本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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今週は当分天候が不安定らしく。
まともに晴れる日が殆ど無いようにも。
そうしたなか週末の千葉県内第2次侵攻作戦を考案中。
然し土曜日の降水確率は60から70%という週間予報。

南がダメなら北へと目標変更も視野に。
今のところ関東北部は降水確率40%の予報。
仮に薄曇りで最高気温12度+無風であれば誠に好都合かと。
このような折、行先の選択肢が多いというのは誠に便利なのでございまする。

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中野城(群馬県邑楽町) 7時05分から7時10分

今月7日に続く再訪。
足利方面へ向かう通りがかりなので、ついでに立寄ったまで。


鳩ノ峰城(栃木県佐野市・足利市) 8時00分から9時50分 比高差240m

今回の山城3連発にあたっていくつかのルートを想定。
まず北側のハイキングコースとなっている塩坂峠経由で尾根筋伝いに迂回する方法。
難点は尾根筋を歩く距離が長くなること。
次に樺崎城-赤見駒場城-鳩ノ峰城とアップダウンを繰り返して高度を上げていく方法。
この難点は樺崎城を登るにあたり、ほぼ山道のないルートを進むこと。
これに加えてアップダウンが些か激しいこと。

というような次第で、樺崎城北側の集落から谷筋の道を辿り鳩ノ峰を目指すことに。
予想よりも谷の奥の方まで歩きやすい道が存在。
しかし谷筋の左岸にわたった辺りからは次第に山道そのものに。
「電子国土」では、山頂の西側の急斜面を這い上がるというとんでもないルートが記載。
しかも谷筋から見上げた限りでは、足元軟弱+掴まる樹木僅少という様相。
高度計は残り約50m前後を表示。
等高線の本数・密度を比較する限りでは、このまま谷筋を直登する方が妥当と判断。

とはいえ登りに弱い管理人。
3歩進んで一休み...
5歩進んで水分補給...
また2歩進んで高度計確認...
というような醜態を露呈しつつ漸く標高280m前後の稜線へと到達(ハアハア、ゼイゼイ)

小休止後、山頂北側直下の谷頭部分に2段の平場を確認。
北西の季節風を防ぐ絶好のポイント。
然も水の手の確保も可能と推定される地形。
この地形等のみからその時代背景を推定することは余りに無謀とは思うものの、物見のための番小屋を設置するには絶好の環境かとも。
 

鳩ノ峰城
鳩ノ峰城山頂の平場

山頂は2段の平場状に削平。
無論、神社境内の整備に伴うものとの区別がつく訳も無く(汗)
鳩ノ峰城南西側の痩岩尾根下りは樹木も少なく思いのほかの急降下。
平面距離100mに対して約70mの降下。
つまりは平均斜度は約37度。
加えてこの日は西寄りの10m前後の強風が吹き荒れる天候。
元々はハイキングコースのため、3ヶ所の難所には補助ロープが設置されておりました。


赤見駒場城(栃木県佐野市・足利市) 10時35分から12時30分 比高差165m(尾根伝いから約15m)

鳩ノ峰からは直線距離にして約800mほどで、途中3ヶ所ばかりの小ピークをアップダウン。
むむっ、どことなく低山ハイキングのブログのような趣に...(苦笑)
この間に「疑問符付の堀切状地形が2か所」、「ある低度確実視される堀切が1か所」ばかり所在。
取敢えずデータベースに記載されていた堀切というのは、恐らくはこれのことかと納得を。

主尾根の堀切
鳩ノ峰から続く主尾根の堀切

さて下調べでは堀切の存在場所として、登って来た尾根続き以外には4本の稜線を想定。
先ず手始めに東側に約200mほどのびる比較的平坦な地形の尾根筋から踏査開始。
すると50mも進まぬうちに何と二重堀切に遭遇。
30mほど先にも、竪堀を伴うもうひとつの堀切が。
さらに稜線の括れた個所にももうひとつ。
以上3ヶ所、4条からなる堀切群がこの尾根筋を防御しておりました。
 

支尾根西側の二重堀切
支尾根西側の二重堀切

 中間部の堀切
中間部の堀切

東端の郭西側の堀切
東端の郭西側の堀切


稜線の南北は概ね切り立った斜面で登攀困難。
そして尾根筋先端部には見事なまでに削平され先端部が幾分広がった台形状の郭状の地形さえも存在。
さして著名ではないというよりも、寧ろ殆ど無名に近い山城。
無名に近いこうした城館跡で、このような堀切群に遭遇できるとは夢にも思わず。
儀一殿の慧眼に敬服。
 

稜線東端の郭
稜線東端の郭

郭の先端部からは佐野氏西方拠点の赤見城方面が一望に。
戦国時代の一時期、佐野領に睨みを効かせていた足利長尾氏にとっては、東方地域の重要な最前線拠点であったのかもしれません。
 

