本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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本日は5時起床。
目覚ましの鳴る前に2匹のネコたちに起こされ既に覚醒。
日の出前の午前6時、モナー殿と本川越で待ち合わせ。
その後は、一路合流地点に設定した秩父市(旧吉田町)「道の駅龍勢会館」へ。
その少し手前で朝食確保のためコンビニへ。
そこの駐車場にて奇しくも史進殿にパッタリ。
日曜日とはいえ厳寒季早朝の道路事情はガラガラ。
かくて幸先よく、この時点でスケジュールは1時間の前倒しに。
凸寺山砦、天徳寺(旧吉田町)午前8時から午前9時30分
3年前の目印の黄色いテープは未だ現存(嬉)
謎の平場も健在。
尾根筋は植林間伐で少しだけ歩きにくくなったのかも。
郭の規模に比して異常に大き過ぎる2重堀切も現存。
日当たりのよい南端の腰郭にてコンビニで購入した小さな稲荷ずしの各1の配給。
この場所から無理すれば降りられなくもないような。
無論、滑落・転倒2回+荊による負傷程度は不可避かと推察。
1か所目ということもあり、管理人含めて賛同者は出現せず安全に往路にて帰還。
凸竜ヶ谷城(旧吉田町)午前9時45分から午前11時
予定通り南東の給水タンクの個所から尾根筋を直登。
伐採されたばかりの3年前に比べて幾分木々が成長。
このルートもあと数年経過するとかなり分かりにくくなる可能性も。
尤も北側の舗装された林道から降りてくれば比高差は限りなくゼロには違いなく。
「吉田の楯」の比定地としては、普請、縄張りの完成度にやや疑問が残るという感想は衆議一致の模様かとも。
ここでまた、荷物の軽量化と小腹の足しにコンビニのハム野菜サンド各1枚などが配給。
凸秩父氏館(旧吉田町)午前11時10分から午前11時30分
始めに南側の対岸から台地を眺望して地形の概要を把握。
続いて小学校などの敷地となっている城館跡へ。
不審者と間違われないように笑顔で説明坂を拝見。
凸小暮城(旧吉田町)午前11時45分から午前12時30分
今回が3度目の管理人。
郭内は藪に覆われイバラと湿地帯(池)のトラップも各所に。
このため郭内東側は未踏のまま。
衆議の結果、全員一致で直進藪潜り探検隊に変身。
行く手をふさぐ倒木、枯枝、体に絡み付く蔓などと激闘。
この結果通常ではなかなか拝見できない高さ2メートル前後の土塁遺構ともご対面に成功。
池ポチャを避けるべく、土塁上を東へと移動。
ほどなく元の通路へとどうにか無事に到達。
ただし、管理人は枯枝と額が少しだけ接触(痛)
この際ついでに、搦め手と思われる東側の踏跡を降下。
小口状地形、麓の井戸跡と石塁らしき地形などを確認。
凸奈倉館(小鹿野町)午後12時45分から午後13時10分
川沿いに石塁が残る館跡。
昨年の春に建てられた館跡であることを示す木柱。
この時間帯しだいに雲が厚くなり始め、そのうち両神山方面は完全に雪雲の中。
平地でも白いものがちらほらと舞うような天候に変貌。
(昼食) 「わらじかつ丼」 ⇒ これはまさしく超お値打ち価格!
カツ2枚+味噌汁ほか2品付でたったの800円!
