本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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本日あらためて未更新の城館跡をカウント。
中には昨年の5月分もあり、確実に賞味期限に赤信号が灯り始めた個所も少なくはなく。
内訳は埼玉県内約40ヵ所、群馬県内約20ヵ所、大阪府約10か所など。

現在1か月あたりの更新件数は5件から8件程度が限度。
これに対して訪城件数は、おおむね10件前後。
このため当然の事ながら、不良在庫は確実に累積する一方に。

これに反比例するように訪城の記憶が確実に喪失。
加えて効き目である右目の老眼も確実に進行中。
しかし左目は強度の近眼のまま。
遠近両用、弱めの近視用、近々両用など4種類の眼鏡をかけ替えながらの作業。

それでも液晶ディスプレイは見えない、キーボードも見えない、ついでに左手の指は動かない...
でも城跡にはいきたいし、それなりの記録は残したい...
かくして見事なまでの悪循環の構図が完成しておりまする(苦笑)
そろそろ平井金山と高山城をどうにかせねば...と自らに叱咤激励する意味でブログに書いておかねば。

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毎年春の訪れを告げる辛夷の白い花。
今年は残念ながら昨年に比べると1割にも満たないような蕾の数。
近隣の辛夷も同様で、もしかすると昨年の暖冬の後遺症かとも。

その点ハクモクレン、シデコブシの方は、強風の影響が少なかったために順調に開花。
純白と薄桃色の可憐な花をあと10日から2週間ほど愛でることができそうかと。

シデコブシの花
シデコブシの花

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気がつけばここ数年の間悩まされ続けた花粉症に免疫ができた模様。
杉林の中やその周辺に6時間ほど滞在していたものの花粉症の症状は皆無に近く。

尾ノ窪城(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 午前11時20分から11時30分
先日訪れたときに南側からの遠景を撮影し忘れたこともあり、麓までデジカメ画像撮影のため再訪。
しかしこの日も先日同様の曇天。
堀切や土塁などの地面の凹凸を撮影するには好都合。
その反面、山容などの遠景を撮影するには春霞とも重なって視界は絶不良。
加えて南北に細長い形状の尾根筋のためはっきりと確認できる構図が得られずじまい。
その代わりに、数日の間に梅の花が各所で満開に。

満開の白梅
満開の白梅

真下城(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 午前11時40分から午後15時
昨今は心肺機能の低下が著しく、できるだけ楽な登攀を選択する習性が。
このため東側の尾根筋先端の神社まで車で登ることに。
幸いにして神社の先の送電線の鉄塔の所まで行けたので、比高差で約50mは楽をしたことに。

真下城遠望
真下城遠望

西側の竹林の奥の尾根筋が城跡のはず。
竹林の中に刻まれたV字状の山道は明らかに人工地形の印象。
途中の尾根筋に刻まれた山道も何やら城館との関係を暗示する形状。
一見すると枡形小口のような屈曲した地形、さらに尾根筋を南北方向に横切る堀跡のような山道、南北2段の平場から成る削平地のような地形等が出現。
その判断に戸惑いつつ見通しの全く無い峠道へと到着。

この地点からさらに距離にして100mほど尾根筋を登るとようやく縄張り図に示された地形と対面。
主要な郭は主郭を中心に東西に1か所ずつ並列。
東側の方形の郭は四方が空堀に囲まれた比較的珍しい構造。
加えて南側には規模の大きな2本の竪堀も。
地山の地形を利用した尾根筋を横断するように南北方向に穿たれた見事な2本の堀切は感動的。

西側の堀切
西側の堀切

さてうろうろと遺構全体を巡った所で、いくつかの疑問点が。
まず井戸跡とされる井戸郭の個所が殆ど防御のない城外ともいうべき西の外れに所在していること。
然も南側の尾根筋道経由で麓からは30分ほどで容易に到達できる位置にあること。
要約すれば西側のより標高の高い尾根筋からの攻撃を殆ど想定していないと思われること。
次に、主郭とされる最も規模が大きく標高の高い郭よりも、その東側の郭の方が遥かに複雑かつ堅固な構造を備えていること。

