本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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先月一週間を要した東北長期遠征では、従来抱えていた厄介な足回りの痛み対策が功を奏したことで、今後の活動見通しがかなり立てやすくなったことも大きな成果でした。
しかしその後しばらくは2000枚近い画像の整理、探訪資料整理などに忙殺されるとともに、ほぼ日中は半端ではない睡魔が襲い爆睡の日々が続いてしまいました。
最初のに三日はそれほどでもありませんでしたが、一週間が経過したあたりからどっと疲れが出てきたようです。
このためこの連休中も行楽などの混雑を避けるべく、自宅に籠りっきりでただひたすら関係資料の整理に追われておりました。
こうして少なくとも奥州市方面再訪の準備だけは整いましたが、その成否は気力と体力+幸運次第化と思う今日この頃です。
しかしその後しばらくは2000枚近い画像の整理、探訪資料整理などに忙殺されるとともに、ほぼ日中は半端ではない睡魔が襲い爆睡の日々が続いてしまいました。
最初のに三日はそれほどでもありませんでしたが、一週間が経過したあたりからどっと疲れが出てきたようです。
このためこの連休中も行楽などの混雑を避けるべく、自宅に籠りっきりでただひたすら関係資料の整理に追われておりました。
こうして少なくとも奥州市方面再訪の準備だけは整いましたが、その成否は気力と体力+幸運次第化と思う今日この頃です。
郡山の図書館でコピーしてきた資料が、さきほどやっと残り100枚ほどになりました。
現在までにまとめたファイルは15冊なので約600枚分。
このため従来の保管場所専用棚を整理する必要がでできました。
今回の資料複写で、意外に面白かったものは「郡山の歴史」(新版2014年刊行)、「大槻町の歴史」(2009年刊行)ならびに「富田ふるさと町史」(2004年刊行)の3冊。
とくに「富田ふるさと町史」はかなりマイナーな「向館」をメインに富田氏について掘り下げ、さらには「向館」の絵図(複郭、小規模な町屋も記載)も示し「富田八館」にも言及されています。
冷徹な見方をしてしまえば、やや時代が下った「文禄3年の蒲生氏高目録」では「富田村630石余り」との生産高が記されているように、その当時においては多数の人口を維持できたかどうかについては疑問の余地もありそうです。
その多くは「平地や低丘陵に所在した有力階層の家屋敷のようなもの」として捉えるべきなのかもしれません。
それでもこうした「魅力的な物語としての歴史が伝わっている」という事情に感動を覚えます。