本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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武蔵国入東郷の地下人小頭@和平
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定年を過ぎました~
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「余り遺構の無い城館跡めぐり」と「ネコいじり」並びに「観葉植物の栽培」など数だけは
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今月の探訪は突然出かけることとなった山形県内の4日間のみ。
訪城件数は麓から見上げただけのものを含めて35か所(汗)
更新件数はPC故障の影響等も加わり僅かに6件。

6月は梅雨時でもあるために本格的な探訪計画はゼロ。
家庭サービスのためにひょっとして温泉などへ出かけた折、同行者の目を盗んで偶然にちょこっと立寄る程度かと(苦笑)

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昨日に引き続き、お蔭様で本日は福島県での城館探訪目次のアクセス件数が2千件に到達いたしました。
不肖のサイトをご覧いただいてしまった皆様方におかれましては、あらためまして御礼を申上げます。
各城館の掲載期間は何れも約9ヶ月から10ヶ月ほど。
また、掲載城館のうち第1位から6位までは概ね著名な城郭または地名に関するものがそのまま上位を独占していました。

第1位 733 件 白河小峰城 ⇒ トップ頁に画像掲載していた期間が長いためか?
第2位 577 件 須賀川城   
第3位 566 件 三春城
第4位 521 件 郡山城 
第5位 507 件 二本松城
第6位 448 件 棚倉城

さて現在は半ば無名に近い福島県内の館跡(たてあと)を優先的に更新しております。
とりわけ遺構が乏しいものから更新をしないと、もうどうにもならない記憶力の減退が顕著な昨今なのであります。
なお、福島県内の未更新分で、めぼしい遺構が所在するのは再訪を含めて6ヶ所ばかり。
残りは所在地を含め歴史的経緯も不明なものが多いのが実情であります。
果たしてこの無名城館更新の連続という事態が何時まで続くかと申しますと、多分6月末頃までかかるのであります...(苦笑)

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誠に以て突然ながら群馬県の城館アクセスランキングを公開。

第1位 1152件 清水山城   全国的には近江の清水山城が有名
第2位  926件 駒留城    これはかなりのミステリかとも
第3位  907件 八束城    羊太夫伝説にそれほどには関心があるとは思えず...(笑)
第4位  898件 藤岡城    市街地に所在することによる関心の深さか?
第5位  897件 奥平城    奥平氏の故地ということでもあり、これはこれで
第6位  864件 平井金山城 平井城つながりかとも
第7位  859件 平井城    有名な割には無名の城館に負けているようにも..

公開期間は最長で1年半ほどであります。
その点では奥平城(掲載期間1年少々)の健闘が目立ちます。

なお本日お陰様をもちまして、群馬県の城館目次のアクセスが5千件に到達いたしました。
藤岡、吉井ほかという地域限定で、未だに60件余りの掲載という貧弱さ(汗)
ご覧頂いた皆様に心より御礼を申し上げます。
今秋までには何とか掲載件数を100件の大台に届くべく鋭意努力をいたしまする(謝)

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ようやく本日からPCが表向きでは全面復旧いたしました(汗)
昨晩からメールのインポートを開始。
先ほどまで中枢部分のファイル確認整理をコツコツと。

なお今回からはLAN設定により2台のPCで運用。
画像倉庫部門とHP更新部門とに分離。
これならばOSのリカバリも以前よりリスクが減少するはず...
先ほどまで回らない頭を使いどうにか環境設定を行い、データ同期保持にもおおむね成功したはず...
このあとプリンターの共有化、各種動作の検証、バックアップの安定化対策と未だに続く荊の道なのであります。

また目の前に2台のPCがあるので、時々どちらで作業しているのかわからなくなるのであります。
さて本来の業務に取り掛かろうと何気なくサイトを見てみると、カウンター表示が37万件を超えておりました。
このように頻繁に突然休止するサイトであるにもかかわらず、ご覧をいただき心より御礼申し上げます。

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山形城(山形県山形市) 6時15分から7時50分
既にこの日で3度目の訪城。
一回目は月曜日の黄昏時。
三の丸外廓土塁の方はどうにか見学。
 

