本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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先日来の風邪気味から本日に至り完全なる風邪症状。
一応ヒノキの花粉の影響もあるかも知れませんが。
流石に腹に来るような花粉症は無さそうで(笑)
相変わらず腹具合がおかしく、頭がフラフラ、喉はガラガラ、鼻水タラタラ、咳とクシャミはたて続け。

という次第で本日は取敢えず自宅の市販薬で対処中。
このため本日は玄関から一歩たりとも出られず。
風邪薬の眠気の副作用と戦いつつ、気力を振り絞って漸く1件を更新したものの恐らく間違いは数知れず...
もうただひたすらに眠いのであります。

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少しばかり気が早いのでありますが、今シーズンの総括などを。
右膝手術退院以後、昨年10月から昨日までの城館探訪は述べ33日間で新規・再訪合わせて258か所。
内訳は群馬県55、茨城県63、栃木県55,山梨県11、千葉県52、埼玉県1。
この数値は2004年8月から開始した中世城館探訪のシーズン最多記録なのであります。

必然的に更新速度は概念図(縄張図もどき、俯瞰図風イラスト)の作成も加わり大幅にダウン。
従いまして、未更新在庫は200件の大台を軽く突破しております。

季節も春から初夏へと向かい始め例年の如く体調不良シーズンに差し掛かります。
ここ数日明らかに風邪気味でもあることから、暫くは天候の如何にかかわらずひたすら更新に専念...するはずです(汗)

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本日は史進どの、モナーどの、儀一どのと、武蔵直登会員が勢揃い。
行先は3年越しの懸案となっている藤岡市の鼠喰城がメイン。
Googleで検索しても、ヒットするのは史進どのと小生のサイトと山岳ブログ(但し未踏頂)の3件のみという限られた情報のみ。
すなわち登り口不明。
ルートの良否不明。
遺構の状況不明...


飛石の砦
(群馬県藤岡市) 9時時50分から9時55分まで
日野谷に向かう道筋に所在することから立寄ったまで。

七村城(同上) 10時50分から11時45分まで
2007年の冬に続く再訪(無論HPは未更新のまま)
神社境内とその上方の尾根筋が城跡とされていますが、郭としての規模も極めて小さく遺構そのものについてはいささか明瞭性を欠くきらいが。
そうしたなかでは堀切状の峠道が最も城郭遺構に相応しいようにも。
 

七村城
七村城


後藤屋敷(同上) 12時05分から13時15分まで
日野谷り南側緩斜面に展開する奈良原の集落奥に所在。
宅地造成に伴う石積みはどれほど古くとも近代以降のものか。
ミツバツツジや山桜、菜の花などが咲き乱れる桃源郷との言葉が相応しいのどかな山村。


鼠喰城(同上) 13時45分から17時05分まで
本日最大というよりも、近年最大の目玉。
事前の資料とは相反し比高差は携行した高度計によれば、少なくとも不動明王の鳥居からは380m以上を計測。
然し地図上で見る限りは340mほど。
この差がなぜ発生したのかは今以って不明。
多少のアップダウンを加味すれば間違いなく400mに。
また平面上での移動距離は約800m。
 

斜度45度、比高差約100m
斜度45度、比高差約百m付近の尾根筋


稜線の大半は緑泥片岩質のヤセ尾根の急斜面。
所々に設営されたトラロープが断裂若しくは断裂寸前...
山歩きの経験はそこそこあるにはあるのでありますが。
久しぶりに生命の危機、滑落、行方不明、遭難と縁起でもない単語が次々と登場する局面に再会。

山頂の小祠の姿を見出したときには達成感で感涙の極みに。
腰を下ろして休憩したいところなれども、座ったら最後立ち上がれないほどの疲労感が(苦笑)
なお鳥居からの所要時間は休息を含めて1時間50分ほど。
かなりの山慣れした健脚者でも安全を考慮すると1時間30分ほどかと。
なお標高830mから930mの間での平面上の移動距離は僅かに100m。
すなわち分度器の二等辺三角形の鋭角の角度ということに。
つまりは斜度45度、比高差100mの斜面をそのまま直登していた計算で...まさに武蔵直登の面目躍如。