赤見城(佐野)方面
赤見城(佐野)方面

  
樺崎城(栃木県足利市) 12時30分から13時40分 比高差約150m(東尾根伝いから約40m)
東側の赤見駒城の尾根筋からは90mほどの降下。
樺崎城山頂までの山道は思いのほか荒れておらずルートも明瞭。
主郭および周辺の帯郭、腰郭群も概ね良好に残存。
なお堀切状地形は少なくとも北東尾根筋と南東稜線続きには確認できず。
 

樺崎城主郭
樺崎城主郭

下山は予定通りに北麓目指してまっしぐら。
つまりは直降モード。
麓を流れる2本の谷川も勢いに任せて難なく渡河。
登りの時には、からきし弱い管理人。
しかし下りならば絶好調(苦笑)
珍しく今回は枯葉の斜面で滑るようなこともなく、前々回から供用開始した新しい靴の効果も確認。

 
稲荷山城(栃木県足利市) 14時50分から15時40分 比高差約50m
北西の中腹には稲荷神社が所在し、神社境内を経由して城跡へ。
縄張は北端の主郭、その南側の二の郭までは明瞭。
さらにその南側の幅広い堀跡状(片堀切状)の地形を経て北側に低土塁を有する比較的細長い形状の郭が続いている模様。
また主郭、二の郭の直下には南側を除いて帯郭が巡り、東側の山腹には3段ほどの腰郭も現存。
このほか丘陵北西麓には僅かに土塁・堀跡の痕跡と思われる地形も残存。
 

推定3の郭北側の土塁
推定3の郭北側の土塁

城跡が所在する丘陵全体は西側を除き城郭としては斜面の傾斜が緩やか。
仮に戦国期足利長尾氏によるものと仮定すると、東側小河川が所在するとしても敵対する佐野氏側に対する備えとしてはやや不十分な印象も拭えません。


尻無山城(栃木県足利市) 16時00分から16時30分 比高差約20m
掲載されているサイトを拝見する限りでは、明確な遺構が期待できないという足利市街地内の城館跡。
このため期待感は探訪する前から幾分沈みがちで。

北東側は公園化。
南側は宅地化。
それでも公園内にはそれなりに腰郭状の地形が存在。
しかし公園化に伴う地形変更との区別がつきかねます。
木立の間には幾つかの小規模な群集墳も所在。
なお公園以外の部分は、全体として篠竹の藪が目立ち地表部分の確認は概ね困難でした。


小平城(栃木県佐野市) 16時50分から17時00分 比高差0m
2008年11月に訪れた際には、竹林が伐採されて殆ど土塁遺構が剥きだしに。
その後の形質変更等の状況が気にかかるという点で衆議一致。
早速、黄昏迫るなかを数キロメートル東の佐野方面まで移動。
到着したのは既に山入端に太陽が隠れ始めた日没間近の時刻。
夕日を浴びたL字型の土塁、深さ約5mを測る城館遺構は概ね3ヶ月前と変わらずに健在ぶりを誇示。
 

健在だった小平城の土塁
健在だった小平城の土塁


この日は山城3ヶ所+低丘陵の城館2か所+平地の城館2か所の計7ヶ所のみ。
探訪した件数は少ないものの、赤見駒場城の予想だにしない堀切遺構との遭遇は正しく衝撃的。
足回りに心地よい疲労感を感じつつ帰途に着いたのでありました。
単独ではなかなか遂行することが困難な探訪。
先月に続き同行、ご案内いただいた儀一殿に心より感謝。

 

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中根砦(千葉県印旛郡本埜村)12時30分から13時40分

具体的な所在地はあくまでも推定。
遺構の残存状況については既に20年前の情報。
加えて何よりも土地勘が皆無。
従って唯一の頼りは県別マップルと事前に掻き集めた手持ちの関係資料のみという寂しさ。

机上の調査からは北側の沖積平野へと細長く伸びた舌状台地先端部であることだけは確実。
しかし肝心の舌状台地自体を特定するのが難しく。
何といっても周囲にはそれらしい舌状台地が文字通り山ほど所在。
時々あてにしている「奈良文化財研究所の文化財データベース」もたまに??の場合も。

それでも何とか漸く車1台が通行できる細道を上り、事前に当たりをつけておいた台地の根元部分へと無事到着。
次に道路の形状、墓地と戦没者慰霊塔の所在地等から北へと進むべき丘陵を特定。
農道のような道のため徒歩にて200mばかり北進(⇒より正確には北北東)
台地は先端に行くほど幅が縮小しているので城郭跡としての確信は深化。
試しに台地の東辺縁部に赴くと明らかな腰郭状地形が出現。

さて、郭の台地続き以外の三方には幅の広い帯郭が付属。
東側の一段下には腰郭状地形も確認。
西側の帯郭の一部には土塁が残されて横堀(構堀)の形態にも。
主郭の土塁は北と西の部分に高さ1.5mほどで比較的良好に残存。
 

