数年前に悶絶した体験を持つ内視鏡大腸検査の日。
この日の検査に備えて、2日前から消化の良いものしか食べられず。
されど頻発する立眩みと息切れ症状は、血液検査結果が示すように貧血症状によることはまず間違いのないところ。
さすればその原因を究明せねばならず、先日の胃カメラに続いての検査と相成った次第。
さて予想通り年齢に相応しくポリープは大小合わせて4か所ほど。
しかし、それが貧血の直接要因であるかどうかは不明との診断。
このため別の病院を紹介され、午後からは採血、心臓エコー、心電図、CT撮影と検査尽くめの一日に。
同行した家内からは原因が明確になるまで、当分の間は閉門蟄居せよとの御沙汰有之候(汗)
何と自宅の出発は午前3時50分という快挙達成。
とはいえ、2日後の検査予定に備え大幅な食事制限の真っ最中。
つまり満腹感を伴うような高カロリーの食事は不可という悪条件。
集合場所に到着したのは、約束の15分ほど前の午前5時45分。
予定の午前6時の集合時間までには多少の余裕も。
集合場所である「道の駅おにし」の中をフラフラと散策していると、お馴染みの儀一どのが登場。
すでに史進殿は40分前に到着とのこと。
早い話が呼びかけ人である当方が一番最後の到着であった模様にて。
かくて冒頭より殿を務めることに。
凸諸松城(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午前6時15分から午前9時20分
林道からの登り口について情報不足のため、取敢えず10軒ほどの諸松集落の端よりさらに南西200mほどの地点から城跡が所在する尾根筋目指して比高差30mほどの斜面を攀じ登ってみることに。
勿論、管理人はこの時点から早くも息切れの開始。
城跡南側の尾根筋というだけあり、人工的地形改変の印象のある細長い尾根筋、平場、堀切状地形を拝見することに。
城郭関連遺構に直接結びつくものかどうかは別にして、誠に興味の湧く地形なのでありました。
さて城跡本体のうち、特に主郭の東西方向は切り立った斜面という要害。
また城跡最大の見所は、主郭北側の壮大な二重堀切。
特に主郭側の部分については、現状でも最大約6m前後の深さで攀じ登ることが困難に近い構造。
城跡先端となる北側の尾根筋は三波川への断崖に続く地形。
これほどの堀切を普請する必要があるのかどうかというほどの堅固さ。
地形状の弱点を見出すとすれば、諸松集落が所在する南側の緩斜面付近。
勿論この部分にも堀切、腰郭などが配置され、主郭小口への通路は上方からの横矢掛りも。
壮大な堀切との対面に、一同満ち足りた気持ちのままにて次の目的地へと移動。
凸妹ヶ谷城(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午前10時から午後1時30分
駐車場から不動尊までは、幼児からお年寄りまで歩くことのできる極めて安全な遊歩道。
然し、不動尊本堂の裏側から続く尾根筋を垣間見て全員が薄ら笑いを浮かべる状況に。
方向としては確かに間違いなく、他に迂回できそうなルートも見つからず。
意を決して切り立った岩尾根を攀じ登ること約20分。
到着した尾根筋の先には、何と林道とコンクリートで固められた高さ10mほどの崩落防止壁が出現。
無論迂回すべき道なども無く、谷筋から登れるような地形さえも見当たらず。
100mほど西側の崩落中の林道の先から尾根筋とも呼べないような斜面が。
四肢を駆使して這い上がること約40分(元気なお二人は多分25分ほど)、漸く下段腰郭に到着。
山城について熱く歓談中のお二人差し置いて、忽ち管理人はザックを枕に仰向けに。
下山が、またまた一苦労で。
途中までは、尾根筋沿いに比較的安全に降下可能。
然し比高差残り50mほどは、木の枝にしがみ付きつつ滑り落ちるような下降に。
無論、管理人も当然ながら3mほど滑落しやや右の足首を..
