本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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本日は朝から雨模様のため外出はできず、まさに絶好の検査日和..である訳などなく。
数年前に悶絶した体験を持つ内視鏡大腸検査の日。
この日の検査に備えて、2日前から消化の良いものしか食べられず。
されど頻発する立眩みと息切れ症状は、血液検査結果が示すように貧血症状によることはまず間違いのないところ。
さすればその原因を究明せねばならず、先日の胃カメラに続いての検査と相成った次第。
さて予想通り年齢に相応しくポリープは大小合わせて4か所ほど。
しかし、それが貧血の直接要因であるかどうかは不明との診断。
このため別の病院を紹介され、午後からは採血、心臓エコー、心電図、CT撮影と検査尽くめの一日に。
同行した家内からは原因が明確になるまで、当分の間は閉門蟄居せよとの御沙汰有之候(汗)
数年前に悶絶した体験を持つ内視鏡大腸検査の日。
この日の検査に備えて、2日前から消化の良いものしか食べられず。
されど頻発する立眩みと息切れ症状は、血液検査結果が示すように貧血症状によることはまず間違いのないところ。
さすればその原因を究明せねばならず、先日の胃カメラに続いての検査と相成った次第。
さて予想通り年齢に相応しくポリープは大小合わせて4か所ほど。
しかし、それが貧血の直接要因であるかどうかは不明との診断。
このため別の病院を紹介され、午後からは採血、心臓エコー、心電図、CT撮影と検査尽くめの一日に。
同行した家内からは原因が明確になるまで、当分の間は閉門蟄居せよとの御沙汰有之候(汗)
本日は単独の時では、先ず想像もできない早朝よりの行動。
何と自宅の出発は午前3時50分という快挙達成。
とはいえ、2日後の検査予定に備え大幅な食事制限の真っ最中。
つまり満腹感を伴うような高カロリーの食事は不可という悪条件。
集合場所に到着したのは、約束の15分ほど前の午前5時45分。
予定の午前6時の集合時間までには多少の余裕も。
集合場所である「道の駅おにし」の中をフラフラと散策していると、お馴染みの儀一どのが登場。
すでに史進殿は40分前に到着とのこと。
早い話が呼びかけ人である当方が一番最後の到着であった模様にて。
かくて冒頭より殿を務めることに。
凸諸松城(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午前6時15分から午前9時20分
林道からの登り口について情報不足のため、取敢えず10軒ほどの諸松集落の端よりさらに南西200mほどの地点から城跡が所在する尾根筋目指して比高差30mほどの斜面を攀じ登ってみることに。
勿論、管理人はこの時点から早くも息切れの開始。
城跡南側の尾根筋というだけあり、人工的地形改変の印象のある細長い尾根筋、平場、堀切状地形を拝見することに。
城郭関連遺構に直接結びつくものかどうかは別にして、誠に興味の湧く地形なのでありました。
さて城跡本体のうち、特に主郭の東西方向は切り立った斜面という要害。
また城跡最大の見所は、主郭北側の壮大な二重堀切。
特に主郭側の部分については、現状でも最大約6m前後の深さで攀じ登ることが困難に近い構造。
城跡先端となる北側の尾根筋は三波川への断崖に続く地形。
これほどの堀切を普請する必要があるのかどうかというほどの堅固さ。
地形状の弱点を見出すとすれば、諸松集落が所在する南側の緩斜面付近。
勿論この部分にも堀切、腰郭などが配置され、主郭小口への通路は上方からの横矢掛りも。
壮大な堀切との対面に、一同満ち足りた気持ちのままにて次の目的地へと移動。
凸妹ヶ谷城(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午前10時から午後1時30分
駐車場から不動尊までは、幼児からお年寄りまで歩くことのできる極めて安全な遊歩道。
然し、不動尊本堂の裏側から続く尾根筋を垣間見て全員が薄ら笑いを浮かべる状況に。
方向としては確かに間違いなく、他に迂回できそうなルートも見つからず。
意を決して切り立った岩尾根を攀じ登ること約20分。
到着した尾根筋の先には、何と林道とコンクリートで固められた高さ10mほどの崩落防止壁が出現。
無論迂回すべき道なども無く、谷筋から登れるような地形さえも見当たらず。
100mほど西側の崩落中の林道の先から尾根筋とも呼べないような斜面が。
四肢を駆使して這い上がること約40分(元気なお二人は多分25分ほど)、漸く下段腰郭に到着。
山城について熱く歓談中のお二人差し置いて、忽ち管理人はザックを枕に仰向けに。
下山が、またまた一苦労で。
途中までは、尾根筋沿いに比較的安全に降下可能。
然し比高差残り50mほどは、木の枝にしがみ付きつつ滑り落ちるような下降に。
無論、管理人も当然ながら3mほど滑落しやや右の足首を..
