本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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男性
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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昨日の月曜日というよりも、本日午前2時30分まで仕事をする羽目に。
結果的に夕食を食べそこない、そのまま深夜に突入。
午前8時30分からは胃カメラの予約が。
このため合計で2食抜きに。

おかげで食道と胃の綺麗なデジタル画像が仕上がることに。
幾分爛れ気味+ポリープ付き食道画像もはっきりと。
検査後に勤務先へ戻り契約の打合せ。
元々有休なので、自宅へ戻る途中に「肉汁うどん大盛」で約24時間ぶりの食事を。
検査先での「脂っこいものは避けるように」とのアドバイスは聞かなかったことに。
ん...こうしてブログに打ち込んでいると如何にも職務に精励しているようにも。

検査の麻酔と睡眠不足のため、ただでさえ冴えない頭。
まさかこの状態で城跡めぐりに出かけるわけにもいかず。
直登はともかくとして、昨年末以来斜面のトラバースに支障をきたしている足首不調の原因を究明することに。
どうも近頃の貧血および軽度の脳血管障害の後遺症がその背景にあるような。
最早受診慣れした感もあるMRI記念撮影をせねば。

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最近、加齢とともに朝の目覚めは早く。
しかし傍らにはネコたちの気持ち良さそうな寝顔が。
このため2度寝してしまうことも珍しくなく。
訪城の予定日当日も例外に非ず。
まさに春暁。

塩沢の砦(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 12時45分から16時00分
寝坊+行楽シーズンの渋滞+圏央道の突貫工事による交通規制。
この結果、往路の所要時間は約3時間半。
かくて登り始めたのは既に12時45分。
それでも日没時間が遅くなり、本日は雨の心配もないのことから最低5時間は行動可能と推定。

山頂への登攀ルートは地形図を見る限りでは、北西、北東、東のおよそ3ヶ所ほどかと。
始めに地元の方に入山の了解をいただき、予め下山ルート1か所を確保。
たまたま伺った方はこの山の所有者なので情報は確実そのもの。
さて、残り2か所は「東側のハイキングルートを南下して途中から鞍部へと登り詰める」ルートがひとつ。
もうひとつは「北西の尾根筋?経由」を想定。
最近楽なところばかりなので、自らの体力を確認する必要も。

塩沢の砦遠望
塩沢の砦遠望

このため敢えて道のなさそうな北西の尾根筋とも呼べないような斜面から直登開始。
比高差約180m、最大斜度45度、危険な岩あり、まともな道なし。
標高1千m前後であれば場合により遭難の危険も。
今回は幸い標高400m未満のため人家も近く..と思ったのがよくある間違いの元。

三波川沿いの行き止まりの林道の途中から斜面を登攀。
予想通り足場が悪く、登りたくとも登れないという事態に直面。
地形図を頼りにひたすら西方へと斜面を移動しつつ登攀ルートを模索。
漸く露岩が目立つ尾根筋状地形に出て九十九折にて直登。
しかし、この時点で最近富に耐久性が欠如しつつある両足首に異変が。
息が切れるのは別にしても、昨年末の三ツ山城に続き足首に全く力が入らない状態に。

北東の急斜面
北東の急斜面

ここで諦めれば、もう山城には登れないと悲壮な覚悟を。
3歩ほど登っては、杉の植林に寄りかかり。
このようにして足首の回復を待つという、誠に情けない動作を幾度となく反復。
尤もこのお蔭で、途中資料の縄張図には示されていない比較的大きな腰郭状地形も確認。

貧血のため、だんだんと遠のきはじめる意識。
それでも次第に高度を上げ、主郭直下に所在する北西の大規模な腰郭下部に到達。
しかし、ここからが腰郭の切岸直登となる最大斜度45度の文字通りの正念場に。
実際に登攀してみて、この方向から攻め上ることの難しさを確認。
最終的に何と約70分を要して登攀完了。
元気な人ならば40分もあれば登れるはずかとも。

さて主郭と腰郭の比高差は約2mほど。
主郭南側には最大高さ1m、延長50mほどの低土塁が南側を中心に現存。
東側には山城では比較的珍しい構堀が南北方向に普請。
ここで暫し昼食タイム。
とはいえ僅かにお握り1個のみという誠にささやかなもの。

