本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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毎年梅雨時になると聞きたくなる曲のひとつ
韃靼人の踊り(Danças polovetsianas, de 'Príncipe Igor' )/ボロディン作曲
ブラジルピアノ協会 - IPBのYouTubeチャンネルより引用
フェリックス・ブルーメンフェルド編曲/アルトゥール・モレイラ・リマ演奏
約四半世紀前の1999年録音

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住宅建設大手の積水ハウスが建設した10階建ての集合住宅が引き渡し直前になって取り壊しとすることが決定したとのニュースを耳にした

そういえばもう半世紀以上も前のことになるのだが、1969年に自宅が増改築されて2階建てとなった折のことである
自宅2階の自室からは当たり前のように西南方向に夕景の霊峰を眺めることができた
その当時は郊外に立地する戸建住宅の殆どは平屋建て形式が多かったということに起因している

尤もその後暫くしてすぐ近くに2階建てのアパートが建設されてその眺望は遮られることとなった
更に2005年の半ば頃には100mほど離れた個所に高さ約10m程のホームセンターが建設されて南西方向の眺望は完全に失われた
それでも今でも最寄駅からの直線道路からは南西方向に富士山の姿を捉えることができる



■新河岸川左岸から
 300mm望遠使用/2019年12月撮影

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足元のふらつきは3月始めの退院直後くらいの頃は余り実感がなかったように思う
はっきりとその兆候が出始めたのが先月の連休過ぎ頃辺りからだろうか・・・
右足中足骨の痛みのせいで歩行運動を抑制していたことも影響しているのかも知れない
庭の伸び始めた夏草などを片付けるべく作業を始めても、ものの10分も経過しないうちに転倒の危険を感じるほど足元がふらついている
そもそも今日だけではないのだが、現状では連続して3000歩を歩行することが厳しくなっている

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ビゼー作曲のオペラ「真珠採り」の中でも特に著名な「Je crois entendre encore」(耳に残る君の歌声)に嵌り昨日辺りからYouTubeを立て続けに聞いていてなかなか止まらない

楽曲自体は60年以上前から熟知していたものの、今までは主に耳にしていたのは吹奏楽やタンゴあるいはポップス風にアレンジされていたものが多かったのように記憶している

たぶん日本国内では今から60年以上前のタンゴブームが起きた頃、アルフレッドハウゼ楽団演奏の「真珠採りのタンゴ」として演奏されたものの方がよく知られているようにも思える

恥ずかしながらこの年になって、原曲がオペラの楽曲中のアリアであることは知ってはいたが、それがテノールによる独唱として歌われていたことを初めて知ったような次第である

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おもに小学校の低学年の頃はボーイソプラノで歌だけはそれなりに上手かったらしい
しかし習い事などができるような時代背景でもなく楽譜は殆ど読めない
音楽の教師からは地域の合唱団などへの参加を薦められたと記憶

それでも中学の頃には少しだけ努力したらしく、楽譜はそれなりに読めるようになった
すると今度は声変わりで音域が極度に狭くなり1オクターブの音域でさえも出なくなった
半面音感もそれなりにあったことから、より自分の音痴さ加減が気色悪く感じていた

一方で楽典などを含めて音楽の教科書に書かれていることはほとんど覚えていた
このためペーパーテストだけはいつも必ず満点に
従って主要教科2科目分の平均点数を1科目で稼ぎ出していたと記憶している

こういう状態は困ることも少なくない
匿名の形態ではあるが学年上位の成績が廊下の壁などに張り出されると、教科別の得点が明記されるため「音楽」の得点が他教科に比べて突出しているのが目立つので忽ち特定されてしまう

当時担任でもあった音楽の教師からは進路として音楽系の高校等を薦められたが、先行きの問題やピアノ経験も全くなく声帯の音域も狭いことからあっさり断念

尤も高校受験の時には役に立ったようだ
他教科を概ね65点獲得すれば、9教科の合計得点は600点台越えとなり、当時の都立高校入試の合格最低ラインを確保できることになるという算段なのであった

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