷」、次に「城跡石碑」の順番で訪れ、最後に城跡石碑脇の細い道をそのまま東側へと向かい行き止まりとなる手前南側(右側)に「殿山公園」入口の木柱がありますので、この順路で廻るのがアップダウンも少なくて比較的楽なルートだと気が付きました。
もちろん丘陵南東麓からも行けますが、疲れない最短ルートは上記のとおりです。
ちなみに管理人は「城跡石碑」探しでは山頂の住宅地を一周半し、「馬場稲荷」では2度あの石段を往復し、殿山公園を探すにあたっては東高校の方まで足を伸ばすという無駄骨を折っております。
丘陵上からの殿山公園入口 左の画像近くの解説板
竪堀と土塁 細長い公園の中ほどの解説版
以上の寺尾城での彷徨が終了したのち、何かとても大事なことを忘れていたことを思い出し、漸くそのことに気付いたものの時すでに遅く、すでに次の諏訪館へと向かっている途上なのでありました。
水連(ヒツジグサ)とも 同 左
下記の個所に向かう途中で立ち寄った水天宮境内の池に咲いていた水連です。
凸諏訪午之丞館(神奈川県横浜市鶴見区諏訪坂) 11時55分から12時20分
比較的狭い道が多く無論駐車できるような場所はありません。
「城郭大系」などによりますと、前記の寺尾城の城主であった諏訪午之丞の居館があったと伝わる場所ですが、現状は丘陵に崖線が確認できるものの一面の住宅地となっております。。
県道85号線が大きくカーブしているので、地図上の最短距離を進もうとしたのがまたもや大きな誤算になつてしまいました。
そもそも県道が大きくカーブしているのは丘陵地形が多いがための回避措置であり、こうした地形の最短距離をすすむということは正に「丘を越えて」いくことに他ならず。
僅か比高差20メートルほどの丘陵でも、2か所越えれば40メートルという計算に。
いわゆるだらだら坂もきついのですが、登るのが嫌気をさす急坂も疲れます。
あとで調べてみたところでは、このようにしてこの日に登った比高差は都市部の丘陵地帯であるにもかかわらず、累計で160メートルは超えておりました。
途中にあった熊野神社 解説版の後方は只今工事中
道路左側が推定館跡 上記解説版部分拡大
上記の解説版と現在の道路が幾分異なっているため、その相違を理解するまで些か時間を要しましたが、本来は古墳などとともに東西約150メートル、南北約100メートルほどの規模で崖線先端部付近に所在していたものと思われました。
このあとは、いくぶん遅めの昼食を摂り彼我の情勢(肉体疲労と空模様)を分析したのち、東急バスにて終点の「菊名駅」へ。
駅に着いてから次へと向かうか、そのまま自宅へと戻るかを決めるつもりでしたが、まだあと少しくらいならば歩けそうな気配でしたので重たい足を引きづりながら篠原城方面へと向かいました。
凸篠原城(神奈川県横浜市港北区篠原町)15時00分から15時15分
近年に城郭研究者の方が確認して話題となった中世城郭で、所在地から推定すれば小机城の支城のような役割が想定されます。
新横浜駅南側の丘陵地帯に奇跡的に残存していた城郭遺構ですが、この一帯は最近の宅地造成などにより主郭部周辺を除いて宅地化の波に飲み込まれてしまいました。
比較的狭い道路が多く、無論駐車できるような場所はありません。
それにしても南側の丘陵方面からアプローチすると、城跡が所在する向こう側には新横浜駅周辺の高層ビルの上半分がが覗いていたりするという何とも不思議な光景を見ることができます。
最寄の菊名駅からは横浜線北側の市道を西にすすんで丘陵の麓へと到達するのが、平坦でもあり最も便利かもしれません。
自分の通った「錦が丘分譲地」方面経由ですと、最悪比高差20メートル近い丘陵を登って下るという無駄に等しい疲労の激しいコースになります(^_^;)
郭跡かも 主郭東の横堀付近
さて肝心の遺構ですが、以前に発掘調査が行われた際の詳しい解説パネル類などは見当たらず、今回宅地化された個所以外にはそのまま立ち入り禁止のフェンスが巡らされておりました。
しかし現在でも主郭切岸の一部と主郭東側の横堀については、フェンス越しからも現存していることが明確に確認できます。
このほかには主郭南側の平場と、辛うじて新しい造成宅地にも郭群切岸の一部が遺されているようにも見受けられました。
この日の本来の目的地はこの時期でも行けそうな小机城と茅ヶ崎城がメイン。
時刻は未だ午後3時15分過ぎで、新横浜駅までは徒歩約1キロメートルほど。
しかも未だ5か所しか探訪していないという冷徹な現実に暫し茫然。
小机城での歩行距離は駅からの徒歩を含めてもせいぜい4キロメートルくらい。
しかし生来の欲をかく悪癖が頭をもたげ、これに頑固な性格が輪をかけて、この日ここまで歩いた距離は何と32キロメートルを超過しておりました。
10年近く前には50キロメートル以上を歩いた経験はあるものの、足回りの痛み対策を行っているとはいえ、加齢に加えて手荷物の加重(約6キログラム)と徒歩の場合には車のような間の休みがないことなどを失念してしまい、確実に踵へのダメージが蓄積されていきました。
さらにこれに追い打ちをかけるようにして、時々路面に落ちる小雨と相俟って遠雷の轟も心なしか激しくなり始め、空模様もかなり怪しげに変貌していきました。
かくしてせめて小机城の遠景くらいは拝みたいという微かな願いも叶わず撤退を余儀なくされました。
本日の教訓
「丘を越えて」行くのは辛い。
道路が曲がるのには必ず訳がある。
