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昨日から大阪にいる長女が帰省しています。
1年以上会わないときもありましたが、今年は年末から正月にも帰省しているので2度目の対面。
昨日は、近所に住んでいる知人の通夜で、本日は告別式。
小生よりも7学年下の56歳という若さで亡くなられました。
中学生の頃は、夏休みなどになると、ほぼ毎日遊んでいた間柄でしたが、お互いに長じるに従い次第に疎遠となってしまいました。
それでも、単なるご近所というわけでも無いので、昨日の通夜だけは焼香に伺いました。
家内の方が、故人の奥様と現在でも親しいこともあり、告別式のほうもあわせて列席。
この年代になってくると、慶事はごく希で、仏事ばかりが目立つようになりました。
当人も、ここ1年ほどの間にめっきりと筋力が衰え、慢性の腰椎症を始めとして幾つかの持病を抱えておりますので、健康寿命はあと数年というところでしょうか。
画像は香典返しのハンドタオルです。
合掌。
家内の親類筋へ旧盆の挨拶回り。
ついでにブルーベリージャムを購入すべく堂平山へ。
比企方面では有名な「とうふ工房わたなべ」でも販売しているとのこと。
幾度も訪れているため、ここは店の前をそのまま通過。
旧玉川村は家内の母方の実家が。
都幾川沿いには、子どもたちが小さい自分にお世話になった家内の親友宅も。
懐かしの山頂を目指して、一路県道172号線の山道をゆっくりとミニ四駆で上っていった。
山頂を訪れたのは、たぶん35年ぶりかと。
最初に訪れたのは、奥武蔵グリーンラインが完成する遙か以前の、白石峠の林道が工事が開始されはじめた1960年代の中頃だったかと記憶。
早朝から越生の黒山三滝方面から登り、関八州見晴台、刈場坂峠を越えて、白石峠を経て大霧山から粥仁田峠を経て皆谷のバス停まで歩いたこともあったような。
あの頃はたしか中学生か高校生の頃だった。
足腰も元気で、尾根筋にあがると、走るようにして歩いていた。
下り道も、膝のバネを使い走るようにして、坂道を駆け下りていくことが出来た。
今は腰椎ベルトに膝ベルト装着で、よたよたと歩くような年齢になってしまった。
そんなこんなで、錯綜した思い出が走馬燈のように脳裏を駆け巡る。
今は亡き両親も健在。
人生の四分の三を過ぎた自分が、存在していること自体があやふやとなり、まるで長い夢を見ているようにも。
現在は天文台も地元に移管され、山頂付近にはキャンプ場が整備。
個体数は少ないと思われるものの、熊出没注意の掲示がされていた。
標高800メートルを超える場所なので、少しは涼しいかと思いきや、やはり日中の暑さはかなりのもの。
その後は、予定通りに家内の実家、家内の叔母、伯母宅を回り帰宅。
運転所要時間は、延べ約4時間半ほど。
紫外線の影響か、年齢相応の白内障の関係か分からねども、明らかに眼精疲労で目が染みた。
被災地の復興を始めとして、放射能汚染による健康被害などの根本的な問題は一向に解決の兆しさえなく。
汚染水処理、核廃棄物処理、そして福島第一原発自体の廃炉さえも危うい事態に立ち至っているとの情報も。
振り返ってみれば、己自信も3.11で被災していた可能性が無きにしも非ず。
定年後の再就職先で、東北3県方面が候補に挙がっていた時期があり、そのまま順調に事態が推移していれば、ライフワークも兼ねて福島方面へ単身赴任していた可能性は濃厚だった。
あるいは、相手先の都合で岩手の太平洋岸方面だった可能性もあるような。
分かれ目は、2010年頃から次第に心身の体調を崩したことなど。
このため、2011年3月頃に想定していた再就職先の下見が不要となってしまった。
その結果、本日までこうして生きながらえている。
いや、生かしてもらっている。
その後何度か生え替わるものの、一向に変形と変色が治らずじまい。
かくして、本日は爪の切除オペ。
麻酔の注射は、3回行われましたが、大きめの蚊に刺された程度の痛み。
10分ほどで、局部麻酔が効き始め、爪切除オペは僅かに5分ほどで完了。
抗生物質と痛み止めのロキソニンが処方され、明日は処置後の消毒の予定。
術後の出血の可能性を指摘されたので、クリニックからの帰りにマツキヨに
寄った辺りから、次第に麻酔が切れ始め、鈍痛が次第に激痛に変貌。
肝心の右足は膝と、アキレス腱、踵骨棘などの持病のため歩幅は約10㎝に縮小。
遅い昼食であんパン1個。
抗生物質とロキソニンを服用して昼寝体勢に。
膝から下に触れただけで激痛発生。
そのまま3時間ほど睡眠。
夕食後も、同様の処方薬を服用。
未だに普通の歩行は不可能。
たぶん一晩寝れば、多少は改善されるものと期待。
記念に、切除した爪をもらいうけ、自宅でじっくりと観察。
真ん中付近がボロボロで、浮き上がっていたことも判明。
爪母を痛めている可能性があるので、通常の爪よりも爪の成長が遅く
健康な爪が再生されるまでには、たぶん半年は要する模様。
切除した爪の画像をアップするわけにもいかないので、代用の画像を。
午後は、意を決して左足の爪の診察へ川越まで。
爪母の機能が低下しているようで、たぶん完治は難しいとのこと。
それでも、一縷の可能性にかけて、一応爪を切除して様子を見ることに。
オペは来週の火曜日に決定。
処置は局部麻酔で爪を切除する方法。
麻酔は歯科の治療に使用するものなのでたぶん効くはず。
問題は、その麻酔の注射そのものの痛みかと。
あれは結構痛いので、あの痛みが左足の親指に集中すると科なり辛そうな予感。
帰宅後は小休止のあと、近所の整形外科へ。
いまのところ引き続いて相変わらずの対処療法。
長い距離を歩くときには、腰痛ベルト+膝ベルト+足首固定サポーター+鎮痛剤服用。
こうすれば、右膝の痛み以外はおおむね防御可能。
問題は、その後の2日間は倦怠感と痛みで殆ど寝たきりとなること。