国道299号線埼玉県秩父郡小鹿野町泉田交差点北東角
店名は「元六」、駐車場約20台、本来は「蕎麦、うどん」がメインメニュー
凸比丘尼城(旧吉田町)午後14時10分から14時15分
メンバー全員が高カロリー食品を摂取したところで、崩落の跡さえ垣間見える完璧な絶壁見学へ。
眼前に聳え立つ余りにも険阻な光景。
些か力なくニヤニヤしてただひたすらデジカメ撮影に熱中する挙動不審者の集団。
もちろん「ただ見てるだけ」の予定行動にて。
それでも、日常生活ではあまり縁のない「生命の危機」という概念が各人の脳裏を悪夢の如く去来したのかも知れず...無論かなりの確率で生命保険免責に相違なく。
凸田村屋敷(秩父市)午後14時30分
以前仲良くなった白黒プチの雄猫の姿は見えず。
民家脇の土塁跡は3年前とほぼ同様に健在。
凸萩平の遺構(秩父市)午後15時から午後15時20分
日没までの残り時間を計算。
通り道のため、やや城郭とは断定しづらい趣も漂う荒川左岸の謎の遺構にも立ち寄ることに。
凸諏訪城(秩父市)午後15時40分から16時40分
まずは遠景撮影ポイントの荒川に架かる和銅大橋上から眺望。
諏訪城北側の先端部同様に、大型車の通行の度にこの橋もよく動揺。
土塁推定遺構の一部を現在掘削中という衝撃的な光景を目撃しやや心が動揺。
予定どおり先端部にてのジャンプ。
無謀なる体験者2名は確実に身も心も動揺。
ジャンプなどしなくとも先端部は強風を受けて微妙に動揺。
おまけに諏訪城西側の「諏訪城まがい」へ。
このあとさらに荒川右岸の河原へと降下。
残雪と氷が混じった浅瀬から諏訪城の景観を暫し堪能。
(本日の打上げ)⇒千馬山城のシルエットが望める皆野町のガストにてパフェを貪り喰う正体不明の男3人
本日は季節柄寒いことだけは確実な気象条件。
路面凍結も危惧される道路事情。
行先は管理人としてはすべて再訪。
何よりも日増しに衰えを感じる己の体力。
できれば比高差が少なく、それでいて秩父方面の山城に行ったという感触を共有したいとの密かな目論見も。
このような管理人のプランにも拘わらず、快くご賛同いただいたモナー殿、史進殿のお二人に心より感謝m(__)m
目覚ましの鳴る前に2匹のネコたちに起こされ既に覚醒。
日の出前の午前6時、モナー殿と本川越で待ち合わせ。
その後は、一路合流地点に設定した秩父市(旧吉田町)「道の駅龍勢会館」へ。
その少し手前で朝食確保のためコンビニへ。
そこの駐車場にて奇しくも史進殿にパッタリ。
日曜日とはいえ厳寒季早朝の道路事情はガラガラ。
かくて幸先よく、この時点でスケジュールは1時間の前倒しに。
凸寺山砦、天徳寺(旧吉田町)午前8時から午前9時30分
3年前の目印の黄色いテープは未だ現存(嬉)
謎の平場も健在。
尾根筋は植林間伐で少しだけ歩きにくくなったのかも。
郭の規模に比して異常に大き過ぎる2重堀切も現存。
日当たりのよい南端の腰郭にてコンビニで購入した小さな稲荷ずしの各1の配給。
この場所から無理すれば降りられなくもないような。
無論、滑落・転倒2回+荊による負傷程度は不可避かと推察。
1か所目ということもあり、管理人含めて賛同者は出現せず安全に往路にて帰還。
凸竜ヶ谷城(旧吉田町)午前9時45分から午前11時
予定通り南東の給水タンクの個所から尾根筋を直登。
伐採されたばかりの3年前に比べて幾分木々が成長。
このルートもあと数年経過するとかなり分かりにくくなる可能性も。
尤も北側の舗装された林道から降りてくれば比高差は限りなくゼロには違いなく。
「吉田の楯」の比定地としては、普請、縄張りの完成度にやや疑問が残るという感想は衆議一致の模様かとも。
ここでまた、荷物の軽量化と小腹の足しにコンビニのハム野菜サンド各1枚などが配給。
凸秩父氏館(旧吉田町)午前11時10分から午前11時30分
始めに南側の対岸から台地を眺望して地形の概要を把握。
続いて小学校などの敷地となっている城館跡へ。
不審者と間違われないように笑顔で説明坂を拝見。
凸小暮城(旧吉田町)午前11時45分から午前12時30分
今回が3度目の管理人。
郭内は藪に覆われイバラと湿地帯(池)のトラップも各所に。
このため郭内東側は未踏のまま。
衆議の結果、全員一致で直進藪潜り探検隊に変身。
行く手をふさぐ倒木、枯枝、体に絡み付く蔓などと激闘。
この結果通常ではなかなか拝見できない高さ2メートル前後の土塁遺構ともご対面に成功。
池ポチャを避けるべく、土塁上を東へと移動。
ほどなく元の通路へとどうにか無事に到達。
ただし、管理人は枯枝と額が少しだけ接触(痛)
この際ついでに、搦め手と思われる東側の踏跡を降下。
小口状地形、麓の井戸跡と石塁らしき地形などを確認。
凸奈倉館(小鹿野町)午後12時45分から午後13時10分
川沿いに石塁が残る館跡。
昨年の春に建てられた館跡であることを示す木柱。
この時間帯しだいに雲が厚くなり始め、そのうち両神山方面は完全に雪雲の中。
平地でも白いものがちらほらと舞うような天候に変貌。
(昼食) 「わらじかつ丼」 ⇒ これはまさしく超お値打ち価格!
