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東京オリンピックを迎えて路線の縮小が進んでいたとはいえ、依然として都電が都内の主要公共交通機関であった頃のこと。
その当時電車通学していたのだが、西ヶ原停留所での乗車の際に危うく人身事故に遭遇しそうになったことがあった。
乗車の際にステップに左足しか乗せていないにもかかわらず、乗降口が開いたまま都電が発車し結果的に2mほど引きずられてしまった。
直後に急停車し、幸い右手で縦の真鍮製の手摺をしっかりと掴んでいたこともあり、捻挫や擦過傷もなく、軌道の石畳に転倒するようなこともなく、むろん車輪に巻き込まれるようなこともなく、奇跡的にほぼ無傷。
事の重大性に気付いたのは、だいぶ後のことで、冷静に考えれば当方には何らの瑕疵もなかったが、記憶ではその際に安全確認を欠いたと思われる乗務員からの安否を問われるようなこともなかった。
仮にあのとき手摺を掴んでいなければ、あるいは左足をしっかりとステップに乗せていなかったら、その生死も含め今の自分はなかった可能性も少なくないのだろう。
しかし年齢が13歳であったこともあり、都交通局へクレームをつけるというような発想もなかったし、運営者側もまた「乗客に対するサービス」などという発想のない時代でもあった。
その当時は今よりも体も小さく身長は150cm足らずだったこともあり、運転手の位置からは死角になっていた可能性もあったのかも知れない。
記憶を整理すれば、たぶん1964年の夏前ころのことと思われ、路線は19番で王子から日本橋間を走行していた。
そんな苦い記憶を引きずっていたこともあったのか、高校での集団健康診断の際には、会場で高校生を相手に威圧的に怒鳴っていた保健所の職員に、その態度の是非を問い発言態度を改めてもらったことがあった。
これは大学受験の前年なので、たぶん1968年の秋頃のことだと記憶。
2泊3日なので早くも最終日に突入。
起床時刻は午前5時半で午前7時半には行動開始。
凸大鳥井柵(秋田県横手市) 午前7時50分から8時30分
石碑、解説版あり
堀切 空堀と段築
館址の石柱 たぶん館址付近
凸台所館(秋田県横手市) 午前8時35分から8時40分
解説版あり
解説版 館南部
凸金沢城(秋田県横手市) 午前9時10分から10時00分
石碑、解説版あり
西郭の堀切跡 発掘調査準備
解説版 堀切跡
たぶん主郭小口 主郭跡
連続堀切の一部
凸陣館(秋田県横手市) 午前10時15分から10時50分
後三年合戦資料館にて関係資料を受領したのち、奥羽本線後三年駅に立寄る。
奥羽本線 陣館、金沢城方面
凸真壁館(秋田県横手市) 午前11時20分から11時30分
解説版あり
郭跡あり
凸赤川館(秋田県横手市) 午前11時35分頃
この一帯の耕地整理工事中のため集落へと向かうことが難渋し、やむを得ず沿道からの観察に止まった。
凸猪岡館(秋田県横手市) 午前11時40分から11時45分
一部土塁が残存しているという情報もあったが、民家宅地などの事由により捜索を断念。
館址中心部付近 大人しいワンコがいた
凸増田城(秋田県横手市) 13時25分から13時50分
標柱、解説版あり
北と東に土塁あり
解説版 木製標柱
土塁跡 たぶん堀跡の道路
凸八木城(秋田県横手市) 14時15分から14時20分
標柱あり
郭跡あり
標柱 郭跡の切岸地形
凸柳田城(秋田県湯沢市) 14時50分から15時00分
石柱あり
郭跡あり
城跡の石柱 郭跡の切岸地形
時刻は未だ午後3時過ぎ。
午後からの天候が懸念されたが、横手盆地では雨に見舞われることなく探訪終了。
途中再び北上市へと立ち寄るというようなプランもあったが、何とはなしにそのまま帰途へとついた。
本日も予定通り概ね10か所近くの城館めぐりを遂行。
帰路東北道で降雨に見舞われるものの正味7時間余りで自宅に到着。
遠征基本計画考案、宿泊手配、食事処選定、事前および現地での資料収集、ナビゲーション等々と多岐にわたりお世話になった史進さんに深謝申し上げます。
今後再び秋田の地を踏めるかどうかは、正しく自分自身の健康寿命次第なのでありました。
1日目に宿泊した北上市のホテル。
料金の高い北上川俯瞰できる東側客室は眺望良好の模様。
一方、格安料金の西側客室から眺める奥羽山脈と北上市街の風景にも味わいも格別。
チェックインの時間がまだ明るかったこともあり、客室から少しずつ暮れなずみやがて漆黒の闇に隠れていく奥羽の山並をしばらくの間眺めておりました。
早朝、東北新幹線の警笛でふと覚醒したものの、熟睡効果も加わり心地よい目覚まし代わりに。
これから赴くはずの横手市方面をじっくりと観察。
今秋の長期遠征にも使えそうなホテルのロケーションに満足。
朝方の曇り空のなか、2日目は午前8時から行動を開始。
凸黒沢尻柵(岩手県北上市) 午前8時10分から8時25分
この後は秋田自動車道経由で横手市内へ移動。
凸平館(秋田県横手市) 午前9時30分から9時50分
市内平城町の共同墓地周辺が城館跡と推定されているが、現状の地形からは往時を窺い知ることは難しい。
山城である横手城築城以前の城郭ともいわれている。
入り口を示す標柱 標柱と案内板
凸横手城(秋田県横手市) 午前10時05分から10時45分
戦国期小野寺氏の本城。
史実に基づかない築50年のコンクリート製の模擬天守ではありますが、半世紀以上の年月を経てきたことから、これ自体が文化財化してきたという印象もあります。
このあと暫時図書館と書店などに立寄り涼をとりつつ、昼食は市内で横手焼きそばを摂取。
凸吉田城(秋田県横手市) 13時20分から13時35分
郭内の一部が墓地となっているものの、良好な土塁、櫓台、空堀が残存している。
凸古館(秋田県横手市) 13時45分から13時50分
無論遺構は無い この水路辺りが北限らしい
凸浅舞館(秋田県横手市) 14時05分から14時15分
頑張る標柱
凸鍋倉城(秋田県横手市) 14時25分から14時45分
標柱が... こういう時の保険代わり
凸今宿館(秋田県横手市) 15時10分から15時25分
近くの学校の風景 たぶんこの辺りが城館跡
凸沼館(秋田県横手市) 15時50分から16時40分
凸七日市城(秋田県横手市) 16時50分から17時00分
凸八柏城(秋田県横手市) 17時05分から17時20分
途中で休憩を兼ねた昼食などの時間を費やしたにもかかわらず、10か所以上を探訪するという結果に満足し、夕食も別の店で「横手焼きそば」摂取。
いくぶん外観の経年劣化が目立つホテルは案に相違してことのほか快適。
心地よい疲労と充実感に包まれ翌日の資料と県別マップルを眺めながら寝落ち。