城跡は三波川渓谷の一番奥、東御荷鉾山北東の複雑に分岐する尾根筋の肩に所在。
標高約710m、比高差約210m。
登攀は難路が続くことから、実際にはその数値以上の体力が必要。
北側の通行不能な林道経由、或いは東側の不動沢から同林道を経由したとしても、比高差約100m+平均斜度45度前後の急斜面直登が不可避の城跡。
現在でも難攻不落で、単独ならば林道に出たと同時に、そのままUターンする可能性も濃厚。
使用されていた当時は、今よりも遥かに難攻不落と考えただけでも実に恐ろしげ。
凸飯塚氏屋敷(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午後2時20分から午後2時30分
中世土豪の系譜をひくと思われる旧家。
現住民家のためやや手前の方から拝見を。
稜線南側の削平地にそのまま当時のものではないにしても石垣、櫓門などが配される重厚な屋敷構えに圧倒。
■尾ノ窪城、枇杷尾根城、譲原堀の内(同上) 午後3時から午後5時過ぎ頃まで
何れも今回は再訪の場所。
当初の予定通り、日没時間までには幾分の余裕が。
さりとて残り時間もさることながら、「真下城」「塩沢の砦」へと向かう体力などは既に「妹ヶ谷城」の時点できれいさっぱり消費済。
このため管理人の事情で、余り登らずに一応それなりの遺構と対面できる2個所ほか。
これらを恰も数合わせのように巡回して本日のミニオフを完了せり。
数日前、左足首不調の直接原因が概ね解明。
立眩みを伴う貧血の原因を究明すべく、今月の25日(火曜日)には胃カメラの実施、31日(月)には内視鏡の検査予定というなかでの訪城。
家内からは、常識で考えれば絶対に行く筈が無いとの冷たい一言が。
確かに冷静に考えれば、「無謀」との表現が適切のようで。
そうしたなか集団行動でなければ、ほぼ不可能な山城攻略にも成功。
体力不足のため専ら殿を務める某に、快く同行していただいたお二人に深謝する次第でありまする。
これに続くのが杉山城で約2700アクセス。
一方、これに対して植物図鑑では向日葵、紫陽花の順。
アクセス件数は、ほぼ城館の場合と同様。
毎年5月の連休頃になると、植物関係のアクセスが急増。
向日葵や紫陽花などは、ほんの一時期ながら1日当たりのアクセスが100件を超えた事例も。
城館の場合では、1日当たり50アクセスが最高だったかと。
今年は急増する時期が少しだけ早くなったような。
おそらく城館1ヶ所のHP編集に要した時間は植物図鑑の数倍かと。
現に「平井金山城」は未だに画像の選定作業中。
既に1週間が経過しても、遅々として進捗せず(汗)
一応は「城館サイト」のつもりなので、「植物図鑑」については云わば付録のような存在。
ある意味贅沢悩みともいうべき、こうした衝撃的な逆転現象を目の当たりにしながら、今日もコツコツと城館頁の更新に勤しむのでありました。
結果的に夕食を食べそこない、そのまま深夜に突入。
午前8時30分からは胃カメラの予約が。
このため合計で2食抜きに。
おかげで食道と胃の綺麗なデジタル画像が仕上がることに。
幾分爛れ気味+ポリープ付き食道画像もはっきりと。
検査後に勤務先へ戻り契約の打合せ。
元々有休なので、自宅へ戻る途中に「肉汁うどん大盛」で約24時間ぶりの食事を。
検査先での「脂っこいものは避けるように」とのアドバイスは聞かなかったことに。
ん...こうしてブログに打ち込んでいると如何にも職務に精励しているようにも。
検査の麻酔と睡眠不足のため、ただでさえ冴えない頭。
まさかこの状態で城跡めぐりに出かけるわけにもいかず。
直登はともかくとして、昨年末以来斜面のトラバースに支障をきたしている足首不調の原因を究明することに。
どうも近頃の貧血および軽度の脳血管障害の後遺症がその背景にあるような。
最早受診慣れした感もあるMRI記念撮影をせねば。
最近、加齢とともに朝の目覚めは早く。
しかし傍らにはネコたちの気持ち良さそうな寝顔が。
このため2度寝してしまうことも珍しくなく。
訪城の予定日当日も例外に非ず。
まさに春暁。
凸塩沢の砦(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 12時45分から16時00分
寝坊+行楽シーズンの渋滞+圏央道の突貫工事による交通規制。
この結果、往路の所要時間は約3時間半。
かくて登り始めたのは既に12時45分。
それでも日没時間が遅くなり、本日は雨の心配もないのことから最低5時間は行動可能と推定。
山頂への登攀ルートは地形図を見る限りでは、北西、北東、東のおよそ3ヶ所ほどかと。
始めに地元の方に入山の了解をいただき、予め下山ルート1か所を確保。
たまたま伺った方はこの山の所有者なので情報は確実そのもの。
