本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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プロフィール
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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男性
職業:
定年を過ぎました~
趣味:
「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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最近、ネコの「いちご」が某の右手の甲がいたくお気に入りに。
寝る前に本(口語訳「太平記」)を読んて背いると、顔を擦りつけたり、舌先で舐めまわしたり、甘噛みをしてみたり一頻り遊ぶのが日課のように。
何がそんなに面白いのか理由が分からず。
何とはなしに懐かれているようでもあり、実に不思議な状況。

本日の朝その原因の一端が判明したような。
近頃アキレス腱の付近が張っているため足首用のサポーターを常用。
寝る時には血行不良を防ぐため外すこととしている次第。
何と「いちご」は、外しておいたサポーターにも同じような仕草を。

つまりは悪臭(乃至は加齢臭)に対して反応している模様と推察。
素直に喜ぶべきか、冷静に落ち込むべきか...
出張先の会議中にずっと悩みつづけておりました(苦笑)

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♪♪ 「春がきた、春がき~た、どこにきた~」「腹にきた、足にきた、脳にも~きた」♪♪ 

月曜日の振替休みを先取り。
曇天で春霞の陽気のなか、性懲りもなく群馬遠征の一環で藤岡市南西部の鬼石方面へ。
前日目覚ましは午前6時前にセット。
ところが前日就寝した時間はすでに午前1時過ぎ。
旅行帰りの家内の話を聞いているうちから既に目算に狂いが..

さて、目覚ましはしっかりと午前6時前に電子音を発信。
ふと目覚めたところまでは順調に推移。
しかし脇で「押しくらまんじゅう」状態で気持ちよさそうに微睡んでいる2匹のネコの姿がふと目に入り。
この上なく幸せそうな表情に加えかすかな寝息も耳に入り起こしては気の毒と思い。
少しだけのつもりで2度寝を決め込んだのが間違いのもと。

次に目覚めたのは、すでに午前8時過ぎ。
このような次第で、本日目標4か所の山城探訪には早くも暗雲が漂うことに。
加えて、途中で腹の具合が思わしくなくなり。
現地に到着した時点では正午過ぎとなり、急遽2か所に計画を縮小。
しかも最終的には1か所+アルファに終わり、右足首2回捻挫のおまけつきも(痛!)

昨晩はスタンドの電球が以前から眩しすぎるので、小さめの電球に交換すべく2階から下りた途端に、このことを頭から完全に消失。
しばらく思い出そうとするものの全く記憶が蘇らず。
再び2階へと戻り、しばらくHPの更新作業をしていてようやく思い出すという始末にて。

尾ノ窪城(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午後12時10分から14時30分
途中の未舗装の林道が思いのほかの難路。
オフロード用のモードを使用したのは今回が初めて。
普通車での登攀は常識的に考えると危険かつ無謀。
大型の四駆ならば登攀自体は可能かも。
しかも幅員が3mほどの個所もあり、谷側の路肩は余り強固とはいえない様子。
このため、峠の手前の平坦なスペースで駐車して徒歩にて探索開始。

元々桜山公園へのハイキングルートなので歩く分には極めて快適なルート。
しばらくハイキングコースを西方に進み一旦北側に迂回したあと、ハイキングルートに別れを告げて峠西側の標高409mの平坦な山頂へ。
平坦な山頂を縦断する整備された幅員2.5mほどの道を150mほど南進。
古い轍が残る林道はそのまま山頂の南側で大きく迂回して西方へと続いている模様。

城跡が所在するのは山頂から派生する一番東側の尾根筋の途中のはず。
ここで3千円で購入したスウェーデン製の方位磁石で方向確認。
およその見当をつけて、余り見通しが良いとはいえない杉の植林が残る尾根筋を南下。
もちろん道などは皆無で複数種の有刺植物と藪とのちょっとした攻防は不可避。
このため帰宅後の入浴中に、まじまじと己の手足を眺めると数か所ほどの擦過傷が。

城跡らしき地形は林道から南へ180mほど進んだあたりからようやく出現。
最初は埋もれた堀切状の地形。
次に尾根筋が一度細くなった先で最初の堀切と対面。
すぐに長さ10m足らずの小郭をはさんで主郭手前の大堀切が出現。
主郭側の堀切との比高差は6m近くで60度ほどの傾斜があることから直接這い上がることは困難。
もちろん西側から迂回が可能で探索には支障なし。