カツ2枚+味噌汁ほか2品付でたったの800円!
国道299号線埼玉県秩父郡小鹿野町泉田交差点北東角
店名は「元六」、駐車場約20台、本来は「蕎麦、うどん」がメインメニュー
凸比丘尼城(旧吉田町)午後14時10分から14時15分
メンバー全員が高カロリー食品を摂取したところで、崩落の跡さえ垣間見える完璧な絶壁見学へ。
眼前に聳え立つ余りにも険阻な光景。
些か力なくニヤニヤしてただひたすらデジカメ撮影に熱中する挙動不審者の集団。
もちろん「ただ見てるだけ」の予定行動にて。
それでも、日常生活ではあまり縁のない「生命の危機」という概念が各人の脳裏を悪夢の如く去来したのかも知れず...無論かなりの確率で生命保険免責に相違なく。
凸田村屋敷(秩父市)午後14時30分
以前仲良くなった白黒プチの雄猫の姿は見えず。
民家脇の土塁跡は3年前とほぼ同様に健在。
凸萩平の遺構(秩父市)午後15時から午後15時20分
日没までの残り時間を計算。
通り道のため、やや城郭とは断定しづらい趣も漂う荒川左岸の謎の遺構にも立ち寄ることに。
凸諏訪城(秩父市)午後15時40分から16時40分
まずは遠景撮影ポイントの荒川に架かる和銅大橋上から眺望。
諏訪城北側の先端部同様に、大型車の通行の度にこの橋もよく動揺。
土塁推定遺構の一部を現在掘削中という衝撃的な光景を目撃しやや心が動揺。
予定どおり先端部にてのジャンプ。
無謀なる体験者2名は確実に身も心も動揺。
ジャンプなどしなくとも先端部は強風を受けて微妙に動揺。
おまけに諏訪城西側の「諏訪城まがい」へ。
このあとさらに荒川右岸の河原へと降下。
残雪と氷が混じった浅瀬から諏訪城の景観を暫し堪能。
(本日の打上げ)⇒千馬山城のシルエットが望める皆野町のガストにてパフェを貪り喰う正体不明の男3人
本日は季節柄寒いことだけは確実な気象条件。
路面凍結も危惧される道路事情。
行先は管理人としてはすべて再訪。
何よりも日増しに衰えを感じる己の体力。
できれば比高差が少なく、それでいて秩父方面の山城に行ったという感触を共有したいとの密かな目論見も。
このような管理人のプランにも拘わらず、快くご賛同いただいたモナー殿、史進殿のお二人に心より感謝m(__)m
昨日の土曜日は久しぶりにコンサートを聞きに市ヶ谷まで。
ところが夕刻から次第に雪がちらつき始め。
帰りの足の確保と本日の仕事の関係で、次第に近づく春の訪れを体感させてくれたコンサートの余韻に浸る間もなくアンコールを待たずにとんぼ返り。
一時は雪の積もり方次第では、勤務先での泊まり込みさえも想定。
このため車には寝袋が常備。
幸い午後11時過ぎには雪もやみはじめ、自宅付近の積雪は最大でも6センチ程度。
こんなことなら最後まで会場にいればよかったなどと思っても後の祭り。
しかし本日の雪かき作業はスーパーハード。
人力1名で約500平方メートルを90分で片付け完了。
尤も積雪は僅か5センチ足らずのベタ雪。
それでもまだまだその気になれば何とかできるものだと感心する一方で、先週の雪かきで痛めた右肘に加えて腰痛の危機がじわじわと迫り来るのでありました。
ところが夕刻から次第に雪がちらつき始め。
帰りの足の確保と本日の仕事の関係で、次第に近づく春の訪れを体感させてくれたコンサートの余韻に浸る間もなくアンコールを待たずにとんぼ返り。
一時は雪の積もり方次第では、勤務先での泊まり込みさえも想定。
このため車には寝袋が常備。
幸い午後11時過ぎには雪もやみはじめ、自宅付近の積雪は最大でも6センチ程度。
こんなことなら最後まで会場にいればよかったなどと思っても後の祭り。
しかし本日の雪かき作業はスーパーハード。
人力1名で約500平方メートルを90分で片付け完了。
尤も積雪は僅か5センチ足らずのベタ雪。
それでもまだまだその気になれば何とかできるものだと感心する一方で、先週の雪かきで痛めた右肘に加えて腰痛の危機がじわじわと迫り来るのでありました。