遺構の多寡は別として、計画以来足掛け3年にわたる鼠喰城の制覇。
前日は雨。
岩場、急斜面の多い地形。
本来ならば登山の常識に照らし順延が相当。
折りしも季節はうつろい始め、木々の芽吹き寸前でありました。


藤岡城(同上) 18時00分から18時05分
既に黄昏時。
打上げの途上に東側の櫓台跡(現在は戦没者慰霊塔)をそそくさとばかりに訪問。


こののち藤岡市内のガストにてお決まりの甘味にて打上げ。
今回の鼠喰城制覇は無論単独では到底成しえない所業にて。
参加者全員に事故も無く無事帰還したことは慶賀の至り。
合わせて「武蔵直登」メンバーの面目躍如。
そうしたなかで取分け全身疲労と筋肉痛が体中に蔓延し始めてきた年齢的にも今年がギリギリの管理人なのでありました。

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「城郭図鑑」管理人様より、松ヶ崎城を見るならば今が旬との貴重な情報。
とはいえ今シーズンから下総方面探訪を始めたばかりの当サイト管理人であります。
土地勘の無いことは甚だしく、国道16号線沿線から少しでも外れると忽ち迷子になるのであります(汗)
あ、カーナビなどというものは搭載しておりませぬ。
また仮に搭載したとしても操作方法が分からず、老眼の進行により小さな画面が見えないのであります。
然しここで行かねば果たして何時いけるかと、迷子恐れるに足らずとの決死の覚悟を持って出陣。
幸いにして迷子になったのは予め予定しておいた夕食の場所を探したときのみ(笑)


松ヶ崎城(柏市) 12時00分13時30分

諸般の事情から城跡の樹木がきれいさっぱりと伐採。
一部消失した遺構もあり、消失部分の確認も含めて縄張図と照合。
小口の土塁の一部と崖線およびその直下の腰郭が不明となっている模様
史跡整備途上にもかかわらず、話題性のある城跡ということもあり地元市民の方々を始めとして終始見学者は途切れることなく。
中世城館跡の探訪で見学者に出会うことなどは極めて稀な体験。
 

松ヶ崎城
松ヶ崎城


根戸城(我孫子市) 14時15分から15時30分

主郭部分以外はそろそろ草が伸び始めて探索には厳しい季節。
主郭の高土塁、折のを伴う空堀、城跡東端部の櫓台、土橋等の遺構が明瞭に残存。
西側からは宅地化の波、北側には常磐線、東側には新しい市道建設と市街地化の著しい周辺地域の事情を斟酌する限りでは奇跡的な城跡。
文化財等説明版が市道建設に伴い城跡東側の一部を削り取った防護壁に埋め込まれていることも何やら象徴的で。
 

根戸城
根戸城


増尾城(柏市) 16時00分から16時40分

実は余り期待しないで訪れた城館跡。
というよりも、残り時間の関係で最も距離が近くかつ確実に遺構を観察できると思われたのがこの増尾城なのでありました。
事前の期待に反して遺構状況は極めて良好。
郭内側での土塁の高さも3mを超える規模。
また櫓台としか表現ができない土塁の張り出し部分も明確で大規模。
城址公園のため土塁などが幾分磨耗している感触もありますが、それだけ地元の方々に親しまれているという傍証かとも。
 

増尾城
増尾城


本多藩陣屋(流山市) 17時30分から17時35分

数合わせのために用意をしておいた城館跡。
予め立寄ることを予定しておいた流山市立図書館が陣屋址の一部という好条件。
尤も遺構等は皆無にちかく、あえて関連性のあるものといえば台地上の地形と後に県庁が置かれたことに伴う石碑のみ。


流山陣屋(同上) 17時40分から17時50分

例えが失礼極まりますが、正しく行きがけの駄賃のようなもので(苦笑)
図書館から徒歩約5分。
折しも黄昏時のため、大河ドラマブームの去った後の一抹の侘しさが漂う土蔵前に整備された石碑等を撮影。
この後、市立図書館にて関連資料の複写作業を実施。
自治体史関係が周辺の一部地域を除いては以下整理されていないことを除けば郷土史コーナーは概ね充実。