北西の腰郭から主郭
北西の腰郭から主郭

主郭からの眺望は西と北にやや開けているものの、全体として余り良好とはいえず。
元来が東側以外はより標高が高い山に囲まれた地形。
その点は清水山城に酷似した立地条件。
山頂自体は東西50m、南北30mと、予想よりも遥かに広く程よく削平。
所有者の方からは平らな場所があるだけとのお話。
当方としてはその平らな場所、並びにこれに付随する凸凹地形に強い関心が。

主郭南側の土塁
主郭南側の土塁

腰郭を含め確認できる遺構はすべて見逃さないようiに、先ずは下山路となる北東尾根筋から探索。
ところが比高差にして約80mほどの急斜面。
さらに体力が喪失するという結果に。
それでも縄張図通りにおよそ5、6か所ほどの大小の腰郭群を確認。

再び斜面を這い上がり、主郭へと戻り南側の稜線鞍部へ。
尾根筋の東側には人工的に削平された形跡のある平場が所在。
さらに少し南へ進むと、一目でそれと分かる堀切状地形が出現。
堀幅は6mから8mほど、長さは15m前後で竪堀は伴わず。
深さは主郭側で3mから4m前後の規模。
尾根続きの鞍部に普請されていることから典型的な堀切遺構と考えて差支えがなさそうかとも。
西側はやや緩斜面となるものの東側は予想以上の急斜面を形成。
ここで東側谷筋からのルートは、尾根筋への取り付きにかなりの困難が伴うことを確認。

南側の堀切
南側の堀切

さて帰路は予定通りご教示いただいた北東の尾根筋から下山し民家背後の社脇へと下山。
所要時間は僅かに25分ほど。
しかし、こちらから登ったとしても当方の現在の体力では1時間近くかかりそうな急斜面が。

北西の尾根筋
北西の尾根筋


枇杷尾根城(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 16時10分から17時15分
本日は天候に恵まれ夕刻になっても西方は晴天のまま。
このため体力的には限りなくゼロに近い状態であるにも拘らず、道路沿いの民家の満開の梅の花を愛でさせていただきながら城跡である廃校となった三波川東小学校へ。
確かに校庭北側の段々畑は城郭関係遺構のようにも見えなくも無く。
しかし後世での地形改変の要素の方が大きいようにも思われるようにも。

満開の梅
満開の梅

その一方で、学校跡の南東方向の尾根筋には2段の腰郭が。
上段部分は学校敷地の造成時に一部改変されている様子が感じられるものの、下段の腰郭は切岸をともなう20m四方の明確な削平地として現存。
加えて西側部分には高さ1m、長さ5mほどの堀上土塁状の地形も確認。

堀上土塁
堀上土塁か



さらにその西側には堀切状地形さえも存在。
夕刻のどさくさに薄暗い斜面を這い上がっただけの甲斐が。

腰郭の間の堀切地形
腰郭の間の堀切状地形

本日は何時にも増して遅い出陣であったにもかかわらず予想外の遺構との遭遇も。
数を稼ぐことは叶わなかったものの、それなりに充実した訪城成果となったのでありました。
春の訪れは思いのほか早く、標高500m未満の山城探訪は今月末頃までが目安のように。

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本日あらためて未更新の城館跡をカウント。
中には昨年の5月分もあり、確実に賞味期限に赤信号が灯り始めた個所も少なくはなく。
内訳は埼玉県内約40ヵ所、群馬県内約20ヵ所、大阪府約10か所など。

現在1か月あたりの更新件数は5件から8件程度が限度。
これに対して訪城件数は、おおむね10件前後。
このため当然の事ながら、不良在庫は確実に累積する一方に。

これに反比例するように訪城の記憶が確実に喪失。
加えて効き目である右目の老眼も確実に進行中。
しかし左目は強度の近眼のまま。
遠近両用、弱めの近視用、近々両用など4種類の眼鏡をかけ替えながらの作業。

それでも液晶ディスプレイは見えない、キーボードも見えない、ついでに左手の指は動かない...
でも城跡にはいきたいし、それなりの記録は残したい...
かくして見事なまでの悪循環の構図が完成しておりまする(苦笑)
そろそろ平井金山と高山城をどうにかせねば...と自らに叱咤激励する意味でブログに書いておかねば。

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毎年春の訪れを告げる辛夷の白い花。
今年は残念ながら昨年に比べると1割にも満たないような蕾の数。
近隣の辛夷も同様で、もしかすると昨年の暖冬の後遺症かとも。

