本来は中世城館跡めぐりがテーマのはずでありました。もっとも最近は加齢と共に持病が蔓延し本業が停滞傾向に...このためもっぱらドジなHP編集、道端の植物、食べ物、娘が養育を放棄した2匹のネコ(※2019年11月末に天国へ)などの話題に終始しております (2009/05/21 説明文更新)
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所用のため品川台場へ。
といっても、親類の結婚式。
何もわざわざ、お台場で挙式・披露宴をやらなくとも。
もっと近場で幾らでもありそうな...
とはいえ、元々他家の慶事なので致し方なく。
先日の法要以来体調が思わしくなく、前日までの欠席確率は50%を予想。
そこで奥の手を用いて第3台場と第6台場の関係資料を読み漁ることに。
遠景だけでも、あわよくば近景もと何とかモチベーションの向上に傾注。
しかるに当日となる本日の行動意欲は超低空飛行状態。
要するに横になったら最後、全く動けなくなるのでありました。
それでもお台場の堡塁の姿を心に浮かべつ、気力を振り絞って自宅を出立(笑)
途中、偶然にも池袋駅の埼京線ホームで別の理由で遅れてきた招待客(⇒娘)と遭遇。
互いに挙式前の親族紹介に遅れること30分で無事到着。
さて式場テラスからは第3、第6の堡塁が何一つ遮るものが無い状態で一望。
初夏の日差しの中でさざ波に浮かぶその姿は幾分眩しげな光景のようにも。
かくて明日からまた最低3日間位は絶不調の日々が続く恐れもなくはなく(苦笑)
といっても、親類の結婚式。
何もわざわざ、お台場で挙式・披露宴をやらなくとも。
もっと近場で幾らでもありそうな...
とはいえ、元々他家の慶事なので致し方なく。
先日の法要以来体調が思わしくなく、前日までの欠席確率は50%を予想。
そこで奥の手を用いて第3台場と第6台場の関係資料を読み漁ることに。
遠景だけでも、あわよくば近景もと何とかモチベーションの向上に傾注。
しかるに当日となる本日の行動意欲は超低空飛行状態。
要するに横になったら最後、全く動けなくなるのでありました。
それでもお台場の堡塁の姿を心に浮かべつ、気力を振り絞って自宅を出立(笑)
途中、偶然にも池袋駅の埼京線ホームで別の理由で遅れてきた招待客(⇒娘)と遭遇。
互いに挙式前の親族紹介に遅れること30分で無事到着。
さて式場テラスからは第3、第6の堡塁が何一つ遮るものが無い状態で一望。
初夏の日差しの中でさざ波に浮かぶその姿は幾分眩しげな光景のようにも。
かくて明日からまた最低3日間位は絶不調の日々が続く恐れもなくはなく(苦笑)
引き続き父親の遺品整理。
父親はマメでな整理好きな性格だったせいか、戦前の陸軍時代の写真もある程度は遺されている。
主に習志野騎兵第16連隊関係が20枚ほどと、インドネシア占領後のスマラン州軍政部関係のものが少々。
このうちの前者については、概ね寄贈先が内定。
然るべき所で役立てていただくように算段するのも、残されたものの務めでもあるような。
なお写真のキャプションは戦後の復員後に付加したものと推定。
周知のようにノモンハンでの敗北を契機に騎兵という兵科は廃止され、退役後直ちに現地召集された父親は機械化部隊(軍用トラックに1個分隊程度の歩兵が乗り込み、運転席の屋根に7.7mm機銃を据え付けただけのもの)に編入されたと聞く。
本隊は概ね北支へと向かったが、父親の方は直接戦闘とは無縁のインドネシア人民に対する宣撫工作隊へと転属した。
ん、そういえば大学の卒論のテーマは「旧帝国陸軍の大陸政策」(現代史-軍事史)だったようにも...
幼い時に亡父から戦時中の話を聞かされたことはしはしば。
けれども習志野騎兵連隊当時の事情、あるいは終戦後間もない「スマラン事件」の真相を含め、その生き証人であった父親から正確な聞き取り調査を行おうと考えたことは一度もなく。
父親はマメでな整理好きな性格だったせいか、戦前の陸軍時代の写真もある程度は遺されている。
主に習志野騎兵第16連隊関係が20枚ほどと、インドネシア占領後のスマラン州軍政部関係のものが少々。
このうちの前者については、概ね寄贈先が内定。
然るべき所で役立てていただくように算段するのも、残されたものの務めでもあるような。
なお写真のキャプションは戦後の復員後に付加したものと推定。
周知のようにノモンハンでの敗北を契機に騎兵という兵科は廃止され、退役後直ちに現地召集された父親は機械化部隊(軍用トラックに1個分隊程度の歩兵が乗り込み、運転席の屋根に7.7mm機銃を据え付けただけのもの)に編入されたと聞く。
本隊は概ね北支へと向かったが、父親の方は直接戦闘とは無縁のインドネシア人民に対する宣撫工作隊へと転属した。
ん、そういえば大学の卒論のテーマは「旧帝国陸軍の大陸政策」(現代史-軍事史)だったようにも...
幼い時に亡父から戦時中の話を聞かされたことはしはしば。
けれども習志野騎兵連隊当時の事情、あるいは終戦後間もない「スマラン事件」の真相を含め、その生き証人であった父親から正確な聞き取り調査を行おうと考えたことは一度もなく。