城跡は三波川渓谷の一番奥、東御荷鉾山北東の複雑に分岐する尾根筋の肩に所在。
標高約710m、比高差約210m。
登攀は難路が続くことから、実際にはその数値以上の体力が必要。
北側の通行不能な林道経由、或いは東側の不動沢から同林道を経由したとしても、比高差約100m+平均斜度45度前後の急斜面直登が不可避の城跡。
現在でも難攻不落で、単独ならば林道に出たと同時に、そのままUターンする可能性も濃厚。
使用されていた当時は、今よりも遥かに難攻不落と考えただけでも実に恐ろしげ。
凸飯塚氏屋敷(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午後2時20分から午後2時30分
中世土豪の系譜をひくと思われる旧家。
現住民家のためやや手前の方から拝見を。
稜線南側の削平地にそのまま当時のものではないにしても石垣、櫓門などが配される重厚な屋敷構えに圧倒。
■尾ノ窪城、枇杷尾根城、譲原堀の内(同上) 午後3時から午後5時過ぎ頃まで
何れも今回は再訪の場所。
当初の予定通り、日没時間までには幾分の余裕が。
さりとて残り時間もさることながら、「真下城」「塩沢の砦」へと向かう体力などは既に「妹ヶ谷城」の時点できれいさっぱり消費済。
このため管理人の事情で、余り登らずに一応それなりの遺構と対面できる2個所ほか。
これらを恰も数合わせのように巡回して本日のミニオフを完了せり。
数日前、左足首不調の直接原因が概ね解明。
立眩みを伴う貧血の原因を究明すべく、今月の25日(火曜日)には胃カメラの実施、31日(月)には内視鏡の検査予定というなかでの訪城。
家内からは、常識で考えれば絶対に行く筈が無いとの冷たい一言が。
確かに冷静に考えれば、「無謀」との表現が適切のようで。
そうしたなか集団行動でなければ、ほぼ不可能な山城攻略にも成功。
体力不足のため専ら殿を務める某に、快く同行していただいたお二人に深謝する次第でありまする。
何と自宅の出発は午前3時50分という快挙達成。
とはいえ、2日後の検査予定に備え大幅な食事制限の真っ最中。
つまり満腹感を伴うような高カロリーの食事は不可という悪条件。
集合場所に到着したのは、約束の15分ほど前の午前5時45分。
予定の午前6時の集合時間までには多少の余裕も。
集合場所である「道の駅おにし」の中をフラフラと散策していると、お馴染みの儀一どのが登場。
すでに史進殿は40分前に到着とのこと。
早い話が呼びかけ人である当方が一番最後の到着であった模様にて。
かくて冒頭より殿を務めることに。
凸諸松城(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午前6時15分から午前9時20分
林道からの登り口について情報不足のため、取敢えず10軒ほどの諸松集落の端よりさらに南西200mほどの地点から城跡が所在する尾根筋目指して比高差30mほどの斜面を攀じ登ってみることに。
勿論、管理人はこの時点から早くも息切れの開始。
城跡南側の尾根筋というだけあり、人工的地形改変の印象のある細長い尾根筋、平場、堀切状地形を拝見することに。
城郭関連遺構に直接結びつくものかどうかは別にして、誠に興味の湧く地形なのでありました。
さて城跡本体のうち、特に主郭の東西方向は切り立った斜面という要害。
また城跡最大の見所は、主郭北側の壮大な二重堀切。
特に主郭側の部分については、現状でも最大約6m前後の深さで攀じ登ることが困難に近い構造。
城跡先端となる北側の尾根筋は三波川への断崖に続く地形。
これほどの堀切を普請する必要があるのかどうかというほどの堅固さ。
地形状の弱点を見出すとすれば、諸松集落が所在する南側の緩斜面付近。
勿論この部分にも堀切、腰郭などが配置され、主郭小口への通路は上方からの横矢掛りも。
壮大な堀切との対面に、一同満ち足りた気持ちのままにて次の目的地へと移動。
凸妹ヶ谷城(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午前10時から午後1時30分
駐車場から不動尊までは、幼児からお年寄りまで歩くことのできる極めて安全な遊歩道。
然し、不動尊本堂の裏側から続く尾根筋を垣間見て全員が薄ら笑いを浮かべる状況に。
方向としては確かに間違いなく、他に迂回できそうなルートも見つからず。
意を決して切り立った岩尾根を攀じ登ること約20分。
到着した尾根筋の先には、何と林道とコンクリートで固められた高さ10mほどの崩落防止壁が出現。
無論迂回すべき道なども無く、谷筋から登れるような地形さえも見当たらず。
100mほど西側の崩落中の林道の先から尾根筋とも呼べないような斜面が。
四肢を駆使して這い上がること約40分(元気なお二人は多分25分ほど)、漸く下段腰郭に到着。
山城について熱く歓談中のお二人差し置いて、忽ち管理人はザックを枕に仰向けに。
下山が、またまた一苦労で。
途中までは、尾根筋沿いに比較的安全に降下可能。
然し比高差残り50mほどは、木の枝にしがみ付きつつ滑り落ちるような下降に。
無論、管理人も当然ながら3mほど滑落しやや右の足首を..