その点ハクモクレン、シデコブシの方は、強風の影響が少なかったために順調に開花。
純白と薄桃色の可憐な花をあと10日から2週間ほど愛でることができそうかと。

シデコブシの花
シデコブシの花

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気がつけばここ数年の間悩まされ続けた花粉症に免疫ができた模様。
杉林の中やその周辺に6時間ほど滞在していたものの花粉症の症状は皆無に近く。

尾ノ窪城(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 午前11時20分から11時30分
先日訪れたときに南側からの遠景を撮影し忘れたこともあり、麓までデジカメ画像撮影のため再訪。
しかしこの日も先日同様の曇天。
堀切や土塁などの地面の凹凸を撮影するには好都合。
その反面、山容などの遠景を撮影するには春霞とも重なって視界は絶不良。
加えて南北に細長い形状の尾根筋のためはっきりと確認できる構図が得られずじまい。
その代わりに、数日の間に梅の花が各所で満開に。

満開の白梅
満開の白梅

真下城(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 午前11時40分から午後15時
昨今は心肺機能の低下が著しく、できるだけ楽な登攀を選択する習性が。
このため東側の尾根筋先端の神社まで車で登ることに。
幸いにして神社の先の送電線の鉄塔の所まで行けたので、比高差で約50mは楽をしたことに。

真下城遠望
真下城遠望

西側の竹林の奥の尾根筋が城跡のはず。
竹林の中に刻まれたV字状の山道は明らかに人工地形の印象。
途中の尾根筋に刻まれた山道も何やら城館との関係を暗示する形状。
一見すると枡形小口のような屈曲した地形、さらに尾根筋を南北方向に横切る堀跡のような山道、南北2段の平場から成る削平地のような地形等が出現。
その判断に戸惑いつつ見通しの全く無い峠道へと到着。

この地点からさらに距離にして100mほど尾根筋を登るとようやく縄張り図に示された地形と対面。
主要な郭は主郭を中心に東西に1か所ずつ並列。
東側の方形の郭は四方が空堀に囲まれた比較的珍しい構造。
加えて南側には規模の大きな2本の竪堀も。
地山の地形を利用した尾根筋を横断するように南北方向に穿たれた見事な2本の堀切は感動的。

西側の堀切
西側の堀切

さてうろうろと遺構全体を巡った所で、いくつかの疑問点が。
まず井戸跡とされる井戸郭の個所が殆ど防御のない城外ともいうべき西の外れに所在していること。
然も南側の尾根筋道経由で麓からは30分ほどで容易に到達できる位置にあること。
要約すれば西側のより標高の高い尾根筋からの攻撃を殆ど想定していないと思われること。
次に、主郭とされる最も規模が大きく標高の高い郭よりも、その東側の郭の方が遥かに複雑かつ堅固な構造を備えていること。

主郭西側の土塁跡
主郭西側の土塁跡


こんなことを考えているうちにあっという間に3時間以上が経過。
日没までの時刻と体力を勘案すると、本日もまた1.5ヶ所という結果に。

尾ノ窪城 午後15時20分から15時50分
午後になり次第に晴天域が広がり、春霞もいくらか希薄に。
再度遠景を撮影すべく、蜜柑畑の林道をロケーションしつつ登ることに。
あらためてじっくりと歩いてみるとそれなりの成果が。
どうにか2ヶ所ほど城跡が所在するはずの尾根筋を遠望できるポイントを発見。
かくしてめでたく蜜柑畑を前景とした何枚かの画像を獲得。

ようやく見つけた「尾ノ窪城」の撮影ポイント
尾ノ窪城遠望


讓原堀ノ内(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 午後16時から16時30分
真下城に関係する居館跡の名残が地名として残るとのこと。
文明元年の紀年銘のある板碑の北側付近が該当地の模様。
山裾には櫓門を備えた旧家が所在。
いまの所では、その旧家と真下城との関係は不明のまま。

堀の内
堀の内

神流川に架かる神川橋の上から、そのうちに訪れる予定の暮れなずむ山谷を眺望。
当面はこのまま西方へと向かう基本方針を確認。
この暖かさで木々の芽吹きがすすみ、植生により異なるものの低山の山城はあと10日間程度。
標高の高い個所を選べば4月上旬くらいまではどうにかなるのかも。

神流渓谷の黄昏
神流渓谷の黄昏

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