中根砦
中根砦

東側腰郭状の地形の評価によっては、単郭と見るか複郭と見るかの判断が分かれる可能性もりそうな。
現在のルートとしては南側からの農道に加えて、東側斜面に刻まれた山道と北側先端部に付けられたものが確認。
この内北側のものは、後世の耕作などのために刻まれたものかも知れず。
すると所謂大手は台地続きの農道の部分で、一方搦手は台地東側の比較的目立たない腰郭的な帯郭により防御されたルートなのかとも。


笠神城(同上)14時00分から15時40分

神社と寺院の境内ということなので、遺構が見やすいと思ったのが大間違い。
南方の神社側の遺構については、境内付近を除くと倒木・潅木・竹林が思いのほか濃密に成長。
視界は確保できるものの郭同士を繋ぐ土橋状の地形も凝視しないと判別不能。

見せ場ともいうべき墓地南側の大規模な堀切も伐採された大量の孟宗竹に半ば埋まっているという印象も。
不動堂?の堂宇から北側の主郭へのルートは、堀切(+後世の切通し?)により深さ7mの断崖となって完全に分断。
両手が開いてさえいれば斜度50度ほどの斜面なので攀じ登れなくも無いのでありますが、足回りの弱体化に加えて事実上両手が塞がった状態のため暫く登る場所を捜索。

結局東側に伸びた小さな尾根筋に取り付いて潅木が生い茂る中を西進することと決定。
ところが途中から足元には伐採された年代物の孟宗竹が大量に敷設。
つまりは一歩歩くたびに踏み抜くという至る所に陥穽が隠されている状態。
直線にしてたかだか120mほどの距離を進むのに10分近くを要するというおまけ付き。
 

笠神城
笠神城

それでも肉体的被害は荊の棘による長さ5cmの引っかき傷1か所のみ。
勿論、孟宗竹の踏み抜きに伴う転倒は数回ほど。
土塁と小口の状態を確認したいがための行動ではありましたが、肝心の主郭一帯は2月という季節にも拘らず常緑の植物が元気に繁殖。
このため期待された土塁もデジカメ画像としては成立せず。
帰路はそのまま北側の比高差25mほどの斜面を滑り降りて、この方面からの登攀が概ね不可能なことを身をもって実証。

帰りがけに本埜村役場へと立寄り、「本埜の歴史」(2008年刊行、頒布価格1400円)を購入。
同書には中根城で急遽書く羽目に陥った自作の縄張図(概念図)とほぼ同様の縄張図が掲載されておりました。
これを徒労と捉えて悲しむべきか、概ね一致していたという結果について満足すべきなのか(笑)


このたび漸く千葉県北部へと進出。
この辺りは今までにも別件で2度ばかり訪れてはおります。
しかし2度とも道を間違えて現在位置が不明となったという余り思い出したくない体験が(汗)

今回は道こそ誤ることが無かったものの、途中国道464号線の道路工事に伴う渋滞により大幅に現地到着が遅延。
加えて出かけた時刻も午前9時20分と遅く、実際に訪れることのできた城館跡は僅かに2か所。
尤も通過したというだけならば、帰りがけに佐津山城(鎌ケ谷市)-高柳谷中台城(柏市、以下同様)-高柳城-殿山城-大井追花城-戸張城-高田城7ヶ所について暗闇の中をほぼ縦断しております(苦笑)

自宅からの道程そのものは片道で100kmほど。
但し外郭環状線を利用しても概ね片道3時間程度を覚悟。
国道16号線経由も走行距離が長くなるだけで、余り往復時間の短縮には結びつかず。

未明の出発というのもボチボチ体力的に厳しい状況。
午前中はどうにかなるものの、確実に午後にはどっと疲れが。
次回以降どのようなルートを採用するかが今後の大きな課題のひとつかと。

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本日、群馬県の目次ページアクセスの累計数が4000件を超えました。
コンテンツが藤岡市と吉井町を中心とした西毛地域偏在しているにも拘らず、この結果はまことに有難いものがございます。
今季中にあと少なくとも1回は群馬県方面を訪れたいという気持ちを強く感じ始めました。
日頃よりご覧いただきました皆様方には、心より御礼と感謝を申し上げます。

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この1年ほどの間にだんだんと埼玉県外の城館が増加。
このため「城館の総合目次」(暫定版)を試作。
半年前ほどから少しずつ構想を練っていたにしては、出来上がったものとの機能・イメージなどの乖離が大きく(汗)

なかでも最大の問題は、個々の城館跡のページから直接この総合目次に戻れないのであります。
元々ファイルの階層化に大きな問題があるにも拘らず継ぎ接ぎで拡張してきたツケのようなものかとも。
それでも無いよりはマシなので逐次改良を施さねば...
かくして蜘蛛の巣のようなリンクが張り巡らされた迷宮の如きサイトはますます肥大化していくのでありました(苦笑)

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