さて、残り2か所は「東側のハイキングルートを南下して途中から鞍部へと登り詰める」ルートがひとつ。
もうひとつは「北西の尾根筋?経由」を想定。
最近楽なところばかりなので、自らの体力を確認する必要も。
このため敢えて道のなさそうな北西の尾根筋とも呼べないような斜面から直登開始。
比高差約180m、最大斜度45度、危険な岩あり、まともな道なし。
標高1千m前後であれば場合により遭難の危険も。
今回は幸い標高400m未満のため人家も近く..と思ったのがよくある間違いの元。
三波川沿いの行き止まりの林道の途中から斜面を登攀。
予想通り足場が悪く、登りたくとも登れないという事態に直面。
地形図を頼りにひたすら西方へと斜面を移動しつつ登攀ルートを模索。
漸く露岩が目立つ尾根筋状地形に出て九十九折にて直登。
しかし、この時点で最近富に耐久性が欠如しつつある両足首に異変が。
息が切れるのは別にしても、昨年末の三ツ山城に続き足首に全く力が入らない状態に。
ここで諦めれば、もう山城には登れないと悲壮な覚悟を。
3歩ほど登っては、杉の植林に寄りかかり。
このようにして足首の回復を待つという、誠に情けない動作を幾度となく反復。
尤もこのお蔭で、途中資料の縄張図には示されていない比較的大きな腰郭状地形も確認。
貧血のため、だんだんと遠のきはじめる意識。
それでも次第に高度を上げ、主郭直下に所在する北西の大規模な腰郭下部に到達。
しかし、ここからが腰郭の切岸直登となる最大斜度45度の文字通りの正念場に。
実際に登攀してみて、この方向から攻め上ることの難しさを確認。
最終的に何と約70分を要して登攀完了。
元気な人ならば40分もあれば登れるはずかとも。
さて主郭と腰郭の比高差は約2mほど。
主郭南側には最大高さ1m、延長50mほどの低土塁が南側を中心に現存。
東側には山城では比較的珍しい構堀が南北方向に普請。
ここで暫し昼食タイム。
とはいえ僅かにお握り1個のみという誠にささやかなもの。
主郭からの眺望は西と北にやや開けているものの、全体として余り良好とはいえず。
元来が東側以外はより標高が高い山に囲まれた地形。
その点は清水山城に酷似した立地条件。
山頂自体は東西50m、南北30mと、予想よりも遥かに広く程よく削平。
所有者の方からは平らな場所があるだけとのお話。
当方としてはその平らな場所、並びにこれに付随する凸凹地形に強い関心が。
腰郭を含め確認できる遺構はすべて見逃さないようiに、先ずは下山路となる北東尾根筋から探索。
ところが比高差にして約80mほどの急斜面。
さらに体力が喪失するという結果に。
それでも縄張図通りにおよそ5、6か所ほどの大小の腰郭群を確認。
再び斜面を這い上がり、主郭へと戻り南側の稜線鞍部へ。
尾根筋の東側には人工的に削平された形跡のある平場が所在。
さらに少し南へ進むと、一目でそれと分かる堀切状地形が出現。
堀幅は6mから8mほど、長さは15m前後で竪堀は伴わず。
深さは主郭側で3mから4m前後の規模。
尾根続きの鞍部に普請されていることから典型的な堀切遺構と考えて差支えがなさそうかとも。
西側はやや緩斜面となるものの東側は予想以上の急斜面を形成。
ここで東側谷筋からのルートは、尾根筋への取り付きにかなりの困難が伴うことを確認。
さて帰路は予定通りご教示いただいた北東の尾根筋から下山し民家背後の社脇へと下山。
所要時間は僅かに25分ほど。
しかし、こちらから登ったとしても当方の現在の体力では1時間近くかかりそうな急斜面が。
凸枇杷尾根城(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 16時10分から17時15分
本日は天候に恵まれ夕刻になっても西方は晴天のまま。
このため体力的には限りなくゼロに近い状態であるにも拘らず、道路沿いの民家の満開の梅の花を愛でさせていただきながら城跡である廃校となった三波川東小学校へ。
確かに校庭北側の段々畑は城郭関係遺構のようにも見えなくも無く。
しかし後世での地形改変の要素の方が大きいようにも思われるようにも。
その一方で、学校跡の南東方向の尾根筋には2段の腰郭が。
上段部分は学校敷地の造成時に一部改変されている様子が感じられるものの、下段の腰郭は切岸をともなう20m四方の明確な削平地として現存。
加えて西側部分には高さ1m、長さ5mほどの堀上土塁状の地形も確認。
さらにその西側には堀切状地形さえも存在。
夕刻のどさくさに薄暗い斜面を這い上がっただけの甲斐が。
本日は何時にも増して遅い出陣であったにもかかわらず予想外の遺構との遭遇も。
数を稼ぐことは叶わなかったものの、それなりに充実した訪城成果となったのでありました。
春の訪れは思いのほか早く、標高500m未満の山城探訪は今月末頃までが目安のように。