主郭の削平はかなり大雑把で平坦な個所はほとんどないような地形。
広さは幅6mから8mで長さ約50mほどの規模。
また主郭の東側には縄張り図には記されていない腰郭状の地形も確認。
堀切は全部で4か所ないし5か所。
そのいずれもが竪堀を伴わず、かつ堀切自体の長さが比較的長いという特徴が。
尾根筋先端の南東部には幾分平地に近い形状の小屋掛けするには適当なスペースが所在。

伝承である平将門の乱の際に追討側の平貞盛が築いたとの説は取りあえずは別にして、尾根筋の途中に築かれていることから南北朝期のものが戦国期に改修されたと考えるのが妥当なところかも知れず。
しかし約300mほどの細長い尾根筋を利用した小規模な山城であるため大勢の入城は難しく、山波川渓谷への侵入を監視するための物見としての役割として捉えるのが相応しい印象かと。

主郭北側の大堀切
主郭北側の大堀切


(仮称)東の峰(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午後14時30分から15時10分
尾ノ久保城の北東に所在する標高415m前後の平坦な山頂。
「三ツ山城の謎」を解明に関わりがあるかも知れないと以前から気にかかっていた場所。
峠部分からの比高差は70メートル前後。
厚曇りの天候のため、この時刻からもう一か所回るには微妙な残り時間。
城郭以降との関連がないことを確認することも必要と屁理屈をこねつつ、枯草と有刺植物に覆われた林道に沿って北側から迂回しつつ登攀。

なお、直登は崩壊中の斜面と藪の状況を見て即座に断念。
林道の途中からは多少の直登を覚悟していたところ、予想に反して林道は次第に高度を上げ山頂方面へと続いている模様。
こうした状況から見る限り、何某かの遺構の存在の可能性は完全に消失。

それでも余りにも不自然に平坦な広大な山頂付近の状況を把握すべく途中から近道をして山頂付近へ接近。
すると人工的な連続した盛り土の形跡が目の前に出現。
外側から見る限り高さ約2m前後で長さは50mほどの規模。
この地形を乗り越えてさらに進むと要するに馬蹄形の盛り土で囲まれた窪地が山頂の北東部に所在していることが判明。
全体としては起伏を伴うものの人工的な平坦地を含む連続した盛り土などが所在していることも確認。

東の峰山頂付近の地形
東の峰山頂付近の地形

林道自体は山頂の1比高差10mほど下方を西側から南側を迂回して東側へと抜けている模様。
このため、山頂付近の地形については産廃の埋め立てなど重機などによる地形の改変とは考えにくく。
ますます謎が深まる地形となってしまったのであります。

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夜遅くに2泊3日のパック旅行から帰宅した家内。
メインは世界遺産の石見銀山。

こちらとしてはどちらかといえば、権益を維持するための周辺の山城の方が好みにて。
ツアーで立ち寄ったあちこちの話題に話を合わせていると、松江にも寄ったとのひとことが..

案の定いやな予感が的中。
昨日は春の雨に出鼻を挫かれたばかりに加え、昨年の姫路城に続き松江城も先を越されたことに。
これで現存天守対局はとうとう2対2に(汗)

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昨夜は翌日の予定に備え午前6時に目覚ましをセットして早めに就寝。
6時前に覚醒したところ、外の様子が異常なほどに暗く。
そうこうしているうちに音を立てて雨が降り出し。
いくらもの好きでもこの雨の中を出掛けるわけには。

漸く雨が上がり始めたのは午前10時半過ぎ。
この時間から出かけても現地到着は午後1時頃。
ただでさえ滑りやすい斜面の枯葉。
めっきりと想像力が欠如した頭でも結果は自ずと明らか。
これ以上、体のあちこちに支障が起きては。
このような次第で本日は涙の足止めに。

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今年度の一般向けの事業が本日で完了。
狭い会場にすし詰め状態での48人の参加は、そのロケーションを考慮すれば集客成果としてはまずまずの合格点かと。
反応もおおむね良好で、今後の運営にひとつの方向性が示されたようにも。
一方で老朽化した諸設備の改善もこの4年間で着実に実現。
合理化の中での生き残り戦略というよりも、地域のニーズに合わせた運営に方針を転換すべき契機としてとらえるべきかとも。

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