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午前9時に「道の駅やちよ」で待合せ。
然し両名共約1時間近く前に到着。
予定通り周辺の城館跡を互いに案内係を務めつつ四街道方面へアプローチ。

島田城(八千代市)
米本城(同上)
臼井田宿内砦(佐倉市)
稲荷台砦(同上)
円能遺跡(同上)
忍台砦(同上)
謙信一夜城(同上)
以上は再訪または再々訪。
近日の温かさのため僅か2週間ほどの間に確実に草木の緑が顕著に。


福星寺城(四街道市) 11時45から12時45分

5か所ほどの出枡を伴った戦国末期の単郭。
主郭土塁外部切岸の高さは現状でも8mを超える個所が散見。
堀幅は上面で最大20mほど。
どう多く見ても200名が守りにつけるかどうかという規模の単郭。
そのアンバランスが実に興味深い城郭であります。

北側堀跡と主郭切岸、土橋
福星寺館の北側堀跡と主郭切岸、土橋
 


東作城(同上) 13時15分から13時50分

この城郭から地元研究者の方にご案内を。
小ぶりで直列、複郭で構成される鹿渡城と同じ台地上に所在する城郭。
南北方向を軸とした城域ではありますが最後まで全体の規模が掴めず。
縄張り図もどきを描く習性が付き始めたために、忽ち遅れを見せ始める管理人でありました。

東作城の主郭土塁と堀跡
東作城の主郭土塁と堀跡


中台城(同上) 13時40分から14時50分

方形土塁に囲まれた単郭。
喰違い小口、枡形小口、二重堀、櫓台など多くの遺構が現存。
しかし南西方向の市道拡張工事が予定され、その一部は消失する運命にあるとのこと。
旧状を目にすることができた幸せを噛みしめつつ、次第に縄張り図もどき作成に混乱の度合いを深める管理人。

中台城北西部の小口付近
中台城北西部の小口付近


鹿渡城(同上) 15時00分から15時50分

以前は公園として管理。
近年になって事情により地権者の方々に返還されたとのこと。
それでも良好な状態で空堀、土塁、竪堀等の遺構が残存。
北側水田から遠望する舌状台地地形は秀逸。

鹿渡城北側の竪堀
鹿渡城北側の竪堀


大山砦(同上) 16時00分から16時20分

常磐線の線路の向かい側、鹿渡城から北へ250mほどの地点に所在する台地上に所在。
方形単郭の少なくとも2辺に土塁が残存。
能力不足と資料不足にめげつつも縄張り図もどき作成に勤しむ管理人。

大山砦北辺の土塁
大山砦北辺の土塁


山梨城(同上) 16時35分から16時45分

神社境内となっている郭部分と部分的ながらも良好な土塁・空堀が残存する遺構。
たぶん殿台館とも呼ばれている個所の南側の辺りなのかとも。
何分とも全くの勉強不足で..
にもかかわらず、ただひたすらにダイソー購入のスケッチブックと格闘する管理人。

山梨城の郭切岸と空堀
山梨城の郭切岸と空堀


和良比堀込城(同上) 17時00分から17時10分

市道幹線の整備により台地ごと削平された城館跡。
しかしその南側の一部分は公園化されて保存。
断片的とはいえ3か所の土塁遺構が現存。
かつての郭内では葉桜の下で花見に興ずる一組の団体が。

和良比堀込城の残存土塁
和良比堀込城の残存土塁


史進どのよりお誘いにて千葉県四街道市方面の城館探訪。
午後からは地元城郭研究者の方にご案内をいただき、夕刻まで非常に濃密な時間の連続。
3月29日から今回まで、山梨、千葉、福島、千葉と2週間ほどの間に5日間、述べ40ヵ所以上を探訪。
例年ならば、ほぼ間違いなくヨタヨタにへばっている季節かと。
お城仲間の皆様のお蔭で、感覚的に何時どの方面へと出かけたのか判然としないほどに満ち足りたシーズン最終局面を過ごしております(嬉)

以上、「縄張り図もどき」作成初心者のため、お誘いいただいた史進どのをはじめご案内いただいた地元城郭研究者の方に多大なご迷惑をかけ続けた管理人なのでありました。

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