本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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「戦国の若狭 人と城」1996年刊行 大森宏/著を入手しました。
決して最新の情報ではありませんが、当時若狭国に所在していた約100か所以上の城館について網羅されおおむね縄張図付で掲載されております。
体は一つしかないので、年内に赴くことは叶いそうにもありませんが、なんとか一年以内には訪れてみたいと思わせる内容です。

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郡山の図書館でコピーしてきた資料が、さきほどやっと残り100枚ほどになりました。
現在までにまとめたファイルは15冊なので約600枚分。
このため従来の保管場所専用棚を整理する必要がでできました。

今回の資料複写で、意外に面白かったものは「郡山の歴史」(新版2014年刊行)、「大槻町の歴史」(2009年刊行)ならびに「富田ふるさと町史」(2004年刊行)の3冊。
とくに「富田ふるさと町史」はかなりマイナーな「向館」をメインに富田氏について掘り下げ、さらには「向館」の絵図(複郭、小規模な町屋も記載)も示し「富田八館」にも言及されています。
冷徹な見方をしてしまえば、やや時代が下った「文禄3年の蒲生氏高目録」では「富田村630石余り」との生産高が記されているように、その当時においては多数の人口を維持できたかどうかについては疑問の余地もありそうです。
その多くは「平地や低丘陵に所在した有力階層の家屋敷のようなもの」として捉えるべきなのかもしれません。
それでもこうした「魅力的な物語としての歴史が伝わっている」という事情に感動を覚えます。

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自宅の二匹の親子ねこは最近は家内の方になついてきました。
テレビのCMではないのですが、先日は子の方の雄猫がドライのウェットの中間のおやつを家内の手から直接食べました。
始めは手のひらをペロペロと舐めて様子を窺っていたのですが、食欲+日頃の信頼関係の相乗効果が功を奏したようです。
もっとも親子といってもすでに11歳と10歳のシニアコンビですが。
自分の健康寿命が次第に平均に迫る昨今、家内の方が5歳年下で平均余命も8歳は違うのでまずはこれで一安心。

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資料整理が2日目に入りました。
ざっと読みこんだり、これに付箋をつけたり、必要に応じてさらにコピーを取ったりとなかなか進みません。
くわえてブログとして今回暫定アップした城館関係記事の追加訂正も行ったりしております。
このため複写資料の山は、いまだに三分の二ほど残っております。
こうなると今週中に終わるのかどうか全く見当がつきません。
あっ、そうだ。
宮城県ではない福島県の方のマイナーな「築館」の縄張図も作成しなくては。
たぶん現時点で作成公開しているケースはなさそうなので。

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郡山遠征のブログ記載が終わり、現在は市立図書館で複写してきたコピーの整理中です。
正確な枚数は不明ですが、多分A3サイズで500枚を遥かに超える分量となっております。
このため最低でも整理作業にあと3日ほどを要することになるはずです。
このためまた暫くの間沈黙の日々が続きます。

次回の遠征は山梨、群馬、静岡、滋賀、大阪のいずれかとなる予定ですが、そろそろいい加減なHP更新もしなければならず、視力の減退に加えて気力の減退と記憶力の減退との格闘になるのかもしれません。

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