主郭西側の土塁跡
主郭西側の土塁跡


こんなことを考えているうちにあっという間に3時間以上が経過。
日没までの時刻と体力を勘案すると、本日もまた1.5ヶ所という結果に。

尾ノ窪城 午後15時20分から15時50分
午後になり次第に晴天域が広がり、春霞もいくらか希薄に。
再度遠景を撮影すべく、蜜柑畑の林道をロケーションしつつ登ることに。
あらためてじっくりと歩いてみるとそれなりの成果が。
どうにか2ヶ所ほど城跡が所在するはずの尾根筋を遠望できるポイントを発見。
かくしてめでたく蜜柑畑を前景とした何枚かの画像を獲得。

ようやく見つけた「尾ノ窪城」の撮影ポイント
尾ノ窪城遠望


讓原堀ノ内(群馬県藤岡市-旧鬼石町) 午後16時から16時30分
真下城に関係する居館跡の名残が地名として残るとのこと。
文明元年の紀年銘のある板碑の北側付近が該当地の模様。
山裾には櫓門を備えた旧家が所在。
いまの所では、その旧家と真下城との関係は不明のまま。

堀の内
堀の内

神流川に架かる神川橋の上から、そのうちに訪れる予定の暮れなずむ山谷を眺望。
当面はこのまま西方へと向かう基本方針を確認。
この暖かさで木々の芽吹きがすすみ、植生により異なるものの低山の山城はあと10日間程度。
標高の高い個所を選べば4月上旬くらいまではどうにかなるのかも。

神流渓谷の黄昏
神流渓谷の黄昏

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最近、ネコの「いちご」が某の右手の甲がいたくお気に入りに。
寝る前に本(口語訳「太平記」)を読んて背いると、顔を擦りつけたり、舌先で舐めまわしたり、甘噛みをしてみたり一頻り遊ぶのが日課のように。
何がそんなに面白いのか理由が分からず。
何とはなしに懐かれているようでもあり、実に不思議な状況。

本日の朝その原因の一端が判明したような。
近頃アキレス腱の付近が張っているため足首用のサポーターを常用。
寝る時には血行不良を防ぐため外すこととしている次第。
何と「いちご」は、外しておいたサポーターにも同じような仕草を。

つまりは悪臭(乃至は加齢臭)に対して反応している模様と推察。
素直に喜ぶべきか、冷静に落ち込むべきか...
出張先の会議中にずっと悩みつづけておりました(苦笑)

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♪♪ 「春がきた、春がき~た、どこにきた~」「腹にきた、足にきた、脳にも~きた」♪♪ 

月曜日の振替休みを先取り。
曇天で春霞の陽気のなか、性懲りもなく群馬遠征の一環で藤岡市南西部の鬼石方面へ。
前日目覚ましは午前6時前にセット。
ところが前日就寝した時間はすでに午前1時過ぎ。
旅行帰りの家内の話を聞いているうちから既に目算に狂いが..

さて、目覚ましはしっかりと午前6時前に電子音を発信。
ふと目覚めたところまでは順調に推移。
しかし脇で「押しくらまんじゅう」状態で気持ちよさそうに微睡んでいる2匹のネコの姿がふと目に入り。
この上なく幸せそうな表情に加えかすかな寝息も耳に入り起こしては気の毒と思い。
少しだけのつもりで2度寝を決め込んだのが間違いのもと。

次に目覚めたのは、すでに午前8時過ぎ。
このような次第で、本日目標4か所の山城探訪には早くも暗雲が漂うことに。
加えて、途中で腹の具合が思わしくなくなり。
現地に到着した時点では正午過ぎとなり、急遽2か所に計画を縮小。
しかも最終的には1か所+アルファに終わり、右足首2回捻挫のおまけつきも(痛!)