山形城の三の丸土塁
山形城の三の丸土塁


しかし東大手門の前に立ったときには撮影した画像はこのように全て夜景という代物なのでありました。
一応ライトアップはなされておりましたが、光量不足のためシャッターがフリーズ。
ISOを1600にセットしなおしてどうにか撮影を。
 

山形城東大手門
山形城東大手門

2回目は14日の夕刻。
日没までは未だ2時間ほどの余裕。
しかし、再び雨が降り出して撤退。

というような次第で3度目の探訪。
ビジネスホテルでの朝食前の散歩がてら。
晴天の予報にも拘らず雲量が多く下記のように幾分露出不足気味の画像。
 

西大手門
西大手門

一番人気のなさそうな地味な印象の北門にてのんびりと日向ぼっこ中の人懐こいネコさんと遭遇。
 

北大手門
北大手門

人懐こいネコさん
人懐こいネコさん


暫く遊んでもらったあと、有名な最上義光の騎馬像、本丸の復元石垣、東大手門の復元建物を撮影。
石垣による枡型は西門が人通りも少なく最も撮影が容易。
 

最上義光の騎馬像
最上義光の騎馬像

本丸の復元中石垣
本丸の復元中石垣


長谷堂城(同上) 9時30分から11時20分
東国の関ヶ原ともいわれるある程度有名な長谷堂城。
大河ドラマの終りの方の目玉となることもあり、観光バスで高齢者の団体が来訪。
大型駐車場完備、清潔なトイレ完備、山城も革靴で歩けるほどに歩きやすく整備。
腰郭、帯郭の大半はやや草が生育中でしたが見学には支障なし。
腰郭を柵で囲んだ復元方法は分かりやすく親切。
 

主郭北側の腰郭
主郭北側の腰郭


整備されすぎの傾向は無くもないところもあり、明らかに腰郭が散策路で真っ二つに分断。
比高差80mの割には眺望に優れ、直江兼続の本陣が置かれた西側の菅沢山も一望。
主郭からは山形城、天童城方面も一望。
山城の城跡自体は思いのほか広大ではなく、篭城可能な兵力は麓の外郭などにある程度分散したとしても500名あたりが限度かとも。
 

長谷堂城の主郭
長谷堂城の主郭


菅沢山本陣跡(同上) 12時00分から12時20分
明確な遺構は確認できず。
「天地人」と直江兼続の幟が林立して演出効果をアップ。
各所に設置された案内標識などのつくりをよくよく拝見すると、概ね耐用年数3年以内といった簡素な構造。
早くも大河ドラマが終わったあとの寂寥感を予感するのでありました。
 

菅沢山の直江山城守本陣
菅沢山の直江山城守本陣

このあと、周辺に所在する4ヶ所ほどの長谷堂城の合戦関係の石碑を効率的に見学。
普段は分かりにくい場所かと思われますが、今年に限っては「天地人」の幟がパタパタと風にはためいているのであります。
 

湯目加賀守の石碑
戦死を遂げた湯目加賀守の石碑


今までに山形県は通過したことはあっても、今回のように本格的に訪れるのは全く初めての体験。
土地勘は完全にゼロ。
最上川沿いの平野部も予想以上に広大。
今回が特別なのか、やたらと天候が急変。

収集した資料を見る限りでは、村山地方では急峻な山城は余り見当たらず麓との比高差も200m未満。
大半の事例は100m前後。
戦国期の山城でもどちらかといえば堀切を多用する事例は少なく、雛壇上の腰郭群と帯郭群の存在が顕著。

来シーズン訪れるとすれば降雪のある直前または3月下旬から4月中旬。
ただし今後再訪できるかどうかは皆目不明。
今回の遠征は正味4日間で走行距離は延べ970km。
そのうち往復分だけでも760km。
長時間の運転により初日から腰痛発生。
翌日からは腹具合不調+天候不良。
結局、探訪先でどうにか山城と呼べそうなのは天童古城と長谷堂城ぐらいのものでありました。

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