本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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HPを行った後、明日は最低でも2か所は訪れるつもりで、じっくりと資料整理などをしているうちにあっという間に時間が過ぎ去りとうとう翌日を迎えてしまったのであります。
こんなことで果たして起床できるかどうかが最初の難関に..トホホ

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早めの夏休みに娘が突然帰宅し、嵐のように去って行ったのはもう20日ほど前のこと。
その後2、3日ほどは食欲が落ちたもののすぐに回復。
しかし、ここにきてこの暑さの影響で2匹ともに明らかに食欲減退気味。

このため昨日は庭に生えていたエノコログサ(別名ネコジャラシ)で構ってみると、予想どおり2匹で横一線に仲良く並んで上方にて蠢くエノコログサを凝視。

その直後にイチゴ(♂2歳3か月、体長50Cm・体重約6kg)が背筋を伸ばして立ち上がり、見事にガブリと食いついたのでありました。
このネコは不思議なことに背筋をピンと伸ばして、妙に姿勢の良い歩き方をする癖があり、後ろ足で立ち上がり背伸びをすると忽ち巨大ネコに変貌いたします。
一方ポミ(♀2歳9か月、体長40Cm弱・体重約3kg、イチゴの母親)は残念ながら小柄で猫背のために全く届かず。

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朝少しだけ早く目覚めたため、何気なく「小川町の歴史」(下巻)を眺めることに。
そこで興味深い事実が二点ほど解明。

ひとつは、腰越城の石灰岩の採掘当時の写真が掲載されていたこと。
大正末か昭和初期の頃のものと思われ、消失した腰越城の南西側の様子と画像の右端には西の郭部分が実に克明に写し出されておりました。

また、八高線の小川町-寄居間の開通とほぼ同時期の大正年間に石灰岩運搬を目的とした貨物線である根古屋線が開業し、根古屋駅-槻川駅-大河駅(大河小学校、大塚八幡神社、大梅寺の北側を迂回)-小川町駅の間を小型SLの貨物列車が運行。

腰越城の採掘現場は間もなく資源の枯渇により廃止され、その後東秩父方面からはリフトを経由して石灰岩・蛇紋岩・木材の運搬などに供されたものの、地元出身の家内の話によれば、昭和30年台末か40年代初め頃に廃線となった由。
走行するSLが小学校の教室からも見えたようで、家内によれば子どもたちがよく手を振っていたとの証言も。
これで奇妙なカーブを描く道路の真相が漸くにして解明。
たまには少しくらい役立ってもらわねば..

もうひとつは大塚八幡神社の寄贈された石柱に刻まれた謎の「緑町」の地名で、名称からして如何にも新しそうなネーミング。
「みどりヶ丘」ならば近年に新しく宅地開発された地名であり、地理的にも明らかに無関係なので大分以前から気になっていたもの。
これもよくよく調べてみれば、昭和6年当時に命名された大字大塚の下に属する行政区名なのでありました。

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誠に古い話で恐縮にございます。
大分以前に高谷砦への登り口を探していたところ謎の洞穴に遭遇したことが。
高谷砦とは明らかに谷の反対側だし、恐らくは戦時中の防空壕跡などであろうか..とそのまま失念。

最近になって、別途の必要にせまられて「小川町町の歴史(下巻)」を何気なく見ていると、ようやくその真相が明らかに。
実は敗色の濃くなった太平洋戦争末期の通称「燕部隊」と呼ばれた第一航空軍の地下軍事施設の入り口であったことが判明。
かくて2年半もの月日を要し「戦争遺跡」の究明に成功..
元い、単に某の不勉強さ加減が暴露されただけのことに過ぎないのであります(大汗)


戦争遺跡
第一航空軍の軍事施設の入り口
2004/12/12 撮影


フルオートのコンパクトデジカメのため当時の画像をこうして眺めると、画像が粗いのがかえって懐かしくさえ感じられたのでありました。
およその位置は高谷砦の谷を挟んだ西側方面とだけ。
多分に酸素不足と崩落の危険性を伴うことから、具体的所在地につきましては非公開とさせていただきます(苦笑)

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昨日までは出かけるべく一応の準備だけは。
然し目的地は県北の河川沿いの水田地帯ゆえに天候不安定のおそれが。
左手首の関節痛も芳しくなく、加えて気温は低いものの湿度は80%以上とのことであっさり断念。

不良在庫の更新ばかりしているのも飽きるので、久々に伸び放題となった庭の草刈りなどを始めることに。
先ずは背丈の高さまで成長してしまったセイタカアワダチソウに狙いをつけ、恰も群がる敵の雑兵の如くに100本ほどをバッタバッタとなで斬りに。

庭の草刈りを半日ほどかけて完璧に行ったのは、もう5年以上も前のことであったかと記憶。
当時と比べて確実に視力が落ちていることと、左右の手の動きのコンビネーションに重大な欠陥を生じていたことを失念。
このため早い話が鎌の刃先が左手の甲と正面衝突。
切ったというよりぶつけたというような感触にて。

さほどの痛みもないことから、あまり気にせずにしばらく残りの草刈りを続けているうち、次第に毛細血管からじわりじわりと出血開始。
中腰の姿勢による腰痛を感じ始めていたので、これ幸いと直ちに作業を中止して傷口の水洗いと消毒を実施。
できたばかりの傷口をよく観察してみると、長さ1センチ程のごく浅い切り傷がくっくりと刻まれておりました。

もはや草刈さえも満足にできないという自分自身に改めて呆れる始末。
加えて切り傷の割には痛みが全く感じられず、高脂血症気味の血液ドロドロ状態のためか出血も遅く..これも歳のせいなのかなどと妙に納得した次第。
慣れぬことはできるだけしないに限るのでありますな。

画像は観葉植物のセントクレアセア・パリダ(別名をパープル・ハートとも)で、昨年の9月に滑川町の城原城の帰りにも観察したことがありますが、小さな可愛らしいピンク色の花を確認できたのはこのときがはじめて。
ツユクサの仲間なので花の印象はムラサキツユクサにも少しだけ似ているような。


セントクレアセア・パリダ
吉祥院のセントクレアセア・パリダ
2007/07/19 撮影

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