昨晩はスタンドの電球が以前から眩しすぎるので、小さめの電球に交換すべく2階から下りた途端に、このことを頭から完全に消失。
しばらく思い出そうとするものの全く記憶が蘇らず。
再び2階へと戻り、しばらくHPの更新作業をしていてようやく思い出すという始末にて。

尾ノ窪城(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午後12時10分から14時30分
途中の未舗装の林道が思いのほかの難路。
オフロード用のモードを使用したのは今回が初めて。
普通車での登攀は常識的に考えると危険かつ無謀。
大型の四駆ならば登攀自体は可能かも。
しかも幅員が3mほどの個所もあり、谷側の路肩は余り強固とはいえない様子。
このため、峠の手前の平坦なスペースで駐車して徒歩にて探索開始。

元々桜山公園へのハイキングルートなので歩く分には極めて快適なルート。
しばらくハイキングコースを西方に進み一旦北側に迂回したあと、ハイキングルートに別れを告げて峠西側の標高409mの平坦な山頂へ。
平坦な山頂を縦断する整備された幅員2.5mほどの道を150mほど南進。
古い轍が残る林道はそのまま山頂の南側で大きく迂回して西方へと続いている模様。

城跡が所在するのは山頂から派生する一番東側の尾根筋の途中のはず。
ここで3千円で購入したスウェーデン製の方位磁石で方向確認。
およその見当をつけて、余り見通しが良いとはいえない杉の植林が残る尾根筋を南下。
もちろん道などは皆無で複数種の有刺植物と藪とのちょっとした攻防は不可避。
このため帰宅後の入浴中に、まじまじと己の手足を眺めると数か所ほどの擦過傷が。

城跡らしき地形は林道から南へ180mほど進んだあたりからようやく出現。
最初は埋もれた堀切状の地形。
次に尾根筋が一度細くなった先で最初の堀切と対面。
すぐに長さ10m足らずの小郭をはさんで主郭手前の大堀切が出現。
主郭側の堀切との比高差は6m近くで60度ほどの傾斜があることから直接這い上がることは困難。
もちろん西側から迂回が可能で探索には支障なし。

主郭の削平はかなり大雑把で平坦な個所はほとんどないような地形。
広さは幅6mから8mで長さ約50mほどの規模。
また主郭の東側には縄張り図には記されていない腰郭状の地形も確認。
堀切は全部で4か所ないし5か所。
そのいずれもが竪堀を伴わず、かつ堀切自体の長さが比較的長いという特徴が。
尾根筋先端の南東部には幾分平地に近い形状の小屋掛けするには適当なスペースが所在。

伝承である平将門の乱の際に追討側の平貞盛が築いたとの説は取りあえずは別にして、尾根筋の途中に築かれていることから南北朝期のものが戦国期に改修されたと考えるのが妥当なところかも知れず。
しかし約300mほどの細長い尾根筋を利用した小規模な山城であるため大勢の入城は難しく、山波川渓谷への侵入を監視するための物見としての役割として捉えるのが相応しい印象かと。

主郭北側の大堀切
主郭北側の大堀切


(仮称)東の峰(群馬県藤岡市-旧鬼石町)午後14時30分から15時10分
尾ノ久保城の北東に所在する標高415m前後の平坦な山頂。
「三ツ山城の謎」を解明に関わりがあるかも知れないと以前から気にかかっていた場所。
峠部分からの比高差は70メートル前後。
厚曇りの天候のため、この時刻からもう一か所回るには微妙な残り時間。
城郭以降との関連がないことを確認することも必要と屁理屈をこねつつ、枯草と有刺植物に覆われた林道に沿って北側から迂回しつつ登攀。

なお、直登は崩壊中の斜面と藪の状況を見て即座に断念。
林道の途中からは多少の直登を覚悟していたところ、予想に反して林道は次第に高度を上げ山頂方面へと続いている模様。
こうした状況から見る限り、何某かの遺構の存在の可能性は完全に消失。

それでも余りにも不自然に平坦な広大な山頂付近の状況を把握すべく途中から近道をして山頂付近へ接近。
すると人工的な連続した盛り土の形跡が目の前に出現。
外側から見る限り高さ約2m前後で長さは50mほどの規模。
この地形を乗り越えてさらに進むと要するに馬蹄形の盛り土で囲まれた窪地が山頂の北東部に所在していることが判明。
全体としては起伏を伴うものの人工的な平坦地を含む連続した盛り土などが所在していることも確認。

東の峰山頂付近の地形
東の峰山頂付近の地形

林道自体は山頂の1比高差10mほど下方を西側から南側を迂回して東側へと抜けている模様。
このため、山頂付近の地形については産廃の埋め立てなど重機などによる地形の改変とは考えにくく。
ますます謎が深まる地形となってしまったのであります。

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