城跡は三波川渓谷の一番奥、東御荷鉾山北東の複雑に分岐する尾根筋の肩に所在。
標高約710m、比高差約210m。
登攀は難路が続くことから、実際にはその数値以上の体力が必要。
北側の通行不能な林道経由、或いは東側の不動沢から同林道を経由したとしても、比高差約100m+平均斜度45度前後の急斜面直登が不可避の城跡。
現在でも難攻不落で、単独ならば林道に出たと同時に、そのままUターンする可能性も濃厚。
使用されていた当時は、今よりも遥かに難攻不落と考えただけでも実に恐ろしげ。
凸飯塚氏屋敷(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午後2時20分から午後2時30分
中世土豪の系譜をひくと思われる旧家。
現住民家のためやや手前の方から拝見を。
稜線南側の削平地にそのまま当時のものではないにしても石垣、櫓門などが配される重厚な屋敷構えに圧倒。
■尾ノ窪城、枇杷尾根城、譲原堀の内(同上) 午後3時から午後5時過ぎ頃まで
何れも今回は再訪の場所。
当初の予定通り、日没時間までには幾分の余裕が。
さりとて残り時間もさることながら、「真下城」「塩沢の砦」へと向かう体力などは既に「妹ヶ谷城」の時点できれいさっぱり消費済。
このため管理人の事情で、余り登らずに一応それなりの遺構と対面できる2個所ほか。
これらを恰も数合わせのように巡回して本日のミニオフを完了せり。
数日前、左足首不調の直接原因が概ね解明。
立眩みを伴う貧血の原因を究明すべく、今月の25日(火曜日)には胃カメラの実施、31日(月)には内視鏡の検査予定というなかでの訪城。
家内からは、常識で考えれば絶対に行く筈が無いとの冷たい一言が。
確かに冷静に考えれば、「無謀」との表現が適切のようで。
そうしたなか集団行動でなければ、ほぼ不可能な山城攻略にも成功。
体力不足のため専ら殿を務める某に、快く同行していただいたお二人に深謝する次第でありまする。
城館の中で最もアクセスの多いのが国史跡の鉢形城で累計にして約3千アクセス。
これに続くのが杉山城で約2700アクセス。
一方、これに対して植物図鑑では向日葵、紫陽花の順。
アクセス件数は、ほぼ城館の場合と同様。
毎年5月の連休頃になると、植物関係のアクセスが急増。
向日葵や紫陽花などは、ほんの一時期ながら1日当たりのアクセスが100件を超えた事例も。
城館の場合では、1日当たり50アクセスが最高だったかと。
今年は急増する時期が少しだけ早くなったような。
おそらく城館1ヶ所のHP編集に要した時間は植物図鑑の数倍かと。
現に「平井金山城」は未だに画像の選定作業中。
既に1週間が経過しても、遅々として進捗せず(汗)
一応は「城館サイト」のつもりなので、「植物図鑑」については云わば付録のような存在。
ある意味贅沢悩みともいうべき、こうした衝撃的な逆転現象を目の当たりにしながら、今日もコツコツと城館頁の更新に勤しむのでありました。
これに続くのが杉山城で約2700アクセス。
一方、これに対して植物図鑑では向日葵、紫陽花の順。
アクセス件数は、ほぼ城館の場合と同様。
毎年5月の連休頃になると、植物関係のアクセスが急増。
向日葵や紫陽花などは、ほんの一時期ながら1日当たりのアクセスが100件を超えた事例も。
城館の場合では、1日当たり50アクセスが最高だったかと。
今年は急増する時期が少しだけ早くなったような。
おそらく城館1ヶ所のHP編集に要した時間は植物図鑑の数倍かと。
現に「平井金山城」は未だに画像の選定作業中。
既に1週間が経過しても、遅々として進捗せず(汗)
一応は「城館サイト」のつもりなので、「植物図鑑」については云わば付録のような存在。
ある意味贅沢悩みともいうべき、こうした衝撃的な逆転現象を目の当たりにしながら、今日もコツコツと城館頁の更新に